居場所にパズル
年齢を重ねる毎に
自分と気が合う人、合わない人
なんとなくわかってくると思います
とはいえ
気が合う人全員が全員
100%気が合うか
というわけではもちろんなく
自分の
この部分とはとても相性が良い
などなど
部分的な訳ですけれども
それでもなかなかにどうして
その影響力は
とてもありがたいわけです
誰しもが二面性にはとどまらず
何面性もの
顔を持ち合わせていることと思います
だからこそ
その見極めを行うということは
意外にも重要なのかもしれません
もちろん
ただなんとなく気が合う
という間柄もとても魅力的です
何事も言語化すれば
良いという訳でもないでしょうから
・全く自分と同じ人間は存在しません
だからこそ
自身に足りない部分を
他者に補って貰ったり
そのパズルの組み合わせは
多種多様で
形は固定されていません
その変化こそが
人の成長だったり何だったり
・改めてそんな折
今の自分が望むはなんだろう
どんな形なんだろう
なんてふと思ったり
どうなりたいのか
何をしたいのか
過去がどうとうか
そういう話はもう丸めて放り投げ
何歳になろうが
死ぬまで終わりはないのですから
常にパズルのピースを
探し続ける
見つからないかもしれない
見つかるかもしれない
居場所があるかもしれない
ないかもしれない
でもやはり変わり続けることこそが
今という自分の最大の暇つぶし
誰にどう思われようが
知ったことではありません
肩の力を抜いて深呼吸
ただただそれを繰り返し
直感に従えば
自ずとと見えてくるのでしょう
いや、知らんけれど笑
・本質的に
何も考えないことが理想とする
自身の意思
じゃあこのNoteはなんやねん
とツッコミを入れられそうですが
正直その日その日
その場で思い付いたことを
書き綴っているだけなのです
無意識に書いていると
自分ですら気付いていなかったことに
気付けたり
謎の発見があったりします
考えないためにどうするか
それが私の究極の目標
だからこそ考えねばなりません
考えて考えて考えて
もう考えてもしゃーないってところまで
しかしまぁ
際限がないのも事実なわけですけれど笑
それでも
苦しい部分ももちろんゼロではないですが
なんだかんだで
楽しいが勝ってしまうのもまた真実
確実に昔より
笑えているのまた不思議なものです
多分
昔、悩んでいたことなんてのは
今ではもう悩みの種ですら
ありませんから、そういうことなのだと
・正直
笑いはどこにでも転がっています
あなたがそれを望む限り
世界を見れば
なんだか悲惨な出来事が起きていたり
それでもやはり人は万能ではありません
目の前の人を大切にできていますか?
それができいないのに
見知らぬ誰かを思いやれるだけの
器量を本当に備えているのでしょうか
正直
私は自分の身近な世界で手一杯です
それでもいいのだと思います
多分今は笑
・本日は長々と失礼いたしました
最後までお読みいただき
本当にありがとうございます