本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性3 そ第158話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 2(1)光秀の素性3 そ第158話②
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信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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そ第158話②
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そ第158話③
道三の下剋上3 頼純の死 2/3
頼純は、動揺していた。
信秀の大敗北。
「五千討死」
頼純方にとっては、大きな痛手。
斎藤利政は、機を見るに敏な男。
この好機を逃さない。
強(したた)かな男である。
利政は、出家して道三となった。
天文十四年1545。
おそらく、この頃だろう。
利政は、出家して、道三と号す。
頭を丸め、頼純に、詫びを入れた。
【参照】目次小 12光秀と斎藤道三 3光秀の青年時代 第84話
道三は、頼純に従属する姿勢を見せた。
今度は、懐柔策をとった。
頼純の油断を誘う作戦に切り替えた。
そして、講和。
天文十五年1546。
頼純と、和睦成立。
道三の娘が頼純に嫁した。
条件の一つだったのだろう。
道三は、頼純を己の掌の内に取り込んだ。
剰(あまつさ)え、次郎殿を聟(むこ)に取り、
【重史024】 (「春日文書」)
【参照】12光秀と斎藤道三 1光秀の少年時代 79
忝(かたじけな)くも、次郎殿を聟(むこ)に取り、
【重史027】 (『信長公記』)
斯くして、頼純の篭絡が完了した。
となれば、次は、・・・・・。
⇒ 次へつづく
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