手紙を贈るということ
生きている限り、出会いと別れは常に伴ってくる問題である。
かの偉人達の誰かもこんなこと思っていたらいいな(願望)
今僕はまさに、別れという問題に直面している。季節の変わり目にあって、お世話になってきた方々の旅路をお見送りすることは、僕にとってはよくあることだ。
幼稚園の頃から、仲の良い方々とは、別れてきたという印象がある。別れがたいと思えばこそ、別れが僕の前に立ちはだかるのだ。
少し考えればわかることだが、これは別に僕だけに訪れている問題ではないのだろう。僕には少しだけその意識が強いというだけのことである。
そんなわけで、今日もまた何人かの友人をお見送りする。とても寂しい。寂しいと言わざるをえない。
僕は大切な誰かと別れるに当たって、手紙を書くことを習慣として持っている。それが突然別れでない限り。
そうして今まさに手紙を綴っていたのだが、手紙というものは思いを言葉にしておくるものであるから、ひどく衝動的なものである。要するに僕は今行き詰まっている。手紙に綴るだけの思いが中から溢れてこないのだ。あれほどまでにお世話になっておきながら、いざ別れるとなると、何を綴ればいいのか点で思いつかないのである。
今書いているこのnoteの文章などはつらつらと出てくるのに…
ポストカードを買ったので、最初はそれに合わせて詩でも綴ろうと思った。しかしなんだか気持ち悪くはないか。いっそ普通に今までの思い出話を書き連ね「長い間大変お世話になりました」とでも書いて、締めくくればそれらしいのではないか。
などと考えては消し、考えては消しを繰り返してゆうに2時間は経過しただろう。もう少し早めから用意しておくべきであった。
こんなことばかり考えていても一向に筆は進まないであろうから、そろそろ思索に帰るとする。
さて、手紙を送るまであと3時間。どんな言葉を書き付けようか。
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