【22】 志村けんさん、岡江久美子さんが亡くなり、日本中が震撼
2020年3月下旬、東京オリンピックの一年延期が決定し、その数日後には、安倍首相が小中高の全国一斉休校を要請しました。子供を持つ友人も大わらわ、教師をしている友人も大わらわ。
そんな中、志村けんさんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
(コロナって、やっぱり死ぬ可能性高いの!?)
馴染み深い芸人さんが亡くなったことで日本中が悲しみ、この訃報により、日本中でコロナへの恐怖の度合が一挙に高まりました。
4月に入って、政府の緊急事態宣言が間近らしいとの記事が、ネットに上がるようになり、ついに7日、首都圏などの七都道県に緊急事態宣言が発令。同じころ、家の近所のスーパーも休業に。スタッフに感染者が出たとのことでした。
4月半ば、全国に緊急事態宣言が拡大されるなか、依然として、私たち親子が通う病院のクラスターは拡大し続けていました。
果たして、私は次回、病院へ行っても大丈夫なのか?
クラスターが出た病院になんか、行きたくないんですけど!!
とは言え、ガン治療のようなスケジュールをずらせない治療を受ける患者は、行くという一択しか用意されていません。
「とにかく、とにかく、気をつけてね」
夫に気遣われ、二重のマスクとめがね、そして使い捨てできるビニール手袋を持参して病院に向かいました。
院内に入ってびっくり。
日頃、朝イチから激混みの受付のフロアが、シーンと静まり返っているのです。「シーン」という音が聞こえそうなくらい、シーンとしているのです。
蜘蛛の子を散らすとはこういうことか……必要最低限の患者に絞ると、病院とは、こんなにも閑散としているものなのか……?
(それはそれで、日頃の病院のあり方が問題なのでは……)
主治医の先生とコロナについて少し話すと、「乳がんの手術の日程を、後ろにずらした患者さんもいます」と言います。
ガンが判って、一刻も早く手術を受けたいところに、コロナで日程延期。一日一日、ガン細胞がカラダの中で増殖する恐怖の中で、「待つしかない」という状況。その怖さと焦りが、痛いくらい想像できます。
主治医の診察後に、抗がん剤室に入ってゆくと、その日担当の看護婦さんがやってきました。
「ただただ患者さん方に申し訳なくて……本当すみません」
院内で発生したクラスターのことを、恥ずかしそうに謝ってきました。
「いえいえ、毎日必死の思いで働いてくれている人たちばかりなのに、本当、イヤんなっちゃいますよね」
マスク越しにそんな会話をすると、気持ちを分かち合えたようで、少し和みました。
ただでさえ医療従事者は緊張を強いられる日々だというのに、研修医たちがとった軽率な行動には、同じ医療者として呆れ、腹が立ったことでしょう。働くモチベーションだって下がりかねません。
その後、注射担当の外科医がやってきました。
抗がん剤は劇薬なので、血管のルートを確保するのも看護師ではなく医師が行います。
いつものように女性医師が私の腕を触りました。
(……なんかイヤだな……触って欲しくない……)
このとき初めて「他人に身体を触られるのが嫌だな」と感じました。
目の前の医師に対し、こんな気持ちになってしまう自分も悲しい。
消毒をしてくれていることは分かっていても、抵抗感があるのです。
誰も、私に近づいて欲しくない。
(どうか、コロナに感染しませんように)
投与が終わった後は、トイレで入念に手を洗い、口をゆすぎます。
院内のどこにも触れないようにして、足早に病院を後にしました。
そんな風にして、三週間に一度の投与を終え、また次の投与日が近づいていた4月下旬に、追い打ちをかけるニュースが飛び込んできました。
岡江久美子さんがコロナウィルスで亡くなったというのです。
家で昼間のテレビ番組『グッディ』を観ている最中、その突然の訃報に耳を疑いました。キャスターの安藤優子さんが毅然とした様子で読み上げる原稿、その隣に座っている俳優の高橋克己さんが涙ぐみ始め、必死でこらえているのがわかります。
明るい太陽のようなイメージの岡江さんが亡くなったことで、コロナの恐怖は、「とどめ」として日本中に突き刺さりました。
後日、岡江さんが乳がんに罹患していたことが知らされ、私の恐怖は一層強まりました。
岡江さんは温存手術後に、放射線治療を行ったとのこと。その後にホルモン剤を服用していたのかは分かりませんが、代表的な標準治療のひとつです。
ガンの罹患と、コロナの重症化や致死率は、やはり関係があるのだろうか?
免疫力が落ちていたとか?
いろいろ調べたり推測しては、不安に駆られます。
少し後に、「ガンの放射線治療と、コロナで死去したことに因果関係はない」という医師によって書かれた記事を読みましたが、依然として、コロナウィルスは分からないことだらけなのでした。
志村けんさんの訃報に続き、まだお若い岡江さんの死。
同じ乳がん患者の立場もあり、ズシンとこたえるものがありました。
こうしているうちに、またすぐに次の投与日が近づいてきます。
病院に行きたくない……だって今コロナに罹患したらシャレにならないよ。
けれども行くしかない……。
行かない方法は、ないのか。
ないだろ! 今やめたら、これまでの治療が無意味になるよ。
じゃ、行くしかないのか。でも怖すぎるだろ……。
じゃあ、行かなきゃいいだろ!
うるせーな、行くしかねーだろ!
……って、もう……疲れた……。
またいつもの調子で、ぐるぐる悩み続けるのでした。
「行く」と決めることも、「行かない」と決めることもできない。
二律背反したまま「どちらを選んでも、イヤ」という往生際の悪さ。
我ながら、呆れます。
「スッキリ、決められないし、決めても、納得できない」
いったい私の脳みそに、どういうことが起こっているのか。
この綱引きのような「感情の引っ張り合い」のメカニズムや対処法を知る日が近づいてきています。
あと少し。がんばれ私。
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