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【47】 「おまえも、死ぬぞ」

かつて、手術を終え退院し、日常に戻ろうとしていた夫の彼女さん。
ところが一か月も経たないうちに微熱が出て、それが続きます。

夫が「絶対に、おかしい」と感じ、彼女さんを促し、検査のために病院に一緒に行きました。
しかし、医師が「この短期間で再発しているはずない」と言い切ります。

検査は不要だと言った医師に対し、
それでも夫は「微熱がこんなに続くのはおかしいから、どうしても検査してほしい」と、別の科にまで掛け合った末に、ようやく検査が実現しました。


そうして後日、検査結果を聞きにいった彼女さんが、仕事中だった夫の元へと泣きながら電話を掛けてきます。

「再発してた」

まだ30歳にも満たない彼女さんの悲しみと、夫のやるせなさを想像するだに、やりきれない思いに駆られます。


こんな風に、見知らぬ彼女さんに思いを馳せているとき、思うのです。

「私が今生きられているのも、たまたまなのだなあ。一時的かもしれない幸運を手にして、薄氷を踏みながら生きているのだなあ」と。


本当は、健康だったころも、生きているのは「たまたまの幸運」に過ぎなかったはずです。
でもそんなことはすっかり忘れて、生きていました。
人生80年~90年はあるでしょと。
今だったら人生100年時代でしょと。
 

以前、夫とふたりで散歩中に、あるお寺の前に『おまえも、死ぬぞ』と一言、墨で半紙に書かれた言葉が貼られていたのを、今でもときどき思い出します。

健康なときにこそ、この言葉を頭の中に、刻んで、刻んで、絶対に忘れないようにしておくべきだったと、今、思うのです。


朝目覚めて一日をはじめられること。
今、歩けていること。
食べられていること。
誰かとおしゃべりできること。


この「借り物のカラダ」が動いてくれるからこそ、その一つひとつを味わうことができている。


夫は、今日も私のおでこに手を当ててきます。

苦悶の連続によって、夫が否が応でも体得せざるを得なかった医療全般への見識。

うんざりしたこと。
医師にブチ切れて、大げんかしたこと。
信頼できる医師も、少しはいてくれたこと。


その一つひとつの見識が、20年の時を経て、私というガン患者を支えてくれているのでした。


夫は、今日も狭いベランダに立って、タバコを美味しそうにくゆらせています。

今、私は、夫に、禁煙を勧めません。

タバコを吸って、ガンになる人と、ならない人。
タバコを吸わないで、ガンになる人と、ならない人。

その他の疾患も全部そうです。
この4種類が存在し、自分がどれに当たるかは誰にもわからない。


好きにしたらいいのです。
夫の人生は、夫のもの。
夫のカラダは、夫のもの。

タバコなんか百害あって一利なし。
問答無用!


そう断じていた私が、夫への愛情ゆえに「禁煙」を勧める自分から、
夫への愛情ゆえに「喫煙どうぞご自由に」と思えるまでに価値観を変えてゆくのでした。


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