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自分を否定するより、肯定して生きる方が何倍も難しい。

多かれ少なかれ「自己肯定感」を意識しながら生きてきた。極端に自己肯定感が低いとは思わないけど、タイミングによって高い時も低い時もあるだろうし、高いほうが生きやすそうだとは思っていた。

些細なことで自分を否定して、ひどい時は雪だるま式に思考が膨れ涙が枯れるまで泣き続ける。自分を否定するのはこころも身体も辛い。もっと楽しく生きられたら良いのに。

でも最近は、別に自己肯定感が高いか低いかはそれほど問題ではなくて「では、どう生きるか?」は考えて選択していけるよなぁと思うようになった。もしかしたら、自分を否定する生き方はとても楽な選択なのかもしれない、と。

感じ方は人それぞれだけど、わたしの場合はたぶん、自分を否定して生きるほうが楽なタイプなのだと思う。もちろん自己否定の渦中は苦しいのだけど、冷静になって考えると違った側面が見えてくる。自分を否定している間、わたしはそれ以上誰からも否定されずに済むのだ。

わたしを一番否定できるのはわたしで、他の誰もそのラインまでは辿り着かせない。柔らかい棘の中に身を委ねる感覚で、多少の加減をしながら自分を傷つける。他者に傷つけられるのが怖いから、わたしはそっちを無意識に選んでいるのではないだろうか。

自分を肯定しながら生きると、いつ誰に否定されるか分からない恐怖と一緒に生きることになる。自分の声より他者の声が上と捉えていると、わたしは肯定に値する人間だろうか?誰からも認められるくらい頑張っているのだろうか?と考えてしまう。小さい頃は親が認めてくれれば十分だったけど、今は誰が認めてくれるんだろう。わたしはいつの間にか、自分の足で立たなければならない大人になっていた。

考え方を少し変えてみると、自分を一番否定できるのが自分ならば、自分を一番肯定できるのも自分であるはずだ。自分を否定することも肯定することも選べるとしたら、どう生きるかを決めればいい。どちらを選びたいか、もしくはどちらも選ばないか。正解はないし、否定する選択が悪手なわけでもない。ただ、そろそろ選択に自覚的になる必要があると思っている。

最近のわたしは自分で自分を「今日も生きてえらい!」「ありのままで十分素敵!」と出来るだけ褒めながら生きている。「それくらい出来て当然だ。みんなやっているぞ。」たまにそんな声が内側から聞こえてくるけど、そう思う自分がいるなぁ、とだけ認めるようにしている。

自分を否定するより、肯定して生きる方が何倍も難しい。でも、自分を肯定して生きたほうが楽しいし幸せだと思うからそう生きる。どうせなら、どんな人生を生きるか自分で選べる大人になりたい。


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