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ナボコフの文学講義

 正直に申しまして私はナボコフの本の中ではヨーロッパ文学とロシアを扱ったナボコフの文学講義が一番いいと思っています。ナボコフは二十世紀文学を代表する作家であり、数々の代表作があります。当然私も全作品とはいわないものの、長編小説は代表作の『ロリータ』や『青白い炎』は勿論、デビュー作の『マーシェンカ』から『道化師をごらん!』まで大体読んでるんですよ。それでもやっぱり自分の文学観に影響を与えたのはこれら講義集なわけです。

 まあ、なぜ小説より講義集に影響を受けたかというと単に講義集の方がわかりやすかったからという、無知無学の私らしい情けない理由からでもありますが、ここには小説の構造というか、ストーリーの組み立て方が完全にまるでプラモの組み立て方のマニュアルのように面白く描かれているわけです。

 ナボコフといえばまずロリータの作家でありまして、文学を大して知らない人からはいまだに色物扱いをされることがあるようですが、文学の世界では芸術主義を極めた作家として有名です。そのナボコフの芸術主義的な文学観は徹底したもので、彼の文学観にそぐわぬ作家は徹底的に批判されています。代表的なのはやっぱりロシアの先輩作家ドストエフスキーでしょうか。実は私、若いころドストエフスキーにハマっていまして、そんな時たまたまナボコフのこの文学講義集を知ったんですよ。私は当時ナボコフを『ロリータ』ぐらいしか読んでなくて、単純に『ロリータ』の作家がどうドストエフスキーを論じているんだろうって興味をもったんですよ。ドストエフスキーもナボコフのロシア人。『罪と罰』の作家を『ロリータ』の作家がどう論じるんだろう。もしかしたら深い共感をこめて熱く語っているのではないかと。

 だけど読んでみたら全く真逆だったんですよ。図書館で『ナボコフのロシア文学講義』の中のドストエフスキー論を読んで私はのっけからの全否定に(当時はそう感じましたが、今は違うと考えています。ナボコフとドストエフスキーについては後日書けたらいいなと思っています。)衝撃を受けて怒りのあまり本を叩きつけてやりたい衝動に駆られました。ドストエフスキーは偉大でなく、むしろ凡庸な作家であるとナボコフは冒頭から断じていますが、私はこの件を読んでお前何様のつもりだよと心の中で突っ込みましたよ。だけどまあそれに耐えて冷静に彼のドストエフスキー論を読んでいると、これが確かにそうだよなとも思えてきました。まあ、経緯はざっくり端折りますが、この文学講義集を読んでいるうちにいつの間にかナボコフに洗脳されて彼の作品を片っ端から読み始め、その一方で急にドストエフスキーに興味をなくしてしまいました。当時は若かったからそれなりにバカだったんですね。まあ今では年を取ったせいか両作家とも客観的に見ることが出来るようになりましたが。

 そんなわけで今ではナボコフもドストエフスキーもほとんど読んでいないのですが、そんな私が今でも時折読んでいるのがこのナボコフの文学講義集なわけです。私は当然ロシア文学講義を読んだ後にヨーロッパ文学を扱った文学講義の方も当然読んだんですよ。正直に言ってこちらの方が面白かった。正直に申しましてロシア文学講義の方は純粋に文学を知りたいという方にはあまりお勧めできない本です。なぜならナボコフが亡命ロシア人であることもあってロシア文学への想いが強すぎて純粋な作品論になっていない所が多々あるからです。それに比べてヨーロッパ文学を扱った文学講義は十九世紀文学からジェイン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』チャールズ・ディケンズの『荒涼館』ギュスターブ・フローベールの『ボヴァリー夫人』スティーブンソンの『ジキルとハイド』、二十世紀からはフランツ・カフカの『変身』マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』といったいわゆる文学史的なを扱っていますのでただ純粋に作品を評論、分析しています。

 ナボコフのこの文学講義集って本はなんか文学好きの人の中では芸術主義者ナボコフの偏見丸出しの評論扱いされている所があって、実際本を読むとあちらこちらににそんな芸術主義的、あるいは貴族主義的な偏見に出会いますが、そういうものを抜かして読むとこの本が実は非常に優れた小説の読み方、書き方の教科書であること見えてくるんです。特に『ボヴァリー夫人』論は非常にためになりました。ディケンズの『荒涼館』の主題から主題の移行が章から章への移り行きと一致しているが、フローベールの『ボヴァリー夫人』は章の中で絶えず移行しているという事を綿密な分析で論じている所は小説家を目指そうとする人は必読じゃないかってぐらいに面白い。ナボコフの文学講義の面白いところは作品を徹底的に分解してその構造がどうなっている所を教えてくれる所にあると思いますが、このフローベール論はそれが一番出ていて非常にスリリングであります。勿論他の作家の作品論も面白くためになりますが、私にとってはやっぱりフローベール論は一番面白い。

 この文学講義はさっきも書いたように十九世紀文学と二十世紀文学の講義が収められているわけですが、私にはその構成が小説の読み方、書き方の『基礎編』『応用編』に思えてしまうのです。とりあえずオースティンの『マンスフィールド・パーク』、ディケンズの『荒涼館』、フローベールの『ボヴァリー夫人』で小説の基礎を学んで、次はそれがどう応用されたかをカフカの『変身』、プルーストの『失われた時を求めて』、ジョイスの『ユリシーズ』で見てみようと言った感じに。

 というわけで完全に尻切れ蜻蛉ですが秋の読書感想文としてとりあえずほんの読み方について書きました。感想にもなっていない駄文ですがよろしくお願いします。


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