モヤけし

本当の気持ちを整理していくことで、どんなふうに見える世界が変わっていくのかを試すセルフセラピー実験ブログ。 人の中にいても自然体でいられて自分の「好き」を表現したり、心を許しあえる友ができるようになるために、今までないがしろにしてきた嬉しい気持ちや楽しい気持ちも発信中。

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最近の記事

働けない人はどう生きればいいのか

すべてを棒に振ることでしか完全に自由になれない。 それは本当に自由なのか? したくないことから解放される自由の代わりにやりたいこともできなくなる。 働くことができる健康なこころと体があれば選ぶ自由を手に入れることができる。 どんな仕事をするにしても一番大事なのはコミュニケーション力なんだと痛感して絶望している。 そして体も壊して仕事をやめることもできず休職のまま何もできなくなっている。 私の望みは現実の自分の能力とギャップがありすぎて気持ちだけが先走り実際には何一

    • 嫌な思いをしたときにやめてと言えず、人に話すときに悪口になってしまうのはそれくらい心が傷ついたからだったんだ。 たとえ抵抗しても人に素直な気持ちを話しても、それでさらに傷つくことが怖くて、悪口でバランスを取っていたんだなぁ。

      • 休めることが貴重すぎる

        仕事や家事、育児をしていると休むことが難しい。 やらなければいけないことはサボっても誰かが変わってくれるわけではなく負担が増えるだけ。 最近パートに行くようになって、休めることがどれほどありがたいかを痛感している。 日本にいると休むこと、くつろぐこと、助けを求めることを甘えと捉える人も少なくない。 どうも日本人の8割はアダルトチルドレンという説もあるくらいだから、この国は休むことにネガティブなイメージを持っている(そうと信じている)人の方が多数派ということになる。

        • 完璧主義な人が心理について学ぶと苦しみが増す

          私は失敗が許せない完璧主義だ。 完璧を求めるあまり完璧にできないことを嫌い、どこかで失敗するともう立て直すことができなくて壊したくなるし、実際に壊してきた。 自分のような失敗作になってほしくなくて必死に子育てをしようとすると心理学の知識が余計に自分を苦しめるようになった。 このような態度、言葉をかけるとこんな人間性になる。 もし子どもがこのような問題行動をするとしたらそれは親のせい。 一見いい子に育っている子が挫折するのも親のせい。 なんでもかんでもうまくいかない

        • 働けない人はどう生きればいいのか

        • 嫌な思いをしたときにやめてと言えず、人に話すときに悪口になってしまうのはそれくらい心が傷ついたからだったんだ。 たとえ抵抗しても人に素直な気持ちを話しても、それでさらに傷つくことが怖くて、悪口でバランスを取っていたんだなぁ。

        • 休めることが貴重すぎる

        • 完璧主義な人が心理について学ぶと苦しみが増す

          残念だった車検屋 情報弱者を搾取する人、助ける人

          7月のはじめに車検の見積もりをした。 ところが受付で事前に「他にもみてほしいところはあるか?」と聞かれたため「エアコンの風が冷えないから原因を見てほしい」と頼んでいたにも関わらず何も言われないので、改めてどうであったのかを尋ねると、第一声が「エアコンは壊れていても車検は通るので」と言われ、車に乗るのは人であることが頭になく、この夏の暑さの中、死ねと言われたよう腹がたった。 そんな調子だったので本当にものを見て確認したのか定かでない上に「コンプレッサーが壊れているからエアコ

          残念だった車検屋 情報弱者を搾取する人、助ける人

          頑張りすぎて孤立してしまう臨界点が人を頼る基準なのかもしれない

          困っていそうだから助けてあげたいと思ったとしても声をかけづらいタイプの人がいる。 それはなんでも自分で頑張りたがるプライドが高そうに見える人。 どんなところからそう映るのかというと ・普段から忙しさや大変さをアピールしがち ・忙しさや頑張ってる姿を話すことで賞賛されると喜ぶ ・大変と言いながら人に頼むことをしない このような行動を見ると頑張っていることに価値を置いていて、できないことを認めると自分の価値が下がると勘違いしている人なのかと思って、声をかけるのを躊躇してしま

          頑張りすぎて孤立してしまう臨界点が人を頼る基準なのかもしれない

          急かす親に育てられると自分で決められなくなるんだろうか?

          他人軸で判断するということは自分はどうしたいのかを考えることなく、他人がよしとするもので判断するということ。 なぜ自分はどうしたいのかがわからないのか、その始まりは考える時間を与えない待てない、急かす親とのコミュニケーションの繰り返しによるものだったのかもしれない。 いつも急かされている気がして答えを間違うと責められそうな怖さがあって落ち着いて考えることができない。 自分がどうしたいのかを言ったとしても親にとって都合が悪ければ却下されたりして結局聞き入れてもらえない。

          急かす親に育てられると自分で決められなくなるんだろうか?

          うまくいくようになった人の話を聞いても自分のものにならない理由

          同じような境遇から悪循環を抜け出して、羨ましい地位を手にしている人を時々見かける。 何がきっかけで今に至るのかを聞くと結局人がいつ気づくのかはその人のタイミング次第なんだと思わされる事が多い。 なぜならそのきっかけを聞くと出来事はほんの些細なことであったり、自分も経験したことがあるようなことなのにそこからだからだ。 先日も生きづらさに悩む人のためにカウンセラーをしている方がどのようにして彼の信念に行き着いたのか、そのきっかけを尋ねたところ、同じ出来事に対して前向きに捉え

          うまくいくようになった人の話を聞いても自分のものにならない理由

          自分のことを知ってほしいと思う気持ちの裏にあるもの

          精神科か心療内科、どっちを受診すればよいのか、発達障害の診断をしてくれる病院はどこにあるのかを調べていたら、心療内科で聞かれる質問の理由について書かれている記事を見つけた。 それを読み進める中で心の中に沸き起こったのは「もっと聞いてほしい」という気持ち。 どれほど大変だったのかをわかってもらいたい。 本人は自分のことを正当化しているが私にとっては苦痛だったし、苦痛を与える言動であることを客観的な視点からも認めてほしいという気持ちがあることに気づいた。 とにかくどれだけ

          自分のことを知ってほしいと思う気持ちの裏にあるもの

          昔の自分に戻りたい

          昔の自分に戻りたいと思っている人が私以外にもいることを知った。 周りがどう思っていたのかは知らないし昔と言ってもかなり昔で12歳までの話だけど今より自信があった。 自分の得意なことを認めてくれる環境があり、活躍できる場があり、好きな男の子と恋愛もできた。 いろんな子に声をかけていつも誰かと外か家で遊んでいたし、帰り道はくだらない話に大笑いしてお腹が痛かった。 別にクラスのリーダーだったわけではなくムードメーカーでもなく、真面目な子と思われていたけど、男子の前では偉そう

          昔の自分に戻りたい

          『愛してる』『愛する』『愛される』ってどういうこと?

          ずっと「愛してる」ってどういう意味かわからなかった。 人生で使われたことがなかったから。 せいぜい洋画の中で口にするカップルを見たことがあるくらい。 なのにどこで覚えてきたのか6才の娘が「かーちゃん、あいしてる」というようになった。 そしてだんだん愛とは何かわかってきた。 愛とは大切に思う気持ちのことだ。 根底に愛がある、ないというのはその行為が自分のためなのか、相手のためなのかということなんだろう。 愛されてる実感がないと感じるとき、寂しさや虚しさを感じたり、

          『愛してる』『愛する』『愛される』ってどういうこと?

          こころに響く作品に共通していたもの

          子どもの頃、図工の時間が大好きで、さっきまで何もなかった空間に現れたものが自分の手から生み出されたことに感動した。 だからなのか作品(=生み出されたもののエネルギー)に敏感だ。 それは文字通り作品であることもあれば人が発する言葉やパフォーマンスも含まれる。 ずっと何をするにも義務感で生きていて、自分の欲するもののために生きていなかったことに気づいた。 それで私は何に感動するのかを観察してわかったことがある。 私はそこに『愛』を感じたときに感動するようだ。 プリキュ

          こころに響く作品に共通していたもの

          意地悪に敏感なのはやさしさに価値を置いているからだ

          子どもの頃、親からも言葉やしつけと称した暴力で傷つけられ、学校生活の中でも私だけ仲間はずれにしようとする上級生や意地悪をしてくる同級生が常にいて、心が休まらなかったからか、私は(別け隔てなく)優しい人、思いやりのある人に人としての価値を置いている。 どんなに能力が高くても冷たい人は二流だと思っている。 世の中では意地悪でずる賢い人が甘い汁を飲んでいることが多々あるからこそ、優しさだけでは生きていけない部分もあるのかもしれないけれど、それでも私は伴侶選びも子育ても優しさが一

          意地悪に敏感なのはやさしさに価値を置いているからだ

          行動を見直して変えてみた

          子供が習っているピアノをやめたいと言い出した。 理由は私が怒るからだと言う。 怒る理由を作っているのは本人なのに、なぜ私のせいにされるのかと同じ土俵に登ってまた怒った。 でもピアノ教室で会う(私が勝手に尊敬している)すごママさんは子供のやる気がでなければ休ませたり、その子がレッスン中に微動だにしない時も無理やり受けさせようとせず、その状態を受け止めて、本人のやる気が回復するのを待っている。 その姿と私の娘とのやりとりを比べてみて子供の集中力に対して休息が不足していると

          行動を見直して変えてみた

          普通にしていればよかった

          いつも肩に力が入っていて、人がいると緊張感が走る。 それが私の日常だった。 こんな風になりたい。 だからそのためにどうするべきか。 そうやってなりたい自分を目指すことは今の自分に対してできていない自分を否定していることにもつながっていた。 向かい側から人が来たとする。 よけなければ。 そう思っていつも反射的にふちによけて、運がいいとありがとうとかすみませんと言われることがある。 でもたいていは私のことなど目にも入っていないかのようにズカズカと通り過ぎていく。

          普通にしていればよかった

          やっとわかった悪夢の扱い方

          よく嫌な夢を見る。 朝起きたときにぐったり疲れていることもよくある。 その内容は仕事をしていたり、学校の教室にいたり、部活中だったり、その多くは人間関係で感じてきた嫌な気分の再現だ。 そして今までずっと「あ〜今日も嫌な夢見た」と言って、家族に内容を聞いてもらい、どんなに嫌な夢を見たかを分かってもらおうとするばかりだった。 それが今朝、閃きがあった。 見た嫌な夢は嫌だったなーと嫌な気分に飲み込まれたまま文句を言うためにあったのではなく、嫌な気分だったんだと自覚して、「

          やっとわかった悪夢の扱い方