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韓国小説『父の革命日誌』

 2年前の誕生日、1冊の小説をプレゼントしてくれた韓国人女性がいました。彼女は同じ年で、数年前に日本へ移住したフリーランスの書籍編集者。韓国での初めての出産や育児、その他もろもろで疲れ果て、自分の好きなことすら長い間思い出せなくなっていた私に、読むことや書くことの喜びを思い出させてくれた大切な友人です。

 そんな彼女が「最近読んで面白かった」と言って贈ってくれたからには、最後まで全部読み通したい。そう思い手に取ったところ、馴染みのない方言の会話を読む難しさや、韓国の歴史についての知識不足から、最初の数ページで早々につまづいてしまい…。

 いつか読もう、読もうと思っている内に月日は流れ、その小説、チョン・ジア著『父の革命日誌(아버지의 해방일지)』は2024年2月に翻訳出版。日本語でも読めるようになりました。訳してくださった翻訳家の橋本智保さん、本当にありがとうございます!

 感想を述べる前に、まずは物語のディテールをごっそりと削ぎ落としたあらすじを書いてみることにします。

    ある日突然、全羅南道チョルラナムド求礼クレで暮らす80歳を過ぎた父親が亡くなり、喪主となった娘が村の人たちや親戚の手を借りてお葬式を開きます。葬儀場には父を知るさまざまな人たちが弔問に訪れ、在りし日の父との思い出を口々に語ります。ずっと父に心を閉ざして生きてきた娘は、人々が語る父の姿や交遊関係を知るうちに、少しずつ父と出会い直していき…という物語。

 さて、問題はここからです。その父が一体どんな人だったのかというと、前職が「パルチザン」だったんですね。ちなみに母もパルチザン。原書を読み始めた時、最初につまづいたのはまさにこれでした。「パルチザンって何?」と。詳しい説明は訳者あとがきに書かれていたので、それを何度も読んで理解に努めました。

 ここでパルチザンについて簡略に説明すると、主に一九四五年の解放後から朝鮮戦争後まで、遊撃戦と呼ばれる不正規戦闘を行った共産主義武装組織を指す。アメリカ軍政によって非合法とされたため、彼らは山岳地帯に潜伏し、孤立していた
 一九四八年十月十九日、全羅南道の麗水に駐屯していた朝鮮国防警備隊十四連隊所属の軍人二千人余りが、済州島の蜂起(四・三事件)を鎮圧せよという李承晩政府の命令を拒んだため、これを鎮圧する過程で大勢の民間人が犠牲になった。その後、李承晩は反共主義路線を強化し、南朝鮮労働党(略して南労党)を中心としたパルチザンは、智異山を拠点に激しい遊撃戦を行った。チョン・ジアの両親は、その組織の幹部だった。彼らは労働者、農民の解放を叫び武装闘争を続けたが、朝鮮戦争後はほとんどが討伐され、チョン・ジアの両親は数少ない生存者である。

『父の革命日誌』訳者あとがきより

 つまり、大韓民国政府が反共(共産主義に反対すること)を掲げていた時代にパルチザン(共産主義武装組織)だった両親は、社会から非難される存在だったのです。当時、家族や遠い親戚の中にパルチザンが1人でもいると、どんなに優秀でも進学や就職の道が断たれることがあったようで、小説の中には、父の兄の息子であるキルス兄さんの悲しい物語が描かれています。

 兄さんはアカの叔父を持ったおかげで、陸軍士官学校に合格していたにもかかわらず、身元取り調べで引っかかって入学できなかった。私の父に息子の行く手を塞がれたことが、伯母にとってはこの世を去るまで千秋の恨事であった。

『父の革命日誌』より

 著者のチョン・ジアさんは両親がパルチザンであり、1990年に『パルチザンの娘』(全3巻)という実話をもとにした長編小説を発表。同作は発禁処分となり、チョン・ジアさんは指名手配を受けてしまいますが、その後、作家として活動を続け、32年ぶりに発表した長編小説がこの『父の革命日誌』だったそうです。 こうした著者のプロフィールだけ読んでも「なぜ発禁処分に?なぜ指名手配まで?」と、頭の中にハテナが飛び交います。

   そこで、ふと思い出し、以前読んだ本を引っ張り出して再読してみました。その本とは、韓日翻訳家の斎藤真理子さんが書かれた『韓国文学の中心にあるもの』。韓国におけるパルチザンの歴史を理解するには、第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨であると、第8章 「解放空間」を生きた文学者たちを読むのが助けになりました。

 ちなみに、この『韓国文学の中心にあるもの』は、韓国の小説を読む上で必読書というか、辞書のように横に置いて何度も読み返している1冊なので、また別の機会に記事を書きたいと思います。

 と、このように、韓国の歴史をよく知らないまま読むと、頭の中がハテナでいっぱいになってしまうかもしれない小説なんですが、一方で、複雑な歴史をよく知らずに読んでも「父と娘の話」として面白く読めてしまう。それがこの小説の最大の魅力だと私は思います。

 著者が実際にパルチザンの娘として生きてきたからか、小説に登場する様々な事象や人物が観念的ではなくリアルに描かれていること。そして、それぞれの登場人物の人間くささを時にユーモラスに表現している点が、私にはとても読みやすく感じました。

 読み終わった後、2年前にこの小説をプレゼントしてくれた友人と電話で話す機会があり、ついに感想を伝えることができました。彼女の話によると、この本はやはりそういった複雑な歴史的背景を知らなくても、父娘、親子の物語として楽しめることから、若い世代の人たちにもよく読まれた1冊だったようです。その辺の詳細は訳者あとがきにもこう書かれていました。

 『父の革命日誌』はあっという間にベストセラー入りし、翻訳している間に、三十万部突破を記念したカバーデザインのリニューアル版も刊行された。
 (中略)実際の愛読者は二、三十代が圧倒的に多く、彼らが主にSNSなどによって広めている。(中略)そしてこの作品を足掛かりに、いままでとくに関心のなかった自分の父の人生を考えたり、麗水・順天事件、済州島四・三事件について知ろうとする動きもあるという。

『父の革命日誌』訳者あとがきより

 ここに「いままでとくに関心のなかった自分の父の人生を考えたり」とありますが、私がこの小説を読んで一番思ったのは、まさにそれでした。私たちは最も身近で最も深い関係にあるはずの家族について、知っているようで本当は良く知らないんじゃないか、と。

 朝、スーツに身を包み「行ってきます」と家を出た父のことを知っているのは、同じ職場や取引先、よく行くカフェや食堂の人たちでしょう。家族を「行ってらっしゃい」と送り出した後の母のことは、パート先の同僚や隣近所の人たちが詳しいかもしれません。そして「行ってきます」と学校や職場に行った私や弟のことをよく知るのは、学校の先生や友人、職場や取引先の人たちなわけです。

 さらに、両家の祖父母のこととなると、もっとよく知らないんじゃないでしょうか?今から20年以上前の大学時代、「祖父母の教育史」という課題レポートを書くため、父方の祖父に幼少期~20歳頃まで受けてきた教育について話を聞く機会があったんですが、今回小説を読みながら「あの時、祖父に話を聞かせてもらっていて本当に良かったな」と、改めて思わずにはいられませんでした。私はあの課題がなかったら、祖父が少年戦車兵学校の出身であったことも、対米軍戦に備え、鹿児島の海岸で待機していた戦車の中で終戦を迎えたことも知らぬまま、今日まで生きてきたんじゃないかと思うのです。

 つまり、私たちは最も身近な存在である家族であっても、ひとたび家の外へ出てしまうと、どこで誰とどんな風に過ごしているか、お互いに知る由もない。何らかのきっかけがない限り、どうやって生きてきたかを尋ねる機会もない。この小説『父の革命日誌』は、そうやって長い間知り得なかった父の姿について娘がひとつずつ知っていく。そういう物語でもあるんですよね。

 「誰かの記憶に残っている父の姿」をかき集めながら、パルチザンでもなくアカでもない、“私の父”と出会い直す。その時、もう父は横にいないけれど、この世には父を知る人たちがたくさんいる。人は肉体を失っても誰かの記憶の中で生き続けることができるんだと、そう感じさせてくれる小説でありました。

 チョン・ジアさんの作品は他に、2014年に橋本智保さんの訳で短編集『歳月』が出版されていますが、いつか『パルチザンの娘』も翻訳出版されることを願っています。

2024年6月に開催されたソウル国際ブックフェアにて。『父の革命日誌』の原書がありました



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