拡張と収束
宇宙のような
マクロ的な意識と
量子のような
ミクロ的な意識
アイディアのような
拡張型の思考と
公式のような
収束型の思考
これをとてもわかりやすく
説明いたしますと
部屋を整理するために
一度全部出して
整理していくかのような笑
部屋掃除で言うところの
アイディアとしてのいい例が
あれ、
こんなん持ってたっけ?
という現象に近いのでは
本来結びつかない
点と点がきっかけ一つで繋がる
それがアイディア
そう
もともと所有しているもの同士の結合
思考の部屋にしまわれた
なにがしをかけわせた結果です
つまり拡張に必要な作業は
自身が何を所有しているか
洗いざらい吐き出すことにある
部屋を良くも悪くも
タンスもクローゼットも開けて
散らかすことと同義でもあります
そして
そこからの収束は
それをさらに
部屋を綺麗に整える
整えないことには
自身の生活はおろか
誰も家に招き入れられない
作品として
認識してもらうための枠組みが必要
・作品を創作する上での
大まかな過程は
こんな感じになるのでしょうか
まぁ何が言いたいかと言いますと
0→1は
得意なのですけど
1→10は
得意じゃないな
そういうお話です笑
一応、実際の部屋は
最低限の綺麗を保っておりますが
基質的には
散らかす方が得意なはずです笑
・収束にしても
つまり整える作業においても
何を以てして
整っていると感じるかということにも
なってまいります
それは美意識だったり
価値観も違えば変わってくるのでしょう
配色にこだわる
サイズにこだわる、などなど
そう捉えた時
私の収束の基準は一体何になるのやら
いやそもそも
なぜ得意ではないのか
ここが重要ですね
多分答えは単純明快で
決定付いてしまうから
人の心は曖昧なもの
一日経てば
180度変わってしまうこともある
正解がないという
自由性に振り回されている
早い話が
まだ完璧主義の呪いが
抜け切っていない
そいうことになるのではないでしょうか
収束とは
落とし所があるからこそ
成り立つ
じゃあその落とし所に
寄せればいい
しかし
どの程度まで寄せるべきか
それこそ
人の視覚で捉えられる範囲に
留めておくべきか
はたまた
顕微鏡で見える世界までなのか
それとも
エネルギーや波、粒子の世界か
宇宙の広大さもさることながら
量子世界は
さらに広大であるという見解もございます
収束の際限の無さに
へきえきする前に
いいところで
やめておかないとですね笑
ははははは
本日も
最後までお読みいただきありがとうございます