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約束よりも偶然バッタリの方が心は弾むことを知る。
私は月に何度か、友人であるポップの仕事を手伝うのだが、毎回現場に向かう車の中で、会うまでにお互いの身に起きたことを話している。特に何もなくとも何となく何をしていたのかを聞く。
「この間入院しててな、担当の看護師さんに連絡先を渡せたという自分をまずは褒めたいし、お前に褒めてもらいたいことの一つだね」
そういえばポップは、何かしらで入院して何かしらで退院して、それは特に大きなことではないと話してい
暮夜に野暮と言われた気になった公園にて。
久しぶりに公園の前を何も意図せずに通った。決して大きくはない公園だが、人を寄せ付ける何かがあるような公園だ。いつもは小さな子ども達や、井戸端会議のキレイなお母さま方で賑わっている公園なので、当然その時間を私はよく意図して通っている。
その日のその時間は、夕暮れ時を黄昏時と言い換えたくなるような誰もいない公園だった。
私は、誰もいない公園に一人で寄りたくなった。寄ってみたくなった。進める足は思い
振り下ろせるうちに振り下ろせばそっちから寄ってくる。
素振りをしていた。自宅の庭で素振りをしていた。自宅の庭を説明するとなると、その大きさを説明するのに五十五万文字では足らなくなってしまうので、ささやかな想像を読者にプレゼントすることにする。私としては、メルヘンなお庭がタイプだ。
私がする素振りとは、剣道の素振りになる。幼い頃から剣道をしていた私は、今でこそ道場や稽古場所に行かないが、当時は「伊勢原のイケ面」と呼ばれていた。ここでいう「イケ面」は、
次に会う時は、私達はもっとキレイになっている。
私は自分と友人達の周囲で起きたことを記していくと友人達と約束をしています。自分達が生きた証として記しています。なので、私にとってはこの記事を記すことは約束の一部です。私にとっても大事な友人の父が亡くなりました。その事について書いています。
私達の付き合い方↓
「献杯」
線香の煙を見ながら椅子に座り、好きだったという銘柄の日本酒が注がれた。私達は胸の前にグラスを留め、騒いだ日を思い出しながらも
昼も暗かったから明るくなるまで寝るしかなかった。~後編~
前編だよ↓↓
軽快に走るポップの背中を感じながら単車の後ろに座り、私は興奮を抑えることが出来ずに寝る前に必死に考えていたことを口にした。
「あれから考えてたんだけどな。何で冷たい水に濡れている女性の方が色っぽく感じて、お風呂上がりの女性には癒しを感じるのだろうか」
信号待ちの単車の後ろから、ポップに話しかけている。停車していると、ジリジリとアスファルトの熱がマフラーの音と一緒に上がってくる。
昼も暗かったから明るくなるまで寝るしかなかった。~前編~
「自分が何をしたら良いのかなんて分からないです。好きなこと、やりたいことなんて本当に何もないですし、これからも見つかりません」と笑いながら本音を伝えてくれたあなたへ
「玉子焼きは、甘いやつとしょっぱいやつのどっちが好みだよ?」
あまりにやることがない日常は遂に正しい答えが必要のない会話にまで到達していた。
「強いて言うのなら甘いのだね。ただ俺にもし彼女という理想の形が存在していて、玉子焼きを
初恋のロマンチックを誰かに預けることで私はロマンチックになりたい。
私の人生で、そもそもロマンチックという言葉が適切な響きを得ているのかが謎だ。ロマンチックという経験を私は生を受けてから今まで本当に経験してきたのだろうか。まずその意味を知ることからはじめることにした。
現実離れで甘美で理想的な雰囲気や、なりゆきであるさまである。
これは、誰からの目線なのだろうか。こちらがそう思ってはいても、相手がそうは思っていないのが現実だったりする。周囲から見てそうだと言え
友人の孤独を陽気な天秤にかける。
久しぶりの休日に友人の仕事を手伝うことにした。集められたのは別の友人と私の計二名だ。大きな工場の大きな音がする機械の試験を兼ねたメンテナンスをするという。私はもちろん機械を操作するでもなく、その試験の行方をもう一人の友人と精一杯声を出し応援する係だった。
応援とはいえ、時に囁き、時に叫び、時に頷くなど多種多様なリアクションを全力で空気を読み集中しなければならない。今どき「応援に来てくれ」と言われ
僕は「お兄さん」の達成を祝う日にすることを決めた。
そうだとしても、これは実に厄介な問題だった。事実を事実として受け止めるには、誰だってきっかけが必要だからだ。
この日、僕は友人の誕生日を祝うことにしていた。とはいうものの、お互い仕事だからメッセージを送信するだけだ。「今は簡単にメッセージを送信出来るので楽になったもんだ」と口に出してしまう僕は「おじさん」なのだろうか。僕の高校一年の時代の時はポケベルだった。二年でPHS。三年で携帯だ。進化の翻弄
探せない過去最高に埋もれている日々へ
自作において、過去最高の作品というものに出会った人達は、一体どれくらいいるのだろうか。
私には、ハッキリとした過去最高の作品というものが存在する。厳密に言うと、その作品の記憶が無くなりかけていて文体や形も説明出来ない。だが、あの日の自分の頭の中で物語が勝手に浮かんだ感覚と、何を書いていても上手く行き着くという絶対的な自信と、それに準じた快感に襲われたのは、生まれて初めてのことであり、あれ以来味わ
シガーに委ねた深層に開高健との邂逅の真相を辿る《本厚木Sun faceの後編》
前編↓↓↓
待ち合わせ場所は本厚木駅の改札前。集合したヨシクラ夫妻とちひろと私の四人は、ヨシクラさんが予約してくれたお店を徒歩で目指す。
年末の暴挙を詫び、楽しみにしていたことを伝えた。最初の一杯を交わすまでに何を話すか逡巡しながら歩いていたが、久しぶりの本厚木の街並みに思考を委ねることにした。
人通りが多く賑やかだった街の通りは、商店や歓楽街が減り、ビルやマンションが建ち並び、街の方向性を
シガーに委ねた深層に開高健との邂逅の真相を辿る《待ち合わせた前編》
釣りの話をするときは両手を縛っておけ
ロシアの諺で、釣り師はよく魚の大きさを両手で誇張する。だから気をつけろという意味だ。開高健の遺した言葉としても有名だ。
「特に好きなことを書くときは誇張するな、見栄を張るな、本当のことを書け」
と私は解釈していて、開高健も使用する度に自分を戒めていたのではないのかと空想したりする。
JR相模線は、茅ヶ崎駅から橋本駅を結ぶ神奈川では珍しい単線の電車だ。私
四十二歳の戯れ言を、いつか真実にすることが楽しい道。
息子が干支にちなんだ龍を、樹脂粘土で作ると言った。
「お父さん。隣で見ていて欲しい。誕生日だからあげるよ」
と言いながら、新聞紙の上に材料を広げている。私は促されるように向かい合う形でテーブルに座り、小さな手で黄色の絵の具を粘土に混ぜ込む姿を、薄ぼんやりと見ながら思量することにした。
息子は自分の軀の中に外見上では全く判断出来ない「あるもの」を抱えている。それを「病」だとか「疾患」と表現した
書き残すは夏の思い出。取り戻すは仮初めか~青春の真打ち編~
前回までの噺。
私役の『私』が訪ねた友人に、突然聞かされた青春の真相を解き明かすために街に出た。
そんな私役の『私』は、馴染みの中華料理店で酔いに任せて青春の真相を友人とマスターとで追うことになる。
そして、真打ちの登場である。
彼女は私達を待たせることもなく、何の躊躇いもなくお店に入って来た。流行を意識したのか、1日のすべてを終えた夜の時間がそうさせるのか、黒いサロペットに白色のシャツ。