【古典から学ぶ♯3】哲学者であり数学者であるデカルトの「方法序説」
『我思う、ゆえに我あり』
こんにちは!マスムネです(^∀^)
冒頭の言葉は、現代哲学の創始者といわれるデカルトが残した有名な言葉です。
意味は、
『世の中のものをすべて疑うことができても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことはできない』
ということです。
と言われましても…
つまりどういうこと?となる人も多いのではないでしょうか?
この言葉の意味を深く理解するには、
この言葉が生まれるまでの経緯を知った方がよいと思います。
デカルトがこの言葉を発するに至るまでをお話ししましょう。
自分の存在が揺らぐ
デカルトは、1596年、フランスで生まれます。
かなり裕福な家庭に育ち、ヨーロッパで一番の有名なキリスト教の名門高校で学びます。
幼い頃に、文字による学問で、「明晰で確実な知識」を得られると教えられてきたので、デカルトは学校に行けば、それが手に入ると希望を抱きながら、学校に通います。
しかし、学校に通いながら、文字による学問に疑問を持つことになります。
当時は、コペルニクスやガリレオらによって、天動説から地動説が主張されるような激動の時代でした。
天動説は、キリスト教の教義だったので、
科学による地動説の発見は、キリスト教や聖書の権威を揺るがす存在です。
デカルト自身は、子どもの頃から、キリスト教の学校で学んできたこともあり、
科学を学べば学ぶほど、幼き頃から信じてきたキリスト教や哲学はなんだったのか、反対に科学とは何なのか、自分自身の中で矛盾を抱えていくことになります。
デカルト、旅に出る
そこで、一度、文字による学問を放棄し、「世界という大きな書物」を見る旅にでることを決意します!
彼はその旅を経て、以下のことを思うようになります。
文化には多様性、相対性がある。
多数派が真理ではない。
ゆえに、真理を得るのに、人に頼ることはできない。
つまり真理は、自分で導かなければならない。
という思いに至ります。
彼は、人間が知りうるすべてについての完全な知識は「哲学」にあると考えており、
新たな学問を作り出すには、哲学の原理を知る必要があると考えました。
そこで彼は2回目の旅にでて、さまざな国へ赴き、観察と経験を積み重ねます。
その旅は9年に及びます。
その後、デカルトは、哲学における原理を明確に見つけるために、自分の中にある偏見や誤りを排除し、さまざまなことに疑いをかけていくことに取り組みます。(これを方法的懐疑といいます。)
方法的懐疑を突き詰めていくと。
デカルトが目を向けたのが、
「自分の感覚」と「数学的真理」です。
自分の感覚は時として誤りがある。
見間違いや見当違いだってあるし、
今触れている感覚が夢と現実のどちらなのか
示す確かなものはない。
一見、真理をついていそうな数学にも間違いがあったりする。
絶対間違ってなさそうな事柄についても、神によって間違えるように仕向けられているかもしれない。
たとえば、
「四角形は4つの辺からなる」といった当たり前のようなことさえ、
本当は4つの辺ではないのに、神によってそう思わされているだけなのかもしれない。
マスムネ「デカルトさん、考えすぎですよ…」
って思っちゃいますが、哲学の真理を追求すると、そこまで削ぎ落とす考えになるのでしょうね。
ここまでの境地に至ったデカルトは、気づくのです。
「何かを疑っている(真理を追求している)間、自分は存在していなければならない」と。
そして辿り着きます。あの言葉に。
「我思う、ゆえに我あり」
『世の中のものをすべて疑うことができても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことはできない』
冒頭と同じ文章を持ってきましたが、感じ方が違いませんか?
他の何かの存在は疑えても、
何かを疑っている時点で、自分自身がここにいることは疑えない確かなことである。
この境地を得ることで、デカルトは真理を極める学問構築の出発地点に立つことができたのです。
そう、出発地点です(笑)
その後については、また次の記事にしたいと思います。
最後までご精読ありがとうございました!