行動を見直して変えてみた
子供が習っているピアノをやめたいと言い出した。
理由は私が怒るからだと言う。
怒る理由を作っているのは本人なのに、なぜ私のせいにされるのかと同じ土俵に登ってまた怒った。
でもピアノ教室で会う(私が勝手に尊敬している)すごママさんは子供のやる気がでなければ休ませたり、その子がレッスン中に微動だにしない時も無理やり受けさせようとせず、その状態を受け止めて、本人のやる気が回復するのを待っている。
その姿と私の娘とのやりとりを比べてみて子供の集中力に対して休息が不足していると判断した。
そこで今までは一気にめんどうなことを片付けよう(←この発想がすでにピアノをつまらなくさせている)と思い、学校の宿題、次の日の準備、ピアノの練習をまとめて終わらせようとしていたのをやめることにした。
まずそもそもピアノ教室が出す弾く曲、座学の宿題量が多い。
さらにやたらと内容が難しい。
我が子がピアノを楽しめないのは、うまく弾けない事があるときだけでなく、難しすぎる座学の宿題が多いこともやる気を下げていた。
できていることに目を向けて言葉がけしたい気持ちよりも終わっていないこと、つまずいているところにどうしても目が向いてしまう。
もうこれは脳の仕組み上、仕方がないことでもあるけれど、だからこそ意識的にできているところ(別に欠けていない部分)を言葉にしてあげないと、だんだん潰れてしまいかねない。
今週からやり方を変えて一つやったら5分休憩、座学の宿題も一日で終わらせずに一日ひとつ、一週間かけて終わらせるスタイルに変えた。
ひとまずこれで私が怒ることもすぐにやらない子供と喧嘩になることも減っている。
本人にとってどちらのやり方のほうがよいのか、身をもって何か感じってくれれば、いずれ合うスタイルがわかってくるだろうと思って、私にとっての良い方法は一旦脇に置くことにした。
ピアノに限った話ではないけれど、ある程度できるようになるには10年はかかるつもりでいるだけに、人並みなレベルの子どもにこのままピアノを続けさせるより、本人に興味があってより向いていそうな別のことをさせた方が子どもの『好き』を伸ばしてやれるのか、まだ迷っている。
いろいろかじらせてやれるほど、ゆとりがないのが悩ましい。