※※明日11月18日~21日まで、休業いたします。よろしくご了承ください。※※ 左肩が痛い、とくに腕を挙げると痛い、とお客さん(=Pさん)が来られました。しかもPさんは両手足がむくむ・こわばるといった症状も挙げられましたので、「慢性関節リウマチの検査はされましたか?」訊くと、「しました。問題ナシでした」とのことでした。 じゃやっぱり整体屋の範疇なのだろうな、改めてケガ・手術歴を聞いていくと、手術らしい手術はされていませんが、かなりいろいろケガをされています。そのうちの
『水晶宮としての世界』ですが、読み終わらない可能性が濃厚になりました。前回の記事で私は、第一部で大航海時代、第二部でGPSなどの情報化社会を扱うらしい……と書きましたが、スミマセン、何で私はそんな思い込みをしたんだか?? 挫折したのは第三十四節ですが、いままでのところ、私の思い込みとは全然異なる展開が続いているように思います。(本記事は、この訂正がいちばんの目的です。) もともと第一部のときから、ぽつんぽつんと話題が飛んだり・つながったりして、一本調子に読める本ではなか
自作、というのもおこがましいくらい簡単に手作りできる書見台を作ってみました。きっかけはいま読んでいる『水晶宮としての世界』が重すぎたこと。いやはや、必要は発明の母ですな。 【材料】私はほとんどを100円ショップのSeriaにて購入しました。 ・ブックエンドL型 大・・・1点(11.0×13.3×19.2㎝) ・MDFパンチングボード・・・1点(約29.7×21㎝) ・木製ダボ・・・1袋購入、使用するのは2本(φ5×40㎜。40本入り) ・つづりひも・・・2本(約
『水晶宮としての世界』を読み始めました。全部でざっと500ページ弱。うむむ、長い。重い。ぶ厚過ぎて書見台が使えない……。 サブタイトルは「資本とグローバル化の哲学のために」。 タイトルにある水晶宮が何なのか・本の主題が何なのかも知らずに読み始めました(水晶宮は何かの比喩だそうです。30ページ辺りで説明されていますが、私にはいまいちよくわかりません…)。例によって、少々遠方の図書館内をふらふらしていて新刊棚で目が合って、お、スローターダイクさんの新しい本だ、気に留めてお
ウォー『待ちうける影』序盤で脱落しました。この手のイヤさを文章力・構成力の卓越した人につぶさに書かれるとキツイです……。ウォーの既訳本完全読破を目指していましたが、想定外かつ早々の挫折。残念。サイモン・ケイシリーズだって読んできた私なのに。
しばらく前にお客さんから、「井上尚弥選手が強いのはなぜですか?」と訊かれました。確か、体幹の筋力がどうのこうの、みたいな雑談をしていた文脈で訊かれたんだったと記憶します。 ボクシングに限らずスポーツ観戦の趣味がない私は井上選手を見たことがなくて、「すみません、見てないのでわかりません」と答えました。そのときはそれで終わりましたが、後から微妙に気になってきて、『怪物に出会った日』(森合正範著)なる本を手に取ってみました。これは、井上選手と対戦して敗退したことのある元選手の
半年ぶりに、遠方からのお客さん(=Pさん)が、用事のついでに来院されました。ついで、というからにはそれほど深刻な困り事ではないのかな。軽く構えていましたが、フタを開けると、あんまりうれしくない事態でした。なんでも、2か月近く前に枕を替えたら、翌朝から腕に軽い痛み・しびれが出るようになった、とのことでした。 え? 2か月も? たった一晩寝ただけで? 呆れながら訊き返すと、「そのスジの権威らしき人が作った枕なんですよ! だから信用したのに……」とPさん。いったいいくらの枕な
ウォー『失踪者』読了。相変わらず仕立てがえげつなくて見事。本書は堺市の図書館には無くて大阪市から借りて読むことができましたが、ずいぶん傷んだものを丁寧に補修して貸し出してくれる有難さよ。文庫化再出版の予定は無いのかしら。改訳なしの出し直し、で。
全然毛色の異なる本を2冊、読みました。 『世界地図の中で考える』は、著者が高坂正堯さん、国際政治学者の書いた論文集というか専門書的エッセイというか、そんな感じの本でした。 1968年に書かれた本なので〈現在の世界情勢〉という意味ではそこそこむかしの本ですが、内容は実に示唆に富むもので、世界情勢的に〈2024年の今現在〉に通じる部分は多いですし、高坂さんの視野・考察が深くて広いため、世界情勢を扱いながらも〈国―国〉関係の話に留まりません。普遍的かつ敷衍可能、言ってみれば
ウォー「実際の刑事たち」読了。ミニエッセイ?的な小論ですが、警察を密着取材していての、〈実際の刑事は物の見方が違う。それは作家には真似も想像もできない見方だ〉との気付きを説明する観察力・文章力がやはり〈作家〉のもので、実に面白かった。何とも、知的というかクレバーな人やなあ、と。
【業務連絡】誠に勝手ですが、11月18日(月)~21日(木)は休みにいたします。よろしくご了承ください。
先日痛感した筋肉セミナーの失敗と反省を踏まえて、改訂版の資料を作りました。 意識したのは、施術者目線の資料とお客さん目線の資料、その両方ともを載せることでした。そうすることで、あとは当日、どちらの話が期待されていそうかに応じて、どっち寄りの話をするか、その場で決めることができるだろうと算段しました。 そして今回は、できたばかりの改訂版資料を持って、大学時代のお師匠さんの助言を仰ぐことにしました。このかたは、私の施術を受けてくださったことがおありで・私が何を考えているか
鳴尾浜で練習見学させてもらった恩があり、また私の親が長年のファンなこともあって、試合はあまり見ない私も阪神タイガースを応援していた今シーズンでしたが、いろいろ不本意な結果に終わり、残念でした。もちろん、岡田監督の監督姿が、もう見られないことも大いに残念!です。 個人的に、というか整体屋的に残念なのはケガの〈修理〉がうまくいっていないままの選手が多いことで、これはスポーツ界全般と言えば言えるし、スポーツ界に限らずそこら中あちこちで、と言えば言えることですが、〈ケガ・手術の
ウォー『冷えきった週末』読了。たった一つの事実から、硬直した謎が一気に瓦解する展開に唸る。ワイルド『悪党ども~』『検視審問』を読んだときにも思ったけれど、中学時代に出合っていれば、原書読みたさにもうちょっとマジメに英語を勉強していたかもしれん。明らかに出合うのが遅すぎた……。
ウォー『愚か者の祈り』読了。シリーズは違えど相変わらずの、〈五里霧中の捜査を歯噛みしながらひたすら淡々と続ける警察小説〉なのに、震えるほどおもしろい。訳も素敵で、セリフ内改行の【」】なし【「】あり方式も私好み。終盤どどっと人物が増えて、少々混乱しました……。
『魔の木』は、『シニカル理性批判』(1983)の著者がその2年後に書いた小説です。副題が「1785年における精神分析の成立 心理学の哲学を物語る試み」というもので、哲学者が小説を書いた、ということか……と思っていたら、1988年に書かれた訳者あとがきによると、著者は、ミュンヒェンとハンブルク、二つの大学でドイツ文学、哲学、歴史を学んだものの大学には所属せず、フリーライターとして旺盛な批評活動を展開しているそうです。すみません、肩書的には学者さんではないようです(哲学者、なの