走るという行為は、記憶を定着させるノリなのかもしれない。 走った時に感じた事は、心に深く刻まれている。 僕について 持久走 「だるいよな、一緒にゆっくり行こうぜ」 30年前の冬、中学校の持久走大会のスタートライン、不安な僕に友人は囁いた。少しの安堵とともに僕はスタートした。 70分後、彼ははるか前方でゴール。そこから遅れること数十分、最後の曲がり角を曲がったら前には誰も見えなかった。歩きながらの最下位。先に走り終えたクラスメート達は、寒がってもう教室に帰り始めていた
最近はすっかり走れてません。仕事が忙しいと言うのは言い訳で、、あまり気持ちがそっちに向かない、というのもあります。たまに定期的にこの波はくるのですが、今回はちょっと大きいかも。週に1−2度、ゆっくりジョグで目一杯です。 といってもネガティブには捉えてなく、ちょっとお休みしなさいと体と神様が言っている、と思ってます。 義務感で無理して走って、ランニングを嫌いになってしまうより、少し距離を置いて休んで、また走り始めた方が、長い間続くような気がします。そんな感じで14年も走って
走り始めてそろそろ14年くらい、干支が一回りするまで走り続けるとは思わなかったけれど、続いています。 元々、全く走らない人(自己紹介)だったけど、いろんな巡り合いの中で「走る人」と自他共に認めてもらえるようになりました。 走り始めると、いろんな変化がおきます、体の変化、気持ちの変化、あと時間の変化(時間管理的な)。そしてそれは周りの人に、何も言わずとも、自然と気づかれます、いい意味で。最近変わったね、最近明るくなったね、最近朝早いね、など。 ある時期から「走るの大好きで
オーストラリアのシドニーへ行った時のこと。ランニングカルチャーが生活に根付いている街だった。日本もっとこうなればいいと思うし、してきたい。 最初の写真はシドニーの公園での一コマ。日曜の朝7時ごろ。 4−5人のグループラン。ゆっくりとしたジョグで、会話をしながら走っていた。みんな笑顔でリラックスして走っていた。この後、街中のカフェで朝ごはん食べるんだろうな。 人とのつながりと、運動は、より豊かな人生を歩むことを助けてくれる。 こういうのが生活の中に溶けこんでいる場所、は暮
久しぶりのマラソンに向けてトレーニングしてます。昔はラン仲間と頑張っていましたが、今は時間の制約もあり一人です。 数年間ジョグしかしてなかったので、ペース走などのポイントはかなりご無沙汰、やり方も忘れてたくらい。 そして一人でやるとなるとなかなか気持ちが乗ってきません。。早朝から一人でペース走やるのは苦行でした。 ところが、最近色々やり方を工夫する中で、細かい工夫で結構一人でもイケることがわかりました。マラソンに向け、一人で取り組んでいる方の参考になれば幸いです。 1
大事な会議がある日、誰かと大事な話をする日、には朝走るようにしています。 あまり口数が多い方ではない自分。周りの人たちが会議でしゃべっている間も、じっと聞きながら考えていて、頭で考えていることが10だとしたら、2くらいの分量を実際に発言する、ということが多いです。 そんな自分も、大事な会議や、大事な話をするときは、考えをどんどんまとめ、しっかり想いと考えを伝えなくてはなりません。 そんな日の朝は走るようにしています。 体は疲れるけど、気持ちは上向き、思考もスムースにな
眠れなかった。 仕事や将来のこと考えてネガになってた。 朝3時ごろ走りに行った。 いつもと違い、何も聴かず。 いつもと違って、誰もいない道を。 淡々と少し速い速度で。 ペースは速くなり、息が上がる。 その間は何も考えてなかった。 ただ、走ることに集中してた。 帰ってストレッチしてたら、すっと気持ちが軽くなってたのに気づいた、朝4時半。
Running is a glue that holds memories in place. What I felt during running is deeply engraved in my minds. About me Endurance run "This is really boring. Let's run slowly together." Thirty years ago in the winter, at the starting line o
8月28日の北海道マラソンで5年ぶりにフルマラソンを走りました。当日の42.195kmは、走り出してしまえばあっという間に終わりました。一方でその日までの3ヶ月の間は、いろんなことがありました。 以前はマラソンのタイム(結果)に拘っていましたが、今回はその日までのプロセス(過程)を通じて感じるものがありました。 その中で、マラソン持つ魅力や意義を再発見しました。 理想の走り方4ヶ月前、北海道マラソンにエントリーしたことで、8/28に42km走るという「明確な期限」が設定
ランニングクラブの練習会に久々に出て、速いメニューに挑んだら、着いていけずに撃沈しました。ここ数年ジョギングしかしてなかったので、速く走るのは本当にキツかったです。 ”居心地の良いところでは成長できない” 最近読んだ本にあった言葉です。仕事についての記述だけどランニングでも同じだなと思い、印象に残りました。 その本とランニングクラブの練習会から思った、コンフォートゾーンとラーニングゾーンという考え方を書いてます コンフォートゾーン いつもと同じ場所、仲間、生活、はとて
職業としての小説家 村上春樹さんの、職業としての小説家、という本の中を読みました。小説を仕事とするということはどういうことなのか、何が大切なのか、といった内容です。 その中に、仕事とランニング、という主旨の一説があり、共感したので、私見も交えてお伝えします。 小説家の仕事 村上さんは30年以上にわたり小説をかきつづけています。 小説を書くことは多くの人にできるが、それを長期間継続することはとても難しい、と語っています。 例えば長編を書く時は、数年に渡り毎日5時間く
5年ぶりにマラソンにエントリーしました。今年8月の北海道マラソン。10年ほど前に出て、マラソンの厳しさと楽しさを知ったレースです。 マラソン向けのトレーニングは5年以上してないのですが、今回またやってみようと思っています。 継続的にジョグ中心に走ってはいたものの、マラソンのトレーニングは別物。そして5つ年を取りました。体力の自然劣化はあります。 エントリーしてはみたものの、目標をどこに置くか、どう走るかを考えてます。 サブスリーをしていた頃の練習を今自分ができるとは思
46年前(1976年)にアメリカで発売された本。昨年邦訳が出て、カルチャー系のランニングメディアで話題になっていたので読みました。約50年前に書かれたとは思えない、本質的なランニングの豊かさ・精神性について描写されています。現代にも当てはまる、現代だからこそより求められているものがありました。 特に共感した部分を抜粋して私見と共にお伝えします。 (記事内の引用は全て本書から。一部中略を含みますが大意は変えてません) 著者 著者はマイク・スピーノ(Mike Spino, P
「体調が一時的に悪化することが、事前にわかっている」という状況はそう多くはない。 病気や怪我は発生が予測しにくいし継続期間もわからない。 けれどワクチン接種の副反応は違う。いつ起こるか、どれくらい続くか、どれくらい体調が変化するか、がおおよそ事前にわかる。 今回コロナワクチンの3回目接種で起きた副反応、発熱などはきつかったが予想通りだった。 一方で新たな視点と発見もあった。副反応は「予告されていた丸一日の非日常」だった。そこから感じたこと、教えてもらったことがある。
現マラソン世界記録保持者キプチョゲの発言は一風変わってます。 ランニングやレースそのものより広く話が多く「人間の可能性は無限だ」や「走る世界は健康で平和な喜びの世界だ」など。 NewYork Timesの記事で彼について、日本ではあまり書かれてないことが紹介されてました。その中で彼は[He’s also running’s philosopher-in-chief — a DRI-FIT wearing Yoda(ランニング界の思想家であり、DRI-FITを着たヨーダのよ