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9/26_今日も今日とて私は走る+モラハラ加害者の被害者性との葛藤

今日は朝4時45分にアラームを設定し、久しぶりに朝ランに行こうと思って起き上がったものの、あまりの眠気に負けてしまい、また布団に戻ってしまう。睡眠薬を服用するようになってから、寝つきも良くなったが、朝の早い時間にすっきりと起きれるということも無くなってしまった。
これも睡眠薬の効用なのだろうか。本当は睡眠薬が無くとも寝れるようになりたいけれど、もう少し時間がかかるのだろうか。とりあえず、私は日々の生活において安心や安全さを感じる体験を積み重ねていくだけ。

モラハラ加害者に存在する被害者性との葛藤

私は約1年前、自身がモラハラ加害者だと気づかされて以降、ずっとこのテーマと葛藤を続けている。
ここでいう被害者性とは、「私自身は妻に対してモラハラ言動をしてしまい加害者になったけれども、その背景には私自身も幼少期から虐待を受けて育った被虐待児であり被害者の側面がある」ということ。

これまで35年間生きてきた中で、私は自分が被虐待児だとか虐待被害者なんて思いもしなかった。でもカウンセリング等で私の過去の蓋を開けたことで、私自身が深刻な虐待を経験していることを知った。
そしてこれまでの人生では、虐待を受けていた過去に蓋をしていないと生きていけないような環境を生き抜いてきたこともようやく理解できた。

私は母親から捨てられたり、父親の親代わりをしながら生きてきたことから、いわゆる愛着障害とか発達性トラウマを抱えて大人になっていて、その生い立ちこそが妻にモラハラ言動をしてしまう原因だったことも分かった。
なんだろう。本当に歯がゆいし、やりきれない気持ちでいっぱいになる。
誤解を恐れずに言えば、「親のせいで愛する妻に対してモラハラ言動をしてしまうような人間に育ってしまった」といっても過言ではない。

この事実を受け入れるのには時間がかかった。過去の傷つき体験なんて思い出したくもないし、ましてやギャンブル依存症で私の奨学金さえも食い尽くした亡父や、0歳で私を捨てた母のことなんて、ことさら思い出したくもなかった。そんな過去を掘り起こすだけでも、ストレス以外の何物でもない。

一方で私の過去の蓋を開け、自身もまた被害者であると分かると、私自身にすべての責任があるわけではないと思うようになった。決して親に責任を擦り付けるつもりはないけれど、なんとなく自分の中でスッと気持ちが楽になったのを覚えている。
モラハラ言動をしたのは、生まれつき人格に障害があったわけでもなく、私が道に外れた言動で自ら身に着けたものでもなかったと分かったからだろう。

そんな事情があっても、私が妻にモラハラ言動を繰り返し、妻を傷つけてしまった過去は変えられない。ましてや私の被害者性を理由にして、責任転嫁するわけにもいかない。これこそが加害者の私に存在する被害者性との葛藤の正体なのだと思う。

そんな状況だけれども、モラハラの加害者であり、被虐待児でもある私が心に決めていることがある。
それは「自身の被害者性をモラハラ言動の言い訳にしないこと」そして「自身が抱える被害者性からも逃げないこと」の二つである。

自身の被害者性をモラハラ言動の言い訳にしないこと

これは被害者への配慮の意味合いが強い。
私がモラハラ言動をしてしまうのは、私の中に残っている被害者性が原因であるのは紛れもない事実だけれども、それをモラハラ言動の言い訳には絶対にしない。そればかりを主張してしまうと、被害者は被害者にすらなれなくなってしまうから。

どんな理由があれ、モラハラ言動をしたのはこの私である。たとえ私が被虐待児だったとしても、モラハラ言動をしたことの免罪符にはならない。
だから私はモラハラ言動の責任は、すべて自分自身がとると決めている。

自身が抱える被害者性から逃げずに、向き合うこと

私はモラハラ言動に対する責任はすべて自身でとると決めているが、私自身が被害者性を抱えていることを隠すつもりはない。
だからモラハラ言動のことを語る際には、必ず自身の被害者性にも触れることにしている。その理由は、カッコつけて私の加害者性ばかりを出して、自身を卑下しても、結局自分自身が苦しい思いをするだけで、愛着やトラウマを乗り越えることはできないと思うから。

私の被虐待経験や被害者性を隠し、モラハラ言動の理由を私の人格が異常だと言い切ってしまえば、被害者⇔加害者の関係はシンプルになるのだろう。
でも私はこれ以上、自分を傷つけないと決めている。だから包み隠さず自身の被害者性も話すようにしている。

夫婦という特別な他人に込める想い

私は、夫婦だからこそ、私の被害者性も隠さずに正直に伝えたいと思っている。夫婦なのに、モラハラをしてしまった原因や背景を偽ってどうする?と思っている。だから言いたくない過去も基本的にはオープンにしたいと思っている。

被害者である妻の側からすると、私の過去を知ることは自身の被害者性が軽んじられるような気持ちになるかもしれない。
でもそれも避けては通れない道だと思っている。私は特に弱い部分を多く持っていて妻には本当に苦しい思いをさせてしまった。その過去は変えられない。ただ私は妻の傷に生涯寄り添っていく覚悟だけは持っている。

夫婦だからこそ、お互いの弱さを認め合い、互いに補い合えるからこそ、特別な他人としての関係が維持できるのだと思っている。
私もそうだが、妻も完璧な人ではない。言ってしまえば世の中に完璧な人など存在しない。
私は特に失敗から学ぶことが多く、周りの人よりも多く勉強をしなければならないことは自分がいちばんよく分かっている。
だから私はどんなに苦しくても、家族の中でいちばんに前を向き、未来に向けて確実に歩みを進めていくと決めている。

加害者性と被害者性については以下の記事が参考になるので、残しておく。

今日も今日とてわたしは走る(ランニング記録)

昨夜が雨でランニングOFF、明日も終日大雨で走れなそうなので、今日は思いっきり走ろうと決め、お昼に走りにいくことに。
平日の日中に走るのは、周りの人の多くが仕事をしている都合上、どうしても気が引けてしまう。でも私は仕事以上に家族が大切だし、いまの私にとって走ることは仕事と同等に大切なことだと自分に言い聞かせている。

午後ということで朝晩に比べて気温も高めだけれども、今日は走り始めからある程度の負荷を感じながら走っていく。
最近お気に入りのルートになりつつある、九段下から飯田橋を抜けてひたすら多摩方面に向けて走る。飯田橋を抜けるころには身体が温まってきて、6′00/kmのペースがほどよいペースになってくる。
これまで6′00/kmは私にとって長く維持できないペースだったけれども、走力もついてきたことに加え、秋の空気に入れ替わったことで、普通に走れるペースになってきた。
特に6km以降は安定してキロ5分台のペースを維持して25kmを走ることができたのを見れば、本当に走力がついたと我ながら実感してしまう。

走り終えるとさすがに足に疲労感がきてしまったけれど、大いにやり切った感じがして気持ちがいい。12月のハーフマラソンを走るイメージも自信もついてきたように感じた。
今日は日本橋から小平市の花小金井まで25km、本当によく走った。
いまこうやって走ることに時間を使えるのも、妻のおかげ。本当にありがとう。

今日のランニング記録
キロ5分台の安定したラップを刻めるようになってきた


今日の振り返り、気づきなど

  • 7月9日から始めた断酒生活も今日で80日目に突入
    明日の健康診断で肝臓の数値がどう改善しているか楽しみになってくる。とりあえずいまは、日々お酒を飲まずに自身をケアする習慣をつけていくのみ。

  • ランニングを習慣化してから約20kgの減量に成功
    今日のランニング後の体重が72.5kg。約半年前の3月下旬は92.7kgの体重があったことを思うと、半年で見違えるようなスマートなカラダに変わることができた。
    いま感じるのは、体重が20kg減るだけで、確実に自己肯定感が上がっているということ。明らかにスマートな見た目に変わったし、痩せた自分を見るたびに何だか嬉しくなる。
    これまで十年以上、毎年のように今年こそは痩せたいと思いながらも中途半端に終わっていたけれど、ようやく結果を残すことができた。

    愛着やトラウマを乗り越えるという私の目標に対して、ランニングと減量こそがいちばん効果を発揮してくれている。

最後に、今日も変容に向けた取り組みをする猶予を与えてくれている妻に、心からの感謝の気持ちを伝えさせてください。
毎日、本当にありがとう。





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