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思考のあわい

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日々思うことを、まとめずに書きっぱなしにした思考のアウトプット的記事。
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2021年11月の記事一覧

「若くてかわいい」の呪い

姉(50代)がパート先でモヤモヤした話を聞いた。
パート先休憩室のパーテーションを隔てた向こうで、自分がいることに気づかずに話している二人の会話が聞こえてしまったのだという。

20代(女)のパートA子が、40代(男)社員B崎に何やら相談している。
どうやら年長のパートにいじめられているらしい。
(それは姉のことではないようだ)
その相談に対してB崎はこう慰めた。

「A子ちゃんは若くてかわいいか

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まだ準備は出来ていないから

まだ準備は出来ていないから

昨日から母親を連れて、帝国ホテルに泊まっている。

どこかのイルミネーションが見たいという母のリクエストに応えて、日比谷と丸の内のライトアップが見られる銀座エリアを選んだ。
高齢で夜出歩くのが体力的に不安だったし、親孝行らしいこともしてこなかったので、憧れていたらしい帝国ホテルお泊まりをプレゼントしたのだ。

3年前に父が亡くなるまで、長く介護をしてきた。
遊びに行くこともできず、亡くなってからは

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全ては決まった偶然だとしても

先週のデスカフェで、興味深い話題になった。
きっかけは「自殺についてどう思うか?」という、ハードな話題提供だった。
ここからどう展開するかな…と見守っていたら、「命は誰のものか?」という方向に話が動いた。

自殺や安楽死は「死ぬ権利」という文脈で語られることが少なくない。
特に安楽死先進国では、個人が自由に生きる権利の中に「死の選択」を含むという考え方が採用されることが多い。

でも、そもそも命は

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それはほとんど見送る準備

どうも「終活」という言葉がしっくりこない。

正確に言うと「就活」「婚活」のような「○活」という言葉があまり好きではない。
誰かが言っていたが、○活は想定される理想のルートがあって、そこに乗らなければいけないイメージがある。
それが大変気に入らない。
昭和の日本ならともかく、今の時代にそんな考え方はそぐわない。

でも、一方で○活という言葉はとても便利だ。
特定の目的に対してアクションを起こすこと

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ネクラの幸福論

先週、人類学者の磯野真穂さんの講座「聞く力をのばす」受講者オンライン交流会で、「ネアカとネクラの違いは?」というお題が出た。
ブレイクアウトルームごとにお題が提示されていて、この部屋は「明るい人は入室禁止」とされていた。
というわけで、部屋には自称ネクラが5人集まった。

まず、それぞれが持っている「ネアカ」のイメージが面白い。
「ポジティブ」
「パリピ」
「陽キャ」
そんなキーワードで語られるネ

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たくさんあるとわかりにくい

言葉には、人それぞれのイメージと定義がある。
同じ言葉でも、イメージと定義が違うまま会話を続けると、齟齬が生じて内容が全く伝わらないことがある。

昨日『世界は贈与でできている』の読書会で、この話題になった。

本の中で「逸脱的思考」と「求心的思考」という話が出てくるのだが、どうも「求心的思考」が何を指すのかピンと来ない。
文脈からは「一見不可解に見える現象の原因を推察すること」を指すように読める

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人と会うことは殴り合いだ。それでも。

コロナ禍で、人と会うことは随分減った。
オンラインが充実するようになって、会う手間が省けるようになった。

「会う」ということは、手間である。
そればかりではない。
会うことは、暴力性を孕む。
この言葉は、斎藤環さんの受け売りだ。

人と人が出会うとき、それがどれほど平和的な出会いであっても、自我は他者からの侵襲を受け、大なり小なり個的領域が侵される。それを快と感ずるか不快と感ずるかはどうでもよい

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どうも気になる落語の世界

最近、落語が気になっている。

初めて出会った「落語好き」は、大学のゼミの教授だった。
その先生はいくつくらいだったんだろう?
思い返せばおそらく45歳前後、飄々とした、雲を掴むような佇まいで、教授らしからぬひねた風貌で、意外にもバーバリーのジャケットを愛用する紳士だった。

ゼミ合宿で先生の車に同乗させてもらった時、カーステレオからずっと落語が流れていて、そこで初めて落語好きと知った。
穏やかな

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「ただ見えなくなるだけだ」なのか?

デスカフェを開催し始めて、1年と少し経った。
3年前の父の死を機に、死別の悲しみや、そもそも人が死ぬことの意味をずっと考えてきた。
これは私だけが思っていることなのか?
他の人は死についてどう思ってるのか?
そう思いながら気がつくとこの3年、死について何も考えない日はなかった。

私は死に取り憑かれているのか?
そうとも言える気もするし、そうではないとも言える。
死を考えると言っても、ずっと希死念

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結局ふりだしに戻るしかない

「写真は、ありのままを写しません」
私がオンラインで行う写真の写り方講座でよく言うセリフだ。
写真は対面と違って、色々な情報が抜け落ちる。
声も聞こえない、動かない、場の匂いやざわつき、気配のような雰囲気もわからない。
何より対面だと流れる時間を共有するのに、写真は一瞬を切り取って固定する。
これだけ色々な要素が失われる写真が、ありのままを写すわけがない。

ZOOMのようなオンラインはどうか。

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ショートカットじゃわからない

「よく知りもしないくせに」
「どうせあなたに私の気持ちなんかわからない」

誰かから投げかけられた言葉に対して、そこに共感や寄り添いがなかったり、あるいはあまりに非現実的なアドバイスをされた時、人はしばしばこんな風に反論する。

この現象は、もう少し論説的な表現をすると「当事者視点がない」ということだろう。
現在、当事者視点の欠如は非難の対象になりやすい。
それがわかっているからこそ、例えば「鬱の

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大きすぎて持ちきれない

昨日は父の命日だった。
亡くなって3年目の今年は法事もない。
姉と私で仏壇をいっぱいのお菓子や果物で彩った。
父が好きだったお菓子を思い出して探したが、すでに販売が終了していた。
時は流れるのだ。

父は自分の欲はほとんどなく、家族の幸せが自分の幸せだと言い切るような人だった。
晩年の数年は介護と、おそらくまだら認知症もあったので、かつての父よりも子供っぽい言動も多かったが、それでも父の要求の根本

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アクセスポイントたらしめる

昨日『END展』に行ってきた。

この展示は最近出た関連書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』の中から諸々抜粋したものと、書籍にはなかったアート作品などをプラスしたものになっている。

実際の展示で色々感じるところはあったが、またしてもWEB墓である。
(こちらの記事参照)
それにインスパイアされたようなアート作品もあった。
アーティストが意思を持ってデジタル作品を墓として作るなら、確

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「楽しい」がわからない

昔からある種の「楽しい」という気持ちがよくわからない。

多分、楽しいことはあるのだ。
会いたい人がいたり、話していて楽しいなと感じることもある。
あるのだけど「楽しーーー!!!」みたいにテンションが上がることはまずない。
仲間とワイワイ騒いだり、ライブでノリノリになることもない。
そういう場にうっかり居合わせてしまうと居心地が悪いし、無理に周りに合わせて楽しいフリをすると、後でぐったりと疲れてし

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