8/20_今日も今日とて私は走る+受動的攻撃について考える
昨夜、ゲリラ豪雨の中で全身ずぶ濡れになりながら走っていた時に、「自己肯定感の低い人がやりがちな陰湿な攻撃性をもったコミュニケーションの癖~受動的攻撃」というYoutube動画を聴いていた。
動画の内容は、私のようなアダルトチルドレンにとって絶望以外の何物でもないのだが、今の私が乗り越えるべき課題の一つであると捉えると、多くの学びを得ることができる。
今日はまず、受動的攻撃について学んだことを記録に残していきたい。
受動的攻撃とは何か
動画では、受動的攻撃とは「自分の怒りや不満、苛立ちなどをはっきり言葉にして相手に直接伝えることはせずに、相手を困らせるような行動や態度を取ることで、反抗の意を示すこと」だという。
それは表面上は無害に見せかけながら、消極的かつ否定的な態度や行動を取ることで遠回しに相手を攻撃ようなもの。
その遠回しな態度の裏には、「言わなくても察しろよ」という心理が隠れているのだそう。
怒りや不平不満などの否定的な感情を素直に表現できない人が、直接的ではなく間接的に感情を表現している状態。
今までの私のように自己肯定感が低く、自分に自信が無い人ほど受動的攻撃をしてしまう。
他人との衝突を怖がって、はっきりと自分の感情を言えないといった心理が背後にはあるのだと思う。
なぜ他人との衝突を恐れ、自分の感情に蓋をするのか
これは子どもの頃に、怒りの感情を持つことや素直な感情を表現することを許されなかったがために、自分の感情に蓋をして我慢する癖がついてしまい、感情を他人と共有することを恐怖と感じてしまうから。
怒りや悲しみといった心から湧き出るものを言葉にして伝えるのが怖いから、無意識のうちに相手を困らせるような言動をすることで、言わなくても察してほしいと思ってしまうのだろう。
私がよくやっていた受動的攻撃の振り返る
ここは思いついたものを箇条書きにしていく。()内はその時、私の心の中にある心理状態を言語化してみた。
妻と言い合いになった後、熱があるように見せかけて体調が悪いふりをし、自分から丸一日以上妻に話しかけることをしなかった
(本当は素直に感情を出したいし、謝罪もしたかったけれど、それ以上衝突するのが怖いから、体調が悪いふりをすれば、言い合いは抜きにして、妻が気にかけてくれるだろう・・)列に並んで電車に乗る時、降車する人を押しのけて我こそはと乗車し、席に座ろうとする人に対して、その人に対して聞こえるような大きなため息をする
(モラルに欠けている人にその事実を気づかせたい。だから大きなため息をすることで、その人に罪悪感を抱かせて懲らしめてやりたい・・)
前者の場合、自分の感情に蓋をして我慢するのではなく、妻の状況に配慮したうえでアイメッセージで感情を伝えることができれば、妻もきっと分かってくれるはず。丸一日体調不良を装って休日を無駄に過ごす必要もない。
後者の場合、相手にもよるが、ひと言注意するか、気にせずほっておくのが良いのかもしれない。ただ気にせずほっておくとなると、今のわたしは「この人は親から社会の安全さを教えてもらえるような普通の環境に育った人なんだ」といった具合の格差も感じてしまうので、余計にイライラしてしまう可能性があるので難しいところ。
受動的攻撃をどう治していけばよいのか
これについて、受動的攻撃をしてしまう側に立った改善方法が書かれているものはほとんどない。
ほぼ100%、受動的攻撃をする人への対応方法ばかりで、それは普通の家庭に育ったマジョリティ集団が、普通でない家庭の育った受動的攻撃しか知らないマイノリティ集団から逃れるためのメソッドにほかならない。
マイノリティの私からすると腹立たしいのだが、世の中はここでいうマジョリティの人で構成されているのだから仕方ないのだろう。
だから自分で考えていくしかない。
その答えは、相手の立場を考え自分の感情をうまく表現するアサーティブなコミュニケーションであったり、今まさにやっている愛着障害やトラウマの克服過程で安全さをしっかりと感じるといったことなのだろう。
まず手始めに、いま通っているカウンセラーに対して、不満や気がかりなことを素直に言葉で伝えてみようと思う。
イヤな顔もされるかもしれない。でも本音で向き合わない限り、信頼関係なんて築けない。徹底的に心を開き、言葉で伝え、向き合った先にはどんな人間関係が待っているのだろう。
私にとってまだ見ぬその世界へ、一歩足を踏み入れてみようと思う。
みんな私を責めるけど、すべて私の体験と人格が悪いのか
モラハラをしてしまった私に対して、親から愛情を受けて普通に育った人は決まって、親のせいにするな、他責にするな、我慢が足りない、努力が足りないと私を責め立てる。さらに、ヒトはみんな苦労しているといった具合に平準化しようとする。
決して普通に育った人のそのような考え方を否定するつもりはない。仮に私が普通の家庭に育っていれば、今の私のような得体の知れない人に対しては同じように責めてしまうと思うから。
私は決してモラハラをした事実から逃げることはしないし、どんな過去があれ私がしたことなので、その責任はすべて私自身が負う。ただ一つだけ要望が叶うとすれば、モラハラの本質からも目をそらさずに向き合ってほしいということ。
私がモラハラをするのは、子どもの頃に原家族で虐待、ネグレクトを繰り返し刷り込まれたから。幸せな家庭像とは真逆の戦場で生きてきたから。いままで温かい家庭がどんなもので、どうやって作るのかすら知り得なかったから。
誤解を恐れずに言えば、モラハラ言動は私のせいではなく、私の親のせい。
私は0歳で母親に捨てられ、16歳で父を捨てたが、他でもなくこの二人の親のせいだと考えている。
周りの人は、こぞって私の努力の足りなさ、我慢の足りなさを責めるけれど、本当にそれだけなのか、物事の本質を見てほしいと心の中ではいつも思っている。
でも私は、親のせいであってもその責任はすべて私が負うと決めている。
普通の人と生きたいのであれば、親の責任も負うことが最低条件だから。
本当に世の中な不公平だと思う。親ガチャで子どもの人生は決まるとも思っている。どうして私が、ハンディキャップばかり背負って生きなければいけないのかと思うと、腹が立つこともある。
でも、それを乗り越えるために人の何倍も努力し、人の何倍も苦しい思いをしないと、認めてもらえない。それをやり遂げる覚悟は持っている。
このnoteは、私の心の中の思いを素直に吐き出す場でもあるので、思ったことは素直に書いている。私にとってこの場所は個人も特定されないし、なんでも吐き出せる安全な場所。苦しい時にはひたすら書いて吐き出せばよい。それこそが私の心に安心感という花を咲かせることになると信じているから。
今日も今日とてわたしは走る(ランニング記録)
本格的にランニングの習慣を再開して、5か月弱が経とうとしている。
もはや今の私にとって走ることは欠かせない存在となった。私の変容を様々な面から伴走し支えてくれるパートナーのようなものだから。
今日は日没前から、久しぶりに皇居外周へ走りにいくことに。
梅雨明けの頃の暑さに比べれば、日没後はいくらか涼しくなったように感じる。暑さでキツイと感じることも少なくなった。
いつもどおり皇居を2周して、距離を踏むために末広町のあたりまで行って今日も15kmを走ることができた。
.直近一ヶ月の月間走行距離が329km。8月は今日時点で月間247km。
夏のいちばん暑い時期に、これほど走れている自分にびっくり。
これからの人生、ランニングで何か新たなものが開けそうな気がする。
今日の振り返り、気づきなど
7月9日から始めた断酒生活も今日で43日目に突入
私の亡き父の三種の神器であった、酒、たばこ、ギャンブルを今の私は何も引き継いでいない。もともとたばことギャンブルはしないし、酒もやめた。
三種の神器に良く追加される女遊びなんて、もってのこと。
これだけは自分を褒めてあげたい。そして私は絶対に親の敷いた人生ではなく、家族とともに幸せな人生をかならず歩む。
ランニングによる減量の進捗
今日時点の体重が76.2kg(前日比+0.1kg)
ん~明らかに減量ペースが落ちてきた。まだ上半身には燃焼しそうな脂肪が残っているのに、、
今日の晩御飯(自炊記録)
今日も惣菜で済まそうとスーパーへ行ったが、食べたいものが全く割引になっていないので私の心が買うのを許さない。
冷やしうどん(半額のちくわ天、さつまいも点トッピング)
赤味噌の豚汁(手作り)
納豆
ゴーヤの塩漬け(手作り)
サミットの半額のブルーベリーベーグル
最後に、今日も子どもたちを一人で育ててくれている奥さんに、この場を借りて感謝の思いを伝えたいと思います。
いつも本当にありがとう😊