大河ドラマ「光る君へ」第40回~一条天皇の辞世の句を考察する
こんばんは、もちまるです。
今回は「大河ドラマ」の感想です。
前回に引き続き悲しい回でした😢
今回は、一条天皇の辞世の句について考察していこうと思います。
ドラマでは、「塵を出でぬること」で和歌が終わっていたように感じます。
一条天皇の辞世の和歌は、残されている書物によって若干表現に差異があるようですが、今回はドラマと同じ表現である『権記』を引用している記事を参考にしました。
『権記』は、藤原行成が記した書物です。
さて、和歌の解釈ですが、
「君」とは誰を指すのかがここでの問題になるかと思います。
引用先の記事では、「君」は定子だとしています。
行成の書いた『権記』が定子を指しているというのです。
定子は辞世の句を3首残したとも言われています。
そのうちの1首は、以前考察したことがありますが、
今回は一条天皇の辞世の句に関連のある和歌について見ていこうと思います。
当時、高貴な人は火葬が主流であった時代に
土葬を望んだとされる定子の思いが示唆されている和歌です。
この定子の和歌と一条天皇の和歌は「露」という共通語句が使われています。
露について、調べてみました。(太字は筆者注)
「露」という共通語句があることから、
一条天皇の辞世の句が、定子の辞世の句と関連付けられることも多いのでしょう。
その一方で、一条天皇の和歌の「君」が彰子を指すという意見もあるようです。
結局、はっきりとした答えは出ていないのかもしれません。
しかし、答えが出ていないからこその奥深さのようなものがあるような気がします。
答えのない余白、その余白を考えられるのが日本文学の醍醐味だと私は思っています。
一条天皇は、7歳という若さで天皇になり、32歳で亡くなっています。
その25年間は、一条天皇にとってどのような歳月であったでしょうか。
ドラマを見ていく中で、一条天皇の生涯に思いを馳せると切ない気持ちや心が痛くなるような事が多々あったことを思い出しました。
定子に先立たれて、彰子を残してこの世を去った一条天皇。
大河ドラマを見ていなければ、名前しか知らなかった天皇でしたが、
ドラマを通して、多くのことを学ぶ事が出来ました。
美しく切ない一条天皇像を創り上げてくださった塩野さんの演技にもとても心を打たれました。
ドラマや様々な出会いに感謝の気持ちを込めて……💐
この記事を締めくくろうと思います。
参考にした記事は以下の通りです。
以前、考察した定子の辞世の句についてはこちら。
最後までお読みいただきありがとうございました😊
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