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本能寺の変1582 その一因 一、光秀の年齢 そ第78話⑬ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀の年齢 そ第78話⑬ 

2光秀の年齢 6人格形成 

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 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
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そ第78話⑬ 同二十八日

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 【参照】その一因 一、光秀の年齢 2光秀の年齢 6人格形成
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     そ第78話⑤ そ第78話⑥ そ第78話⑦ そ第78話⑧
     そ第78話⑨ そ第78話⑩ そ第78話⑪ そ第78話⑫

同、二十八日
光秀は、連歌会を催した。
 
これが、「愛宕百韻」。
 史料は、以下①~③の三つ。

 ①【 重史 005 】 「続群書類従」

  
時は今、あめか下なる五月哉        光秀
  水上まさる、庭の夏山           行祐
  花落つる、池の流れをせき留めて      紹巴
  (中略)
  色もか(香)も、ゑひ(酔い)をすゝむる花の下  心前
  国々は、猶、長閑なる時          光慶

 ②【 重史 031】 『信長公記』                    

  廿八日、西坊にて連歌興行。

  発句     惟任日向守
  ときは今、あめが下知る五月哉       光秀
  水上まさる、庭のまつ山          西坊
  花落つる、流れの末を関とめて       紹巴

  か様に、百韵(いん)仕り、神前に籠(こめ)置き、

  五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。

 ③【 重史 032】 「惟任退治記」

  惟任(光秀)、公儀(信長)を奉じ、二万余騎の人数を揃え、
  備中に下らずして、密かに謀反をた工(たく)む、
  併(しか)しながら、当座の存年に非ず、
  年来の逆意、識察する所なり、

  扨(さて)、五月廿八日、愛宕山に登り、一座の連歌を催す、
  光秀、発句に云はく、

   ときは今、あめかしたしる五月かな、
  
  然るに、天正十年六月朔日、夜半より、
  彼の二万余騎の人数を延(ひ)きい、丹波国亀山を打ち立ち、

①「時は今、あめか下なる五月哉」
 
これは、光秀の必勝祈願。
 根本は、そこにある。
 とすれば、次のように解釈できるのではないか。

 今は、五月。
 地上の全てが、雨の下にある。
 私は、間もなく、出陣します。
 戦いに勝利して、天下統一の願いが叶いますように。

 
この時点で、光秀は、未だ、「謀叛」の決断をしていない。
 以下を、その根拠とする。

 一、光秀が、重臣に、心中を打ち明けるの六月一日夜のこと。
   これ程の大事、しかも、秘中の秘。
   これを、運命を共にする一族・重臣より先に、如何に親しいとは
   いえ、赤の他人の連歌師連中に、話すわけがなかろう。
   光秀は、典型的な戦国武将。
   猜疑心が強く、用心深く、注意深い。
   常に、最悪のことを考える人物である。
   「万に一つ」
   漏洩すれば、一族・重臣もろ共、命を失う。
   光秀は、そのような、愚かなことは、しない。

 一、光秀は、信長の、確実な上洛日を、未だ、知らない。
   また、これに、付き従う者の数も、未だ、掌握していない。
   来るか来ないか、ハッキリしない段階で、また、従者も数も知らぬ
   状況下で、決断など、出来るわけがなかろう。

 したがって、解釈上からも、根拠の点からも、①の方が理に適っている。
 故に、これが、正しい。
 すなわち、史実。
 そう、考える。

②「ときは今、あめが下知る五月哉」
③「ときは今、あめかしたしる五月かな」

 こちらは、実に、単純明快。
 物語性があり、ストレートである。
 次のように、意訳できるのではないか。

 五月である。
 今こそ、源氏=土岐=明智が、天下を奪い取る時。
 光秀は、連歌の席で、己の心底を、打ち明けた、・・・云々。

 大村由己は、確信犯。
 「今、これを思惟すれば」
 「則ち、誠に、謀反の先兆なり」
 「何人か、兼ねて、これを悟らんや」
 明らかに、史実の捏造。
 すなわち、ファンタジー。
 物語、創作もの。
 その張本人である。

 内容的には、矛盾だらけである。
 だが、「話」としては、史実よりも、こちらの方が、面白い。
 山崎で、負けた光秀=悪、勝った秀吉=善。
 死人に口なし。
 戦後、秀吉は、これを、大々的に、喧伝した。
 故に、大ヒット。
 大衆に受けた。
 これが人の世。

 そして、こちらの方が主流となり、現代までつづいている。
 そろそろ、そのような固定観念を打破すべき時では、・・・・・。

 そう、思う。
 如何、だろうか。

同日、家康は、京から大坂へ。

同日、信長は、上洛せず。

同日、石谷頼辰、未だ、帰還せず。



 ⇒ 次へつづく

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