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大河ドラマ「光る君へ」第40回~一条天皇の辞世の句を考察する

こんばんは、もちまるです。

今回は「大河ドラマ」の感想です。
前回に引き続き悲しい回でした😢

今回は、一条天皇の辞世の句について考察していこうと思います。

露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵ちりを出でぬる ことぞ悲しき


人という露のように儚はかない身の、風にさらされる無常の世。そんな俗世に君を置いて、この世を離れてしまうことが悲しいよ。

https://steranet.jp/articles/-/3678  より

ドラマでは、「塵を出でぬること」で和歌が終わっていたように感じます。

一条天皇の辞世の和歌は、残されている書物によって若干表現に差異があるようですが、今回はドラマと同じ表現である『権記』を引用している記事を参考にしました。

『権記』は、藤原行成が記した書物です。

さて、和歌の解釈ですが、
「君」とは誰を指すのかがここでの問題になるかと思います。

引用先の記事では、「君」は定子だとしています。
行成の書いた『権記』が定子を指しているというのです。

第3句の「君」とは誰か。行成は「其その御志は皇后に寄するに在り(歌のお心は皇后様に寄せたものだ)」と記しています。『権記』の書き方では皇后は定子を意味します。

https://steranet.jp/articles/-/3678  より

定子は辞世の句を3首残したとも言われています。

そのうちの1首は、以前考察したことがありますが、
今回は一条天皇の辞世の句に関連のある和歌について見ていこうと思います。

煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それとながめよ

煙にも雲にもならない私の身であっても、草の葉におりる露を私だと思って眺めてください。

https://hyakuninisshu.sakura.ne.jp/teishi.html  より

当時、高貴な人は火葬が主流であった時代に
土葬を望んだとされる定子の思いが示唆されている和歌です。

この定子の和歌と一条天皇の和歌は「露」という共通語句が使われています。

露について、調べてみました。(太字は筆者注)

「万葉集」以来の和歌に数多く詠まれてきたが、日光に当たるとたちまちはかなく消えて乾いてしまうので、「朝露の命」(万葉集)、「草葉にかかる露の命」「露と等しき身」(後撰和歌集)といったように、露は人の世のはかなさの喩えとしてよく使われてきた。

https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/33.html  より

「露」という共通語句があることから、
一条天皇の辞世の句が、定子の辞世の句と関連付けられることも多いのでしょう。

その一方で、一条天皇の和歌の「君」が彰子を指すという意見もあるようです。

しかし『栄花物語』や、鎌倉時代の勅ちょく撰集『新古今和歌集』は、院の和歌の「君」は彰子のことと解釈しています。道長の日記『御堂関白記』が、院の傍そばで和歌を聴く彰子の姿を書き留めているからでしょう。とすると、これは院から彰子への愛の歌ということになります。

https://steranet.jp/articles/-/3678  より

結局、はっきりとした答えは出ていないのかもしれません。

しかし、答えが出ていないからこその奥深さのようなものがあるような気がします。
答えのない余白、その余白を考えられるのが日本文学の醍醐味だと私は思っています。

一条天皇は、7歳という若さで天皇になり、32歳で亡くなっています。
その25年間は、一条天皇にとってどのような歳月であったでしょうか。

ドラマを見ていく中で、一条天皇の生涯に思いを馳せると切ない気持ちや心が痛くなるような事が多々あったことを思い出しました。

定子に先立たれて、彰子を残してこの世を去った一条天皇。

大河ドラマを見ていなければ、名前しか知らなかった天皇でしたが、
ドラマを通して、多くのことを学ぶ事が出来ました。

美しく切ない一条天皇像を創り上げてくださった塩野さんの演技にもとても心を打たれました。

ドラマや様々な出会いに感謝の気持ちを込めて……💐

この記事を締めくくろうと思います。

参考にした記事は以下の通りです。

以前、考察した定子の辞世の句についてはこちら。

最後までお読みいただきありがとうございました😊


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