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個別最適な学びについて考える(105)ー有田和正(2004)学級づくりと教師のパフォーマンス術ーから

お疲れ様です.本日も元気にアウトプットをしていきましょう!

下書きに入れておいてあげるのを忘れてしまうのが土日ですね。
貯めができる時には貯めておくというのがこの記事を書くときの鉄則です。
思いつかない日もあるので先にここの話題だけ書くなんて時もあります。

アウトプットができる時にするとめんどくさいとも感じなくなります。ぜひやってみてください。

本日は「有田和正(2004)学級づくりと教師のパフォーマンス術.明治図書,東京」です。では,早速読んでいきましょう!

2 まちがえるのも指導技術
まちがえようと思わなくてもまちがうのが人間である。しかし、子どもたちは、「先生は、まちがえないものだ」と思っている。
これでは困る。知らぬまに、ウソを教えていたらどうなるか。まちがったことを教えていたらどうなるのか。

子どもたちに、「先生もまちがえるものだ」と思わせておけば、子どもの方が用心して話を聞き、自分で調べ先生のいうこと、教えたことがすべて正しいと思えば、絶対に調べたりはしない。
わたしは、よくわざとまちがえてみせる。子どもたちも、このことに気づいてくる。

ありたせんせいは、どうして、わざとまちがえるのかな。しっているのに、わざとまちがえるのかな。
でも、ぼくは、こういうせんせいのくらすにはいって、たのしいおもいができそうです。


一年の六月の初めに、教師がわざとまちがえていることに気づき、そのことを、おもしろいと思っているのである。
まちがえる先生のクラスに入って、楽しい思いができそうだ、と喜んでいるのである。
教師がまちがえるくらいだから、ぼくたちがまちがえるのは当然だ、まちがうことは、恥ずかしいことではないのだと、思うようになってくる。
そうすると、子どもたちが、思い、考えていることを、自由に発言するようになってくる。
教室に表をはって、一回発言したら丸を一つつけるーなんてのを時々見かけるが、これは一時的なもので、表がなくなれば、たちまちもとにもどってしまう。
子どもたちの姿勢・意識を変えなければ、だめである。

10月になると、次のようになる。

有田先生は、ふしぎな先生です。
なぜかというと、まちがえたり、へんなことをゆったりするからです。
たとえば、「2+2は0だね」とか、「2ー2は4だね」とかいいます。
それで、ぼくたちは、いっしょうけんめい、先生におしえます。
だけど、なかなかきづいてくれません。
まるで、ぼくたちが、先生におしえているようです。

有田和正(2004)学級づくりと教師のパフォーマンス術.明治図書,東京

わざと間違えることも指導技術というのは非常に興味のあるテーマでした。
自分の中では,子どもたちにエラーを起こさせるというのがいつものおもいです。
これまでの知識を使えば解けるはずですが,今回は解けないなぜ?と思わせるようにすると,気づけば問いが生まれてくるのかなと思います。

わざとやっているとなぜ?と子供たちは疑うわけですが,気づいてくる児童が多数です。
先生ここだよって伝える能力、また言える雰囲気になっていることも必要なのかもしれません。
間違えすぎてもダメですが,わざと間違えると気づけば有田先生の学級の10月みたいになっているのかもしれませんね。

気づけば教師から離れて伝えるために学んでいるようになれば,それは個別最適や主体に近づく授業なのではないでしょうか。

本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!

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nanjolno
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