不思議な行動理論
なんだか最近
よくわかりませんが
なにがしかに
導かれているような気がします
スピリチュアル要素が
含まれてしまいそうで
こういう話題はあまり得意では
ないのですけれど
偶然が偶然を呼ぶと言いますか
謎に流れが発生しています
思い込みの類であるだろうという
憶測ももちろんございますので
話半分くらいのノリで
私自身が書いていこうかなと
・こういう時に
最初に思いつくことといえば
鶏が先か卵が先か、問題
結局
そう思うからそうなったのか
そうなるからそう思ったのか
正解は誰にもわかりません
しかし
私自身が行動そのものの
本質を切り替えてから
そういう風な流れに移行していった
そのように感じています
運命とか神の導きだなんだと
安い言葉で片付けてしまっては
何も面白くありません
ここはやはりさらなる人体実験
生ける屍、もとい実験体の権化
そんな私自身で検証していかなくては
勿体無いではありませんか笑
どう思考を展開すれば
そのような流れに結びつくのか
そもそも
意識してしまった時点で
それは量子論的な
干渉が発生してしまい
結果への影響が変わってくるのか
・というより矛盾も矛盾
現在は
いかに思考をしないか
ということに注力しております
夏に読んだとある本において
一神教のさらに前の時代の
信仰心の在り方に
類似した点を発見いたしました
存在を認めた時点で
自己矛盾が発生するため、定義しない
これを心理に当てはめると
思考、
つまり自己認識をした時点で
すでに
無数の自己矛盾が発生している
ということに気付かされます
例えば
自分はこういう人間なんだ、と
定義付けすることが
いかに矛盾をはらんでいるか
状況が変われば人は変わります
〜ができない
と決めつけてしまっては
本当はできるかもしれないのに
可能性すら蝕んでしまっている
自身が何者であるか
何であるかは
取るに足らない些細なこと
本質的には
何もない、何者でもない
だからこそ
そこには可能性が生まれる
では何で示すか
行動のみでしか証明できない
つまり原因も結果も
副産物でしかありません
まずは
目の前の事象に尽力する
それだけでよい
あとは頭を空っぽにしておく
いかに身軽になれるか
いかに余裕を生成するか
なるほどなるほど
まだまだ気になることは
未知未知ていますね
楽しいぞ笑
最後まで
お読みいただきありがとうございます