書評:北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』
(※ 再録時註:本稿初出時には、まだ「ネット右翼(ネトウヨ)」という言葉は、一般化していませんでした。ちなみに「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の設立は2006年)
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「最近読んだお薦め本」をご紹介しよう。
東京大学大学院の助教授で、理論社会学とメディア史を専攻する、当年33歳、気鋭の研究者、北田暁大の新著『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)。
そのカバー袖に刷られた内容紹介文と、帯の背面に引かれた著者による「序文」の一部を、それぞれ以下に引用する。
見てのとおり、ここには私が「否定的に興味を持ってきた問題」が、「一連の問題系」として論じられている。すなわち、「若者の右傾化」「純愛小説ブーム」「セカイ系」「2ちゃんねる的アイロニー(=嗤い)」。これらの問題を、北田は「反省」という心的機制の変容を辿ることにより、かなりすっきりと解きあかして見せている。
しかし、北田自身、謙虚に認めているように、解きあかしたからといって、それで問題(病理的に脅迫的な、若者の社会精神状況)が解決するわけではないし、北田にも「処方箋」の提示はできない。
しかしまた、現状を嘆き、やみくもに否定するだけでは、解決へのわずかな糸口を見つけることさえ不可能なのだから、まずは現実を正確に理解しなくてはならない。
一一そうした現実理解の努力に資するものとして本書は書かれ、北田自身はそうした努力とはまた別に、同時に、自分なりの現実へのアプローチを模索的に試みている、ということのようだ。
本書に掲載された著者近影(写真)を見ると、十ちかく年上の私などには、東大大学院の助教授である著者が「どこにでもいる若者」のように見えてしまう。しかし、それは著者自身、喜んで認めることなのだろうし、そんな若者が、自分たちの世代の問題を、このように真摯に考えているというのは、やはり、ひとつの希望の灯だとも言えるだろう。
私にとって、本書は裨益されるところ実に多く、これまでモヤモヤしていたものに、かなりハッキリとした形を与えられたよう思う。しかし、そこでハッキリさせられた現実とは、必ずしも御しやすい現実ではなかったというのも事実なのだ。
私は、社会人になった18歳の年以来(この二十数年間=おおむね、四半世紀!)、ほとんどテレビを見ないようになったため、テレビ文化にかかわりの深い、(消しゴム版画家)ナンシー関というエッセイスト(評論家)に興味を持ったことはなかったが、北田が共感をもって描き出したナンシー関の(テレビ文化との)「死闘・討ち死」の姿は、私の心をも揺るがすものであった。
本書が描き出した「アイロニカルな世界」は、相当に手強い敵だと言えるだろう。だが、本書を読んで、私が感じたのは「まだ希望はある」ということであった。――多くの方に本書を、ぜひお薦めしたいと思う。
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