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基本的に全知全能ではないのでわからない。
「わかるだろう?」
という圧力について考えるとき、様々なことを思う。
多様であろうとするとき、分類という病理に囚われる可能性を常にはらんでいる。
分類は恐ろしい。理解を強要する。
わからないということは知識が不足しているのだと糾弾される。
他者に対する無理解を嘆かれる。こんな恐ろしいことがあるだろうか。
僕は、もうつらくなった。行為によって理解し、行為によって行動しよう。
他者からの評価も大切だけど
他者からの評価も大切だけど、自分はあまり気にしない。(ようにしているといった方が正しいかもしれない)
他者評価を気にしたところで、自分にとっての還元があまりない。全然興味ないけれど、2chをスクロールしてしまうのに似ている。
自分の評価は自分で決めるものだ。自分と一番長く付き合っていくのは、他の誰でもなく、自分なのだから。
想いはあれど、それに意味が宿ることなど滅多にないだろう。
想いはあれど、それに意味が宿ることなど滅多にないだろう。
想いは主観的であるが
意味は客観的である。
客観的なことを見つめることは、簡単なように見えて難しい。
皆は大抵、擬である。
人は主観にとらわれる。自らという枠から逃れることはたやすくない。
だからこそ、多様であり、
たからこそ、おもしろいのである。