藤原彰『中国戦線中軍記 歴史家の体験した戦場』 : 「木を見て森も見る」歴史家の目
書評:藤原彰『中国戦線中軍記 歴史家の体験した戦場』(岩波現代文庫)
著者のことをまったく知らずに、本書を手にした。もちろん、岩波書店の本なのだから、反戦的な立場の本であろうとは思っていたが、サブタイトルに示される「歴史家」としての著者の業績については、まったく無知だったのである。
そんな状態で本書を頭から読んでいくと、本編である「中国戦線従軍記」に書かれていることは、それほど「目新しい話」ではなかった。「欧米列強の帝国主義の脅威から東アジアを解放するという建前で、中国大陸に進駐したはずの日本軍。しかし、兵站を疎かにした無計画な戦線拡大のせいで、現地の日本兵たちは、食料などを現地調達しなければならなくなり、現地の中国人住民からあらゆるものを略奪して苦しめ、憎まれた」「しかし、それでも食料が足りなかったために、多くの日本兵が、栄養失調や飢餓が原因で斃死し、その数は戦闘による死者数を凌駕した」というような話である。
そして、この「従軍記」は、戦後に著者が現代史学者になるところで終っている。
これだけならば、今更どうと言うこともない「周知の話」なのだが、本文庫版に収められた、著者の「その後」である、学者としての半生を記した「ある現代史家の回想」を読んでいくと、著者が、戦後の日本における「現代史」という学問ジャンルを築き上げた中心人物のひとりであり、私が「周知の話」と感じているような歴史的事実も、著者らの長年の研究努力の賜物であったことが、よくわかった。いま、私たちが「日本の戦争の実相」に接することが出来るのも、著者をはじめとした先人たちの、血と汗の結晶に他ならないことを知ったのである。
著者は、かなり早い時期から、日本の戦争に疑問を持った人であることが「従軍記」には示されており、それが戦後の「リベラルな歴史学者」を形成していく様子が「回想記」において語られている。
そうした一連のエピソードの中で、私が注目したのは、全共闘運動華やかなりし頃、著者は大学側の責任者として、全共闘の学生たちと対峙し、吊るし上げられるなどして、かなりひどい目に遭っている、という事実だ。
しかし、そうした体験にもかかわらず、著者のリベラルな姿勢はいささかも揺らぐはことなく、のちに「南京大虐殺」問題や「沖縄戦」問題など、今も続くアクチュアルな歴史問題について、生涯リベラルな立場から、反動的な政治勢力と対峙し続けたというのは、ある意味で驚くべき事実である。
全共闘運動の時代に、学生たちに虐められたせいで、リベラルな姿勢を捨てて「管理(統治)者的な立場(視点)」重視に転向してしまった大学教授は、決して少なくなかったはずだし、それも人情としては分からない話ではない。
なのに、著者の場合にはそうならなかったのは、なぜか。
それはたぶん、彼が戦場で体験してきた「理不尽」を思えば、全共闘の学生たちに多少の理不尽があったとしても、「それは彼らなりの善意に発する、権力への反抗なのだ」という、正しい理解があったからではないだろうか。
著者が戦場で、指揮官として正しい判断をしたからこそ部下の無駄死にを減らせたというのも、それは著者が「目先のことだけにとらわれない」人だったからであろう。その同じ「冷静な目」を、目の前にいる「全共闘の学生たち」にも向けたからこそ、目先のことにとらわれず、正しい判断評価を下せたし、そのせいで、著者自身「道を誤る」こともなかったのではないだろうか。
「目先の利害のとらわれて判断を誤れば、それは死への道を選ぶことになる」というのは、著者にとっては、戦場においても、戦後の歴史論争の場においても、まったく同じことだったのではないだろうか。
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