残念だった車検屋 情報弱者を搾取する人、助ける人
7月のはじめに車検の見積もりをした。
ところが受付で事前に「他にもみてほしいところはあるか?」と聞かれたため「エアコンの風が冷えないから原因を見てほしい」と頼んでいたにも関わらず何も言われないので、改めてどうであったのかを尋ねると、第一声が「エアコンは壊れていても車検は通るので」と言われ、車に乗るのは人であることが頭になく、この夏の暑さの中、死ねと言われたよう腹がたった。
そんな調子だったので本当にものを見て確認したのか定かでない上に「コンプレッサーが壊れているからエアコンがつかない」と断言された。
さらにサイドミラーのウインカーレンズが割れていたので交換が必要になったのだが、「その際にウインカーレンズだけでは交換できないからカバーも一緒に交換することになる」んだとか。
車のことはわからないからこそ整備士さんを信頼して預けるしかないので車検や修理に必要なことを見積もられているつもりでいた。
ところがそのコンプレッサーがすでに生産の終わっている車であることもあり、直すにしても在庫がないという。
また交換するのに14万かかるとのこと。
すでに15年目を迎えていたこともあり、車を手放すしかないと思って、一旦車を持ち帰ることにした。
ところが待ち時間の間にめまいがひどくなり吐き気と嘔吐で車に乗って帰ることができなくなり、何度もトイレに駆け込み、見積もり手数料のお釣りをもらうまでも待てずに2、30分トイレにこもるはめになった。
その間、子どもたちはテーブルで自販機のサービスジュースを飲みながらずっと待っていたわけだが、受付といい、その後ろで何をしているのかわからない男たちといい、誰も声をかけてくることはなかった。
その後、コンプレッサーが壊れているならもう夏に乗ることはできないから手放すために、父を通して車関係の仕事をしている弟に連絡をしてもらうことになった。
しかしそのまま売ったとしても1万にしかならないという。
さらにコンプレッサーが存在していないものと思ったから手放す覚悟を決めたものの、まだ手に入れる手段も修理する手段もあるというではないか。
となるとまだ手放したくはない。
ひとまず車検を通して夏場は乗らずに予算内で修理してくれるところを探そうと思ったら、弟も直せるところを聞き回ってくれていて、その結果、コンプレッサーの交換だけなら14万はぼったくりであることがわかり、しかもコンプレッサーは壊れていなかったと言う。
その場でエアコンガスを補充してもらい、無事エアコンが使えるようになり、ガス漏れがあるのかどうかを確かめることとなった。
ここに行き着くまでの約2週間、エアコンの効きが悪いのはガスを入れれば済む話と思っていたことが車検屋のいい加減な言葉がきっかけで自分の家族や親や弟家族、弟の仕事の繋がりの人たち、買取業者も巻き込んで全員が振り回されることになった。
私は何度も車を手放す場合の生活の変化をシミュレーションしたり、一括査定を頼んだり、相場を確認したり、ディーラーにコンプレッサーを直せるかみてもらう予約を入れたりと、売れなくてもギリギリ車検が通せて修理に出せる期限まで悩みに悩み、夫や父には私にとっての愛車の価値(これも手放したら完全に自由を失う命綱だったこと)を理解されない悔しさと虚しさに何度も泣き、疲れきっていたところで、売ることをしぶる私を見かねた父に急かされひとまず車検を予約することになった。
念のため、車検の予約をしたものの、信用がなくなりキャンセルの電話をいれたところ、「サイドミラーのウインカーレンズの交換パーツ(レンズとカバー)は返品料がかかります」という。
それはもともと「カバーも変えないと交換できない」と言われたのを信じて承諾したせいで準備されたものではあるが、「ウインカーレンズの交換をするのに無傷のカバーまで用意する必要はないのでは?」と聞くと「交換時にほぼ割れてしまうので必要」だという。
しかしそれは交換する時に無傷のものを割って交換することが前提だとしてもそれは技術者の問題であって、費用を負担するのはおかしな話。(ということがわかったのも弟を間に噛ませたからであって、私は無知すぎた)
その後ネットでも調べてみたがサイドミラーのウインカーレンズの交換は、たしかにカバーの爪の向きを理解していないと折ってしまうことはあるらしいが、わざわざ割って修理するのはあり得ない。
20分以上「わからない」を通して一行に整備士に取り次ごうとしない事務員との押し問答の末、言われのないカバーの返品費用はチャラになり、ウインカーレンズだけ買い取りして(それも損だったけど)、コンプレッサーは問題ないことをちゃんと見てくれたところで車検をしてもらうことになった。
他にもそれぞれの項目が何を表しているのかや部品の値段を知っていれば、自分でできる箇所がいくつもあることがわかり、予め取り替えたのだが、このような対応をされたことによって、そもそも見積もり段階で指摘された車検が通らないレベルの項目自体、本当だったのか信用できなくなってしまい、取り替えた部品はまだ使えた可能性もあったのではないか?と思えてきた。
すべては私の車に対する無知が招いたこと。
全くわからない分野は誰がプロで誰がアマなのかすらわからないし、どこでやってもらえるのかもわからなければ、そもそも整備士は修理屋ではないことも知らなかった。
だから普段から車に乗っていた父が勧める車検屋を使っていたわけだが、人がいいと言うことと自分がいいと感じることは違うと、この車検屋や病院などに通うたびに思う。
今回の騒動によって
・車検が通る条件は何なのかを知っておくと良いこと
・自分でもできるパーツの交換程度のものと
・資格がいるレベルの修理があること
を知ることができた。
リサイクル券がはいっていないことも発覚し、捨てた記憶がないだけにどこでなくしたのかわからず、もともと入っていなかったのかも確かめようがなく、一度は繋がった愛車生活だが、いつか来る別れのときに困らないように情報を集めておきたい。
また、ずっと交流がなかった弟家族だったが、困った私のために自分の特技を生かして助けてくれたことで、無知だからこそ知らなければ腹も立たないが、知っている人からすると頼れば助けてもらえることもあることを身をもって学び、弟や弟家族に対するイメージが和らいだ。
そして無事エアコンも使えるようになり日常を取り戻したことでずっと精神的にピリピリしていたのが嘘のように落ち着いた。
それほどまでに普段から使っている愛車がある暮らしを、予期せぬ形で失うことは変化があまりにも大きすぎて、決断できない重圧だったのだ。
コンプレッサーが直らなくて手放すしかないと思った時は次の人のためにピカピカに磨き、マットも洗ったが、他人はボロボロの中古は欲しがらないし、部品取りされてドナーとして生きたり、金属としてペチャンコにされるのを想像すると辛すぎて泣けた。
一度は売るつもりで本心を抑え込んで一括査定の申込みをしかけたが、どのようにして売ったらいいかを調べているときやいくらで売りたいのかを考えると、市場価値を上回ってしまい、また売るという行為が愛車を見放したようで辛かった。
危うく愛車を失いかけて、騒動の結果、普通に車検を通すだけで済み、弟家族には感謝したくてもしきれない。
仕事をしていると趣味とは違ってひっきりなしに仕事がやってくるうちに、そこに心がなくなって作業になったり、人がお金やものに見えてしまう人もいるのかもしれないが、その道のプロなら客である情報弱者の弱みにつけ込む商売じゃなく、助けるプライドがある人を頼りにしたい。