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神理/哲理

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#密教

いつ死んでも良いという覚悟が前提としてあるのが自然であり野生の姿。センサー、松果体の錆をとりたいのであればとにかく自然に野生に生きる事です。

クムラン教団 古神道 密教 古代インドヨーガスートラ 原始仏教 修験道 役行者。結局目的はどれも同じ。組み合わせて最適化を合理的に目指すのがベスト。原始仏教だからと仏教徒の格好をしてそれっぽく振る舞ったり格好や滝修行などに奔るのは見失っているし修行の意味と本質を理解していない証拠

悟りを得て修行に望む段階に入ったとしても新しい知識を謙虚に吸収し続ける姿勢は失くしてはいけないと感じます。

オーラや後光は全ての生物が発している生体電子エネルギーの総量。正しい修行の末、後光が差した仏像の様に全ての人間はなれる。

結局 地味で地道な日常を熟さなければ不成。行を行おう では無くそう思う間も無く常に行うべきもの。行い続けるもの。

ニュートラルとは全自己意識の精神と肉体への没頭。その状態こそ人間として野生として本来あるべき姿でありセンサーが機能していない現代人は特に研ぎ澄ましていく必要があります。

一度物質による外的ルートから精神世界における人間の儚さと無力さを実感すれば神通力は謙虚でなければ得られるはずがないという事が直感的にも理解できるはずです。その前段階において長年にわたる肉体作り、肉体と精神の修行が必要になってくるわけです。その行法をお教えするのにも段階が必要。

行に生きる者は食を何より徹底する必要がある。フィジークやボディビルダーの栄養学と食事、それにより起こる身体への作用は勉強に。食事内容を真似する必要はなく食とトレーニング時のエネルギー効率などを中心に。

行によりこの宇宙において左右対称かつバランスが統合された身体,存在になるという事は即ち何を意味するのかは学問をおさめていけば見えてくる。

近現代宗教の生みの親は真理を説いたものではなく布教上の都合という現象である。

文字のみで行を伝える最大のリスクと懸念は受け手の固定観念を先入観と妄想で固めてしまう事である。

神道はシントウではなくカミノミチが真。自然信仰は前提としてあり行法を知り始めてカミノミチは始まる。