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世阿弥で哲学がしたい!『風姿花伝』ってどんな本?まずは序言を読む。
世阿弥で哲学の卒論を書いてみたい。
その思いが固まったのは昨年の8月でした。
室町時代に活躍し、足利義満から寵愛された天才能楽師を研究するのはとても難しいことです。彼が哲学者と呼ばれることはほとんどないし、哲学的に捉えようという前例もあまり見当たりません。
この気持ちで卒論を書くには、まず世阿弥が残した書物を読もう。
彼の理論を「使える知識」にするために、これから世阿弥の著作をnoteにまとめていきます。
今回から、世阿弥が最初に著した『風姿花伝』を読んでいきます。
今回は、『風姿花伝』の大まかな構成と序言についてまとめています。最後に、序言を読んで思うことも書きました。
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
世阿弥という人物については、下のnoteに書いています。
こちらも合わせて読んでみてください。
なぜ世阿弥は『風姿花伝』を書いたのか?
世阿弥は、能を大成した人物としてよく説明されます。それは彼が役者としてだけではなく、演出家、作曲家、振付師などといったさまざまな目線から能を体系化していった、彼のオールラウンダーな活躍が評価されているからだと思います。
しかし、私は世阿弥がこのように能を大成させたことを、彼だけの功績とは言い切れません。世阿弥の父親である観阿弥も、能楽を現在の形にすることに大きく貢献していると思うのです。
観阿弥清次は大和国(現在の奈良県)で活動していた猿楽一座の座長でした。この一座を引き継いだ二代目が、観阿弥の長男である世阿弥元清です。
観阿弥は、大和猿楽という大衆芸能の質を高めるために、他の芸能の要素を盗んで自分たちの芸に取り入れていきました。同じ猿楽でも異なった雰囲気を持った近江猿楽からも、技を盗んで芸の幅を広げていきます。そうして色々な要素を持った大和猿楽を「幽玄」という方向でブラッシュアップしていったのが、息子の世阿弥なのです。
世阿弥が大和猿楽を「幽玄」という方向でブラッシュアップしたのは、ある権力者の存在があったからでした。
その名は、足利義満。室町幕府第3代将軍で、当時最大の権力者でした。
美形だった世阿弥は義満からの寵愛を受け、当時の最高の教養に触れて成長していきます。この経験が世阿弥のその後の活躍に大きく影響を及ぼします。
観世一座の芸を次世代にどう継承していくか。
自分が死んだ後も、この芸能の形を残していくにはどうしたらいいのか。
その思いが、『風姿花伝』を書くきっかけになったと考えられます。
しかし、文字にして残すことにはリスクがあります。他の流派に極意を知られて乗っ取られるしまう可能性があるのです。その危険性から、当時はタブーとされていました。
世阿弥は口伝えで伝統を守るという慣習を破り、日本で初めて能楽の理論について書物を作り上げました。後世にまで彼の名が残るのは、それまでの慣習とは違った形で、確実に伝統を残す選択をした点にもあると言えます。
自分の流派らしい芸風を他の流派に盗まれることなく、長く守っていくためには、理解ある後継者だけに芸の本質を受け継ぐのが確実です。多くの人に読まれると解釈が多くなって正しく継承される可能性が下がるし、後継者としてふさわしい実力がまだない人が読んでもその本質を掴むのは難しいでしょう。
『風姿花伝』は、実力ある限られた人間だけが読むことを許された秘伝の書なのです。
『風姿花伝』の構成
「風姿花伝」という伝書は、全部で7つの章で構成されます。しかし、複数回に分けて書かれていることから、①30代後半に書いた部分、②40代初めに書いた部分、③40代半ばから50代後半にかけて書いた部分の、大きく3つに分けることができます。
第一 年来稽古条々(年齢に応じた稽古方法)
第二 物学条々(役に応じた演技方法)
第三 問答条々(能楽の演出や能の作り方に関するQ&A)
第一から第三の3つの章が応永7年(1400)、世阿弥が30代後半に書いた部分です。
第四 神儀云(神事としての能の成り立ち)
第五 奥義云(芸風を獲得するための方法)
第四と第五の2つの章は応永9年(1402)、世阿弥が40代初めに書かれたものになります。
第六 花修云(能を作る際の脚本論)
第6章は年代不明ですが、世阿弥が40代半ばの頃に書いたものではないかと推測されています。
第七 別紙口伝(「花」について)
最後の章は応永25年(1418)、世阿弥が50代後半に書かれたものです。
世阿弥の年齢を明言していないのは、彼がいつ生まれたのかはっきりとしないからです。亡くなった年についても正確な情報は残っていません。
今回から、「風姿花伝」を1章ずつ記事にしていきます。
「風姿花伝」の本文は、『世阿弥・禅竹』(表章・加藤周一校注)(日本思想体系(芸の思想・道の思想)1、岩波書店、1995年)の「風姿花伝」から引用しています。
世阿弥から能役者への忠告!?
最初は『風姿花伝』の本文に入る前に、序言を見ていこうと思います。
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