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基本的に全知全能ではないのでわからない。
「わかるだろう?」
という圧力について考えるとき、様々なことを思う。
多様であろうとするとき、分類という病理に囚われる可能性を常にはらんでいる。
分類は恐ろしい。理解を強要する。
わからないということは知識が不足しているのだと糾弾される。
他者に対する無理解を嘆かれる。こんな恐ろしいことがあるだろうか。
僕は、もうつらくなった。行為によって理解し、行為によって行動しよう。
他者からの評価も大切だけど
他者からの評価も大切だけど、自分はあまり気にしない。(ようにしているといった方が正しいかもしれない)
他者評価を気にしたところで、自分にとっての還元があまりない。全然興味ないけれど、2chをスクロールしてしまうのに似ている。
自分の評価は自分で決めるものだ。自分と一番長く付き合っていくのは、他の誰でもなく、自分なのだから。
願いと祈り【言葉に何を乗せるのか】
今日何気なくtwitterを見ていたら、このツイートが流れてきた。
「ああ、わかるなぁ」と思った。清少納言の祈りと僕が言葉に願いを乗せて書いていることに関連はないであろうが、僕は確かに願いながら書いてるなぁと妙に納得した。
そもそも願いと祈りではその性質が少し違うだろう。
願いは私に働きかけ、祈りは大いなるものに捧げるものでしょう。
そういった意味で僕は、常に願っているなぁと。
最後に僕が