森見登美彦『四畳半サマータイムマシン・ブルース』 : やっぱり無視できない〈順序の問題〉
書評:森見登美彦『四畳半サマータイムマシン・ブルース』(KADOKAWA)
本作は、著者・森見登美彦の代表作の一つである『四畳半神話体系』と、劇作家・上田誠による『サマータイムマシン・ブルース』(劇団ヨーロッパ企画)とのコラボ作品で、『四畳半神話体系』の後日譚となっている。
端的に言うなら、『四畳半神話体系』のキャラクターたちを『サマータイムマシン・ブルース』のアイデアに乗せた作品であり、それ以上でもそれ以下でもない。
私としては、本作がひさしぶりに見かけた「森見登美彦の新刊」だったので(事実は知らない)、読んでみようと思った。「タイムマシンもの」が嫌いではない、ということもあった。
書店頭で本書を手に取ってみると、本作は、同名映画(本広克行監督)にもなった舞台作品『サマータイムマシン・ブルース』を踏まえて書かれた「オリジナル作品」であり、同作の「ノベライズ」ではないとのことなので、本作『四畳半サマータイムマシン・ブルース』を読む前に、いちおう「原案」を知っておこうと、『サマータイムマシン・ブルース』の映画版を視ておくことにした。
私は、レンタルでは映画を視ない主義なので(と言うのも、レンタルで安く映像作品を視はじめると、本が読めなくなるため)、某ブックオフオンラインで、映画版『サマータイムマシン・ブルース』を中古購入し、ノベライズが出ていることもわかったのでそれも併せて購入し、その映画版を視、ノベライズを読んで、それぞれのAmazonレビューを書いたから、おもむろに本書『サマータイムマシン・ブルース』を読んだのである。
で、どうだったかと言うと、映画版やノベライズを視たり読んだりしていなかったなら、つまり「原案」部分を知らなかったら、もっと楽しめただろうな、という感じだった。
決して不出来な作品はないのだが、ネタと展開が「原案」とほとんど同じなので、「タイムマシンもの」としての「新味」や「オリジナリティ」は、まったく無かった。なつかしいキャラクターたちの活躍も、それなりには楽しめたが、作品としても『四畳半神話体系』を超えるものではなかったのである。
つまり、本作を、映画版やノベライズを視たり読んだりする前に、先に読んでいたら、もっと楽しめたはずなのだが、先に「原案」の中身を知ってしまった私は、まるで「先の展開をすべて知っている未来人」のごとき目で、本作を読むことになってしまったのである。
この「物足りなさ」は、例えば、意中の女の子をデートに誘おうと決心し、内心おおいにビビりながら誘ったところ、幸いにもOKがもらえた場合、その喜びは「比類のないもの」だろう。
ところが、タイムマシンで未来へ跳んで、デートの誘いが成功するのを知った上で、デートの誘いをして、当然のごとくうまくいったとしても、その感動は、ずいぶんと薄まってしまうのではないだろうか。なにしろ「今この、デートの誘い」の「結果」を知っていたというのは、「比類があった」ということだからである。
別の喩えをしよう。
「本格ミステリ」作品には、よく「最期の1行で、世界が反転する」「驚天動地のラスト」「この結末を、決して人には話さないでください」なんていう惹句が付されるが、すれっからしのミステリマニアだと、こうした惹句を読んだだけで「あのパターンだな」と察してしまい、それだけで半ば「ネタバレ」となってしまって、楽しみも半減してしまう。
しかし「あのパターン」を知らない(まだ読んだことのない)読者だと、その作品が、ほとんど「二番煎じ」「百番煎じ」の作品であっても、なにしろ「初めて出逢うパターン」なので、「これはすごい!」と驚いて感動し、絶賛することも珍しくないのだ。
つまり、読書においては「順序」が大きな問題となる。
「古典」と呼ばれる作品を読んでいない人にとっては、それが「二番煎じ」「百番煎じ」の作品、あるいは「焼き直し」作品であっても、その作品こそが「最初」であることにおいて楽しめるし、感心も感動もできる。だが、「時系列」にそって「先行作品」を読んでいる読者にとっては、その同じ作品が、「二番煎じ」「百番煎じ」あるいは「焼き直し」作品としか感じられず、感動も薄くならざるを得ないのだ。
前述のとおり、私は本作を読む前に、『サマータイムマシン・ブルース』の映画版を視、そのノベライズを読んだ。そして、そのノベライズのレビューにおいてすでに、「映画の魅力を忠実に伝えようとしたノベライズ作家の意図と努力には敬意を表したいが、いかんせん独立した小説作品として見た場合は、新しいアイデアも小説的な独自性もないので、物足りないと評さざるを得ない」という趣旨の評価を下さざるを得なかった。
当然このことは、本作『四畳半サマータイムマシン・ブルース』についても、基本的には、まったく同断なのである。
無論、本作の場合は、「原案」たる『サマータイムマシン・ブルース』の「ノベライズ作品」ではなく、登場人物も舞台も異なる「オリジナル作品」である。だが、「違いはそれだけ」だとも言え、端的に言えば「オリジナリティに乏しい、オリジナル作品」でしかないと言わざるを得ない。
だから、本作を読むのなら、原案たる『サマータイムマシン・ブルース』(舞台版や映画版、およびノベライズ)を視たり読んだりする必要はないし、それをすでに視たり読んだりしている人なら、あえて本作を読む必要はないだろう。そうした「先行作品」を知っていても、なお読もうというのは、森見作品なら何でも読んで楽しめるという、森見ファンだけで十分なのではないかと思う。
最後に繰り返しておこう。
本作を読むのであれば、事前に、原案たる『サマータイムマシン・ブルース』(舞台版や映画版、およびノベライズ)を視たり読んだりする必要はない、むしろ、そうしない方が良い、と。
初出:2020年8月9日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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