自身が思っているより 時間はゆっくり流れている という感覚をまず 前提として考えておく必要がある 世の中は確かに 目まぐるしく変化しているのは事実 ですが まず思いこすべきは 地方、特に片田舎に住む人々の 時間感覚は 明らかに違うのではないかと 思われます 単純に 情報量の差 普段目にするもの 情報媒体の限定性 コミュニティの範囲 などなど 仮にこの情報量の差が 大きな要因を占める場合 果たしてこの人口洪水東京で どこまでの情報操作が可能かどうか ・一般的に知
最近の課題 体感時間、というよりかは 思考時間を よりリアルタイムに寄せることは 可能なのだろうか 例えば 何か予測を立てるとします これは誰しもが行うことなので 自然なことかと思います では直感的に 一つの動作から何通りもの予測を立てる これに関しては 実際に経験しているか 知識として備わっているかなどで 個人差が生まれます 一つの動作から 1、2個しか連想できない人もいれば 10個をも 予測を立てることができる人もいます 情報の処理スピードや 容量にも個人差は
気付けば スマホあり気の生活が当たり前 当然 メリットもあればデメリットもあります 誰とでも繋がれる (繋がっていると思い込んでいる) そんな状況が常になり ある意味では 社会性の動物である我々にとって 孤独は死を意味した遥か昔の時代の DNAが 未だあいもかわらず我が物顔 さて、そういう意味では 救済の一助を担っているわけですが ご存知の通り タイパを嘆く現代の若者にとって 矛盾も矛盾 繋がりから得られる デメリットには そもそも辿り着けない仕様 繋がらない
“浮き足立つ”という言葉は ネガティブな意味で使用するものだと 今知りました笑 浮かれた感じは “浮き立つ”という表現を使うそうなので 浮き立つ足、というわけです笑 ・はい、というわけで 制作が終わって 一段落つきそうではありますが まだどこか ふわったした感覚が抜けません 早い段階で切り替えたいのですが もう少しこの感覚の惰性に 浸っても良いのではという微妙な状況 とはいえ時間は有限であります 次、次と切り替えていかないと あっという間にクリスマスで正月です い
今時の言い方をするならば タスクが溜まった状態 とでもいうのでしょうか 脳内がそのタスク つまり処理すべき事象が溜まっていくと 今後の予想時間配分と 実際に取れる時間配分との差に ズレが生まれ 時間の流れが急に早く感じる 果たして この現象の最大の原因は 一体どこにあるのか 検証してみましょう 脳の処理速度に関して 個人差があるのは まぁ先天的なものとして 単純に 溜め込むという行為そのものに フォーカスした場合 そもそも あれをしてこれをして と 発想が浮
何かが始まれば 何かが終わるということを意味し 終わるということは 何かが始まるということなわけですけれど その際限ないループこそが 人のバイオリズムや 宇宙全体の周期を物語っていますし 繰り返される日常に はて、自身でどんな花を咲かせるか つまり 燃え尽き症候群なぞ 甘えのように感じるようになった 今日この頃というわけです笑 ようやく一つの終わりを迎え さぁてこれから 新しいことを始めようという時に あれ?それ以前は どんなだったかな と思い出そうとする自分が
なんだか最近 よくわかりませんが なにがしかに 導かれているような気がします スピリチュアル要素が 含まれてしまいそうで こういう話題はあまり得意では ないのですけれど 偶然が偶然を呼ぶと言いますか 謎に流れが発生しています 思い込みの類であるだろうという 憶測ももちろんございますので 話半分くらいのノリで 私自身が書いていこうかなと ・こういう時に 最初に思いつくことといえば 鶏が先か卵が先か、問題 結局 そう思うからそうなったのか そうなるからそう思ったのか
この夏は よく美術館やギャラリーに 足を運んでおりました 行こう行こうと 思って結局行かなかった なんてこと過去に 何度もあったなとふと思い出し いやいや 今いかなくていつ行くの?? というど定番フレーズ 何年経っても種火のような 自身の心の内に潜む小さな願望 ・いつから 欲求とは大きく突き動かされるものだ という先入観と固定観念 振り回されるくらいで なんぼなんじゃいと言わんばかりの 暴挙っぷり しかし 人には慣れというものが存在し 刺激に対し耐性が生まれる
ようやく 6曲入りのミニアルバムが完成、、、? 最終微調整中なわけですけれども なかなかにどうして 気付けば1年半も経過している..笑 一年半もあると 一曲目を作った頃とは もはや 考え方も捉え方も変わってきているので なかなかに別人である 当時の自分の感性を織り交ぜる不思議な現象 正直、自身で言うのもなんですが 音楽性の統一性が弱いようにも感じます笑 ・それはさておき 結局は このミニアルバムはなんじゃらほい というわけですけれど なんなのでしょう?? 商業的な
私はどちらかといえば よくメモを取ります といっても主に考察事に限った話ではありますが笑 スマホのメモを活用することもあったり でも 適当なサイズに切った紙に書くことが多いです。 一定期間は関連付けて 考察を展開していくことが多いので 枚数が溜まっていきます それは 大体台所にマスキングテープで貼っておいて タバコを吸うときに再度見返すような ひどいときには 台所が紙で埋まっています笑 自身の中で 落としどころがついた時点でそれは回収 まとめてしまっておきます
生活を質素にすればするほど 習慣的行動を増やせば増やすほど 心身ともに 健康になってきているこの現状 基質のよるものとは思いますが なんだか不思議なものです 余計なものへの意識を割く時間も 労力も削減できているためでしょうか 重要な決断が そんな頻繁にあるわけではありませんが いざというときのために いつでも余裕があるような ・結局のところ 後にも先にも どんな状況でも余裕に勝る価値観なし というのはもちろん過言ですが笑 割と的を得ているのではないのでしょうか
子供がかわいいなら、 甘やかさないで、 世の中のつらさを経験させたほうがよい。 というのが一般的な意味とのことです ごもっともな意見です なんとなくの雰囲気で 意味を理解している言い回しって 多いなとふと思いましたのでつい ・虎穴に入らずんば虎子を得ず 危険を冒さなければ、 大きな成功は得られないことのたとえ。 ハイリスクハイリターン とまでは言わずも 波風立たぬぬるま湯に浸かっている状態は やはりよろしくないということですね ・井の中の蛙大海を知らず 自分の狭
とはいうものの 私は無神論者ではございます もちろん 信仰を否定しているわけでもなく アイドルを追いかけている ファンの如し 偶像対象を崇め奉るという意味で 同義と捉えております ですので 各々の世界観において 心身の支えになっているのであれば 推奨すべき行為だとも思っています 単純に私自身が そういう類の行為が苦手というだけのことで それはそれで 少し人生損しているような そうでもないような?? ・では本題です 可能な限り現実主義でありたいと願う そんな心持ちなわ
宇宙のような マクロ的な意識と 量子のような ミクロ的な意識 アイディアのような 拡張型の思考と 公式のような 収束型の思考 これをとてもわかりやすく 説明いたしますと 部屋を整理するために 一度全部出して 整理していくかのような笑 部屋掃除で言うところの アイディアとしてのいい例が あれ、 こんなん持ってたっけ? という現象に近いのでは 本来結びつかない 点と点がきっかけ一つで繋がる それがアイディア そう もともと所有しているもの同士の結合 思考の部屋に
年齢を重ねる毎に 自分と気が合う人、合わない人 なんとなくわかってくると思います とはいえ 気が合う人全員が全員 100%気が合うか というわけではもちろんなく 自分の この部分とはとても相性が良い などなど 部分的な訳ですけれども それでもなかなかにどうして その影響力は とてもありがたいわけです 誰しもが二面性にはとどまらず 何面性もの 顔を持ち合わせていることと思います だからこそ その見極めを行うということは 意外にも重要なのかもしれません もちろん た
まるで自身の分身が数歩先に いるようなそんな感覚をイメージ 自由意志で 脳の発火に追いつくには 果たしてどうしたものか なんて アホみたいな心理実験を行なっております 数歩先のそやつは時折 変な動きをさせて遊んだりもできます でも大概は 行動をなぞってみる 大分変な感覚ではありますが 自身の先の行動イメージをトレース これを繰り返していくと どうなるかといいますと 自身をイメージ通りに動かす つまり 思いつきの行動へ すぐ移り変わるということが 可能になるのでは