幸運な病のレシピ 2021年8月21日〜31日
「食事」は「コミュニティの価値」が家庭の食卓を通して表現されているものである。それは「宗教」であり「しきたり」であり破ることは出来ないものであった(他に選択肢がない:僕の小さい頃は店で食事が売っていなかった)。食事には厳しい戒律があり、厳密なCODEがあったのだ。
多くの生命は食物連鎖の中に生きるために、一定の温度・湿度・日照量の範囲でしか行きれない。ピラニアは獰猛な魚と知られているが、極めて狭い水温のエリアにしか住めない。渡り鳥はヒマヤラをも超えるが、生きることの出来るエリアは狭い。
ヒトは地球上のあらゆるところに生息域を広げた。しかし、その生きるエリアは「調理」とセットになっている。農作物を栽培し、家畜を飼い、火を使い、様々な生命を「食事」出来るように加工したのだ。そして加工の手順こそが文化と呼ばれるものであり、生きるためのCODEなのだ。そしてそれは文化というバズワードで表現される。
大事なことは、この「文化」というやつは、どこにも存在しないのだ。荘厳な神前の中にも重厚な経典の中にも見つけられない。医師の抽象的な警句では具体的な行動とはつながらない。
個々の家庭で毎日の食事を作り、生を授かり、死者をおくる。その作法のうちに見ることが出来る。しかし、自分自身を「律しているCODE」を自分自身はしることはなかった。それは当たり前なのだ。自分以外のコロニーとの比較において初めて浮き彫りになるのだ。
もう一つ大事なことは、社会の変化とともに、このCODEは変化するのだ。私達は、環境の変化に適応するために自分自身を変える。
1980年代を分水嶺にした社会構造の変化は多くの「病」を生んだ。「病因のない身体の状態」を私達は病(生活習慣病・難病・膠原病)と予備恐怖する。しかし、それは私達を守っていたシェルターが崩壊したために起こったことなのである。
昨今のレシピ情報の氾濫は私達が自分自身を失ったことから始まっている。
食事、セックスいずれも「家庭」というシェルターが厳しく律している。それは同時に欲望を戒める檻であった。感染症や中毒症、私達は「調理」という自由(食物連鎖に一つのパーツを組み込んだのだ)を得たと同時に大きなリスクをも「うち」に持ったのである。坂口安吾さんは「ラムネ氏のこと」の中で「ふぐ」をいかにして食えるようになったのかを考察している。
そして、社会の変化は「食事」を外注化せざるを得ない状況においた。僕はこの状況こそが、「病因のない災厄」と密接に結びついていると思っている。
では、出口はあるのだろうか?ピンコロの人生の終りを迎えることが出来るのだろうか?只今実験中なのである。
幸運な病のレシピとは、毎日の食事を通していかに自分として生きていくかの実験である。
この記事は 2021年8月21日〜31日の記錄
#サンマ飯 #汁
【2021年8月31日】今日は汁だけにしようかと思ったが、冷蔵庫に昨日の焼きサンマが残っていたので一合の米で炊き込むことにした。少なかったので鶏むね少々にコンニャクにタケノコを入れた。生姜をどっさり入れるのが嬉しい。出し汁は僕のオリジナル、少し甘くでてしまった。サンマ飯は久しぶりだ。ミルクパンで弱火で20分というところだろうか。微妙に火加減をする。焦げも少なく柔らかく出来た。100点である。10分蒸らして食べたのだが、やはり美味しい。炊きあがるまでに汁を作り片付けをした。お店に行ってなにか買ってくるにしても、食べに出るにしても30分で用意ができるというのはいいタイムであろう。おまけに美味しい。たぶん、『店長お店に出せますよ』のレベルである(笑)。汁にホウレンソウは最後に入れる。青物はおひたしにするのなら汁に最後にちらしたほうが良い。味を整えて火を止めてから散らす。サンマの骨を抜いて混ぜて小降りの茶碗で食べる。滋味である。一緒に持った揚げ物はララのカレー揚げである。娘が帰ってくるのでメンチカツは少し残した。料理作りは楽しいものである。おまけピンコロの人生がついてくる。今日も飲まないでよかった。来年の国体の見積もりを作り実家の冷蔵庫や洗濯機を処分した。今度あちらに住もうか。本と書類を置く場所ができた。本棚買わなくっちゃ。終活ではない、新たなジャンプである。
#メンチカツ #タラカレー揚げ #揚げ餃子
【2021年8月31日】手羽先はマユ用に安いと買ってっくる。先頭は煮て元の方は骨を出して醤油で照り焼きにする。この方法が一番いいようである。人気である。タラは昨日焼きびたしにした残りである。カレー粉で巻いて片栗で固めて揚げた。美味しく上がる。餃子は半生のものを買ってきてあげたのだが、このメーカーのものは美味しい。メンチをサンドにして食べた。これが食べたかったのである。長い道のりであった。出来たては美味い。時折買うメンチカツがあるが、やはり上手な人の作ったものは美味しい。味が違うと言えばそれまでであるが、今度また違う作リ方をしてみよう。昔、キャベツメンチを作っているお店があったなあ。今日はタマネギのメンチである。食べ物は面白い。
#ボンゴレ #パスタ #アスパラガス #平野屋ベーコン #禁酒5日目
【2021年8月31日】150円のアサリがあったので買ってきてボンゴレにした。パセリは高かったので昨日の細アスパラを使った。ベーコンは僕の自作の冷凍したもの。お店のボンゴレはでかいアサリがドカンと乗るが、僕が買うのは小さいアサリである。小さいアサリがたくさんあったほうが味わいは深い気がする。アサリの内臓こそが美味いのだろう。しかし、貝というのは面白い。海の中で小さい生命を集め大きくしてくれる。白ワインでジックリと煮詰めた。ニンニクと唐辛子が美味しいのである。アスパラは火を通したらアサリを入れる前に上げて、最後に戻した。ソコラのお店で食べるより美味いし値段も安い。朝スーパーに行き80円市でパンを買った。もうすぐ妻のパートの晩飯をつくる。今日はひき肉があったのでメンチカツを作って、パンではさもうと思いスーパーに行ったのだ。常に何かを作ることを考えておる。住み込みの下男は辛い。
#夜食 #お好み焼き風 #納豆ストレート
【2021年8月30日】お好み焼きソースを目玉焼きにかけるとお好み焼きになるということはあまり知られていない。夜中に腹が減った。一昨日の炒めが残っていたので、お好み焼き風に仕立て直した。炒めものを温めるにはレンジは好まない。熱くなりすぎるのだ。なので、卵を小フライパンで目玉焼きにして野菜炒めを乗せて返して、お好みソースとマヨネーズを掛けて青のりを降ると激旨である。少し足りなかったので納豆のストレートを食べた。
どうしてお腹は減るのだろう。栄養学がうなれた時代からの謎であった。カロリーと言う概念は、体温を表面積で割って食品を燃やした熱量がどれだけ減るかから出している。1800年代のお話である。今では全く通用しない。「体温」は「身体の使われるエネルギー」の内で大した量ではない。身体は毎日100gの皮膚を滑落させる。粘膜もそう、大変な量の代謝物を身体は作っている。骨にしても毎瞬間「破壊」されながら「再生」されている。脂肪細胞も筋組織も毎日5〜20%が溶け出され、身体の細胞が受け取り、排出していく。そして再構築される。恐ろしく複雑なキャッチボールをしている。しかし、細胞はそんな事しているとはしらない。海に浮かぶ孤島のようなものである。打ち寄せる波に乗って打ち上げられる瓶の中の手紙のようなものだ。
#タラ #手羽先焼き #細アスパラ
【2021年8月30日】鱈の切り身を2パック50%引きであった。焼いてそのまま醤油をかけるのがスキだ。母は焼きびたしと呼んでいた。生鮭を焼いたときなど「味醂と醤油をにきった汁」に漬けると美味い。タラは冷めると「生還る」ので熱々の時に醤油をかけるのが好きだ。煮付けてもいいが、妻娘は嫌う。細いアスパラが200円であった。新発田はアスパラを農家に推奨しているので規格外のものが安く手に入る。牛肉とエリンギと炒めた。味はオイスターソースと甘酢でまとめた。もう少し酢をにきればよかったかしら。鶏むねを煮てアクを取ってわかめの味噌汁に入れた。これは美味かった。夜の汁には肉を入れるようにしている。昨今、タンパク質が重要だと言われるが、乾燥工程を通ったものであったり、アミノ酸レベルの粉であったりすることは間違えていると思う。食材の持っている生命を破壊してバラバラの要素ばかり食ったところで仕方ないのだ。何よりもそういう食い物は「旨く」ない。それこそが役に立たない証明だと思う。美味しいものを丁寧に作ること、時に失敗するであろうが、やがて、上手く作れるようになる。チャレンジこそが大事である。
#メイクイーン #ジャガバタ #禁酒5日目 #ビタクラフト
【2021年8月30日】メイクイーンはジャガバタに最適である。ホクホクになる。炭水化物を食べたいなと思いながら気がすすまない時はこれに限る。厚手のミルクパン(ビタクラフト)でお湯をギリギリにして最後に人参とバターを入れて上下するとこれほど美味いものはない。妻が娘の朝食に温玉を作る。一つを乗せたらコレもまたいい。長い人生の中ではじめてのことである。男爵は煮崩れしないので煮込みに良いが、ジャガバタはこちらのほうが美味しい。お代わりした。手羽先とキャベツ炒めは昨日のあまり。
昨晩は、思い余って讃岐うどんを卵入れて食べたのだが、人生に後悔はない。あまり旨くはなかったが、どうせなら「かき揚げ」あげて食べればよかた。しかし、夜中の夜食にかき揚げあげて饂飩食うというのもなあ。時折悩むことである。おかげで今朝はパスタも麺もご飯も食べなかった。良し悪しは自分の心の内、身体というコロニーを統べるマイクロバイオームが決める。少し麺が固めだったのが残念だ。このままでは死ぬに死ねない。
#キャベツ炒め #長なす焼き #サンマ #手羽先タレ焼き
【2021年8月29日】長なす系は焼いたほうが美味い。なのでサンマと一緒に焼いてスライスしてキャベツともやし、牛肉の炒めに添えてた。キャベツは生命の生まれるところである。一年中美味しい。夏は少し水分が少ないので僕はいつももやしと一緒に炒める。今日はコンロが足りなかったので牛肉はカタクリを振って最後に入れた。蒸し焼きにしてごま油とオイスターに醤油酒で味をまとめた。濃い味になったが、焼き茄子を添えたら丁度いい味になった。手羽先はマユのご飯である。先端を少し関節の内側から切って、細い方の骨を割るようにすると良い。生姜で照り焼きにして蒸したあとで今日買ってきた焼肉のタレで味を入れた。レシピを決めて材料を買うわけではない。材料をどう調理するかである。そして毎食の流れを考えて飽きないように、美味しく食べれるように、旬を逃さぬように丁寧に作るのだ。男子一生の仕事としても何ら恥ずかしくない。厨房は家族の人生を健やかにするのだ。
#フラペチーノ #パスタ #サンドイッチ #フレッシュバジル #アーリオオーリオ
【2021年8月29日】パスタ作ったらガンガン食っちまった。バジル多めのパスタである。フレッシュバジルとニンニクのアーリオオーリオである。暑かったのでフラペチーノ100円引きを妻と娘が買って来た。僕はイチゴにした。頭がキーンと言った。懐かしい。サンドイッチも食べた。夜は少し野菜食べたいと感じるのは良いことだ。サンマを買ってきてあるのでキャベツともやしをビーフンで炒めて、サンマ焼いて手羽先照り焼きにして簡単に済まそう。そんなに簡単ではないが(笑)。
大体。先の2回分ぐらいの食事のメニューは決まっている。何せ冷蔵庫との話し合いである。妻と僕が動けるタイミングで肉魚がや野菜が入ってくるが、材料がないことには何も出来ない。時には出来合いを買うが、それの積み重ねが「管だらけの人生の終わり」につながっていると思うと、どうも買う気がしない。一首の強迫観念である。病気だ。医者にクスリまみれにされて同じ様な手術を繰り返されるよりは、キトンと食事しないと辛い死に方をっするという強迫観念症のほうが良い。心療内科いけばいい薬がもらえる。僕は病気のままでいい。人には病気にかかる権利がある。自分で治る権利もある。医療は本人の意志に従ったものでなければならない。治療とは侵襲(傷つける)事なのだ。本人の同意がなければそれは犯罪であり、嘘ついて治療させたなら、詐欺である。感染症になってしまったらジーッと家にいれば良いのだ。わざわざ医者に行って広めることもあるまい。
#ナスの味噌汁 #揚げ物チーズ乗せ焼き #かぐら南蛮
【2021年8月29日】ナスと冬瓜の味噌汁である。母は、ナスの味噌汁はいつも薄く切っていた。切り方一つで味は全く変わる。料理の面白いところだ。冬瓜も同じ様に薄めにした。かぐら南蛮が残っていたのでザクザクに切って炒めた。ピーマンやカグラ南蛮は立体構造をもたせたままに炒めると面白みが出る。生のところとよく焼けたところが混在して楽しい。卵で閉じると味がまとまる。ご飯は40gに梅干しを2つ。主食という概念は、ガッツリと肉体労働するヒトのものだったのではないかねえ。坂口安吾さんがどんな拷問にも「転ばなかった」キリシタンが兵糧責めで音を上げたと書いていたような気がする。探しているんだが見つからない。同時にハンストで命を失う殉教者もいる。食事とは面白いものだ。過食・拒食・依存、私達は心で食事するのだ。
#後片付け #食器洗い機 #食洗機 #住み込みの下男 #禁酒4日目
【2021年8月29日】「食洗機」は長く夫婦の間の喧嘩の原因であった。僕は精一杯詰め込もうとした。料理ばかり作らないで、後片付けもしろと言われては、汚れが落ちないとなじられ。勝手にしろと喧嘩する。油汚れが残っているとそれはもう一回洗えばいいと言っては電気だが無駄だと言われる。夫婦喧嘩は子供を味方にして相手を追い込もうとする。僕の料理を子供も食べなくなるのだ(笑)。こうして「オス役の片割れ」は厨房から締め出されるのだろう。2015年に失明を宣告されて、すべての食事を作ることに決心した。とにかく「食べる人重視」である。食べていただくという心である。僕は結婚前も。結婚後も傲慢で思い上がった男であった。厨房仕事に必要なのは、奉仕の心である。
持ちのいい朝である。マユにご飯をねだられて、厨房の片付けをした。食洗機は「ゆすぎ&乾燥機」と認識している。洗剤で一回手洗いをする。油汚れは落としてから、皿の間はあけて並べる。大皿と大皿の間にはハシなどを入れて空間をつくる。回りだしても音に耳を澄ましてきちんとローターが回っていっるかを聞く。時折、ハシが落ちたりしてローターを邪魔する。油汚れとご飯粒などは大敵である。食洗機は洗って、排水をしても油は庫内の壁面などに薄くついていることがある。もう一回洗ったとしても薄くなって残る場合が多い。なので、ご飯粒系や油汚れは一回洗っておとしてからいれる。こうすると結構密に入れてもきれいになるのだ。予洗いという手もあるが、やはり脂が残る場合がある。確認して判断するより全部洗ったほうが落ちがなく確実である。食洗機を回している間に入らない大物をやっつけて、天ぷら鍋を洗い生ゴミを捨てる。おおよそ30分の仕事である。日曜なので妻と娘は寝ておる。やがて一人になってもきっと同じ様に続ける。食事を毎日作り後片付けをして庭をいじる。平穏な余生である。年金が足りればであるが。禁酒4日目である。
#オムライス
【2021年8月28日】オムライスを作った。妻が21時に帰ってきたので娘の作っていたケチャップライスを卵でくるんだ。僕はオムライスが大好きなのだ。卵で包むのは達人的である。もう一個卵を使うともっと良い。少し薄めにしてパリッとした感じを出した。スープはチャーシュウのものにネギと豆腐を入れた。味がこすぎた。明日はまたラーメンをくおうと思う。揚げ物は、昼に作ったもので、ラーメンにも添えていた。まあ、美味しく食べれたと思う。週に3回ずつ揚げ物をするのだから上手くなって当たり前である。とは言っても、奥が深いものだ。何よりも厨房仕事は手間かけないで安定した満足を狙う。そこが商売物と違う。競争ではない。自分のポリシーに従って作り食べる。マユも大活躍であった。椅子を開けておいたらぴょんと乗ったのにはびっくりした。今までは乗れない距離であったのだ。生命の跳躍を感じる(笑)。シャケフライの骨のところをあげた。今日はあまり遊んでやらなかった。楽しかっただろうさ。
#生ラーメン
【2021年8月28日】問題は満腹である。ラーメン一杯食べるとカロリーオーバーだから「残せ、我慢しろ、コンニャクの麺は美味しいぞ」と医者はまるで患者をバカ扱いである。そうして自分は痩せているからと言ってズヒョズヒョ替え玉まで食うのだ。僕は太らないから大丈夫、と安心しているのだろうが、検査値(BMI=肥満度)は正常でも中身はぼろぼろになっていくのだ。身体の内側の細胞は常に「タンパク・脂質」を入れ替えている。適切に食物連鎖から受け取らないと、検査値正常は正常である日「致命的な臓器」がドカンと行く。検査値は80兆個の細胞の代謝物のキャッチボールだ。代謝系の傾向によって決まり、大事なことは「致命的な臓器」を(適切に)守ることなのだ。そして順序よくすこしずつ死んである朝コトリと息をしていない人生こそがピンコロの人生だ。炭水化物は生命のプロトコルである。植物の葉は根にデンプンを渡し、根は土の中のマイクロバイオームを呼び寄せミネラルや多くの代謝物を葉におくる。やがて幹や葉は菌類に分解されながら動物の連鎖に入っていく。全ての細胞内ではブドウ糖が通貨として「タンパク・脂質=DNA」を取引しているのだ。しかし通貨だけでは生命は維持できない。だから僕はラーメンにトッピングをして麺はマユと半分ワケするのだ。もう一つ大事なことは、満腹になることだ。僕は麺半分で全く我慢していない。お腹いっぱいである。美味そうだろう。
#鶏むねフライ #サーモンフライ #煮込みチャーシュウ #煮玉子
【2021年8月28日】豚バラブロック(440円)に焼き目を入れて醤油とニンニクと生姜で煮込んで煮込みチャーシュウを作った(8月23日)。今日は浮かんだ脂を揚げ油に入れて、鳥の胸とサーモン、冷凍のイカリングを揚げた。妻がパートなので晩御飯になる。僕は3時位にラーメンを煮て食べることになるだろう。自家製チャーシュウである。煮卵と一緒にいいおかずになる。鶏むねは油が少ないので軽く叩いてパン粉であげるのが良い。今日は、余り欲を出さなかったので手短に済んだ。ここにポテサラとか手羽先の処理とか野菜炒めが入ってくると1時間を超える。後片付けも級数的に難しくなる。いつの間にか上手になったものである。ポイントは冷凍の揚げ物を加えることだと思う。餃子やシュウマイでもいいからポンと入れてあげられるものを用意しておくと鍋が暇しない。これ付だけ作っても明日には皆食べ終わっているのだ。ヒトの胃袋って凄いものである。今夜も酒飲まないで済みそうである。
#娘の料理 #昨日の残り物 #昨日の残り物 #禁酒3日目
【2021年8月28日】医師の言うとおりの食事をして、身体をそれに合わせるために薬を飲む。やがて、致命的な臓器不全が起こり、一生やめられないクスリを飲みはじめる。それはクスリではない。予防医学という錬金術を1997年に医師は見つけ出す。それは1980年以降の家で食事を作るノウハウが吹き飛んだ経緯と期を同じくする。私達は忙しい、食事処ではない。厨房仕事は手間がかかる。僕はすべての食事を素材から「生命(素材のタンパク・脂質の立体構造を維持した細胞そのもの)を大事にした食事」を作るが厨房仕事は忙しい。映画も演劇も、旅行もグルメなランチも出来ない。おまけに仕事がない。これは幸福なのか不幸なのか、アタリマエのことなのか?娘が肉を茹でてトマトを切ってトーストを焼いた。人の料理は美味しいものだ。素麺は数日前のもの、ナスの味噌炒めは昨日のもの。夜中に何もテベなかったので朝からお腹いっぱい食べた。酒を飲まなくなって3日目である。このカウントアップはいつまで続くのだろうか。やはり目の具合は良い。仕事がなくなったのでやめられたような気はするが、それはそれでまたつらい。
#陶芸倶楽部おばた
【2021年8月27日】7月にお邪魔した陶芸家の友人から作らせていただいた焼き物が届いた。自分で作った食事を、心を込めて焼いていただいた器で頂くというのは嬉しいもの。カップ麺やらお弁当やら、器がいらない食事は好きではない。後片付けはいらないかもしれないが、ピンコロの人生が迎えられない。何事も手間こそが大事。「人に頼めないもの」の中にこそ自分がいる。一輪挿しは難しい、頭が重くなると立っているのだが大変である。口が開いていると花がまっすぐにたたない。気がつくと一輪挿しを結構持っている。どうも好きなようだ。首のところが細くなっているので枝がまっすぐに立つように細工していただいた。大変気に入ってしまった。落款というのであろうか、マークも入れさせていただいた。「マサヤ泣き笑い」である。落款というのであろうか、マークも入れさせていただいた。「マサヤ泣き笑い」である。サメの大きな物はメガネ入れになっている。素晴らしい造形である。いなかっぺ大将の丼。僕らの世代ならば分かるであろう。指を入れて持ちやすいのだ。意外と使えるかもしれない。並々とスープを入れるばかりではない。鉢としても美しい。なめらかで造形がいい。いなかっぺ大将の丼。僕らの世代ならば分かるであろう。指を入れて持ちやすいのだ。意外と使えるかもしれない。並々とスープを入れるばかりではない。鉢としても美しい。なめらかで造形がいい。カップは頂いた。たいへん手に馴染んで使い良い。とても気に入っている。手に丁度いい大きさなのだ。
#冬瓜とナスの味噌炒め #タマネギと牛肉の汁
【2021年8月27日】豚肉とタケノコを小鍋で炒め、味噌を入れて味を入れた。冬瓜、ナス、モヤシ、カグラピーマン、人参を中華鍋でガツンと炒め、キャベツを加えて小鍋を入れてまとめた。肉はジックリ野菜は高温、蒸しながら鍋を返して最後は酒と醤油で味をまとめる。紫蘇があったら入れるところだが、今年は不作である。流石にバジル入れないが、入れても冒険で楽しかったであろうか。タマネギと牛肉はすこし牛肉が厚かった。ペラペラが美味しい。不思議なものである。健康には「野菜」がいい、「肉」が良いとヒトは言うが、ヒトはみな違うのだ。毎日の連続した食事の流れでヒトの身体は決まってくる。それなりの身体になるのだ。「健康」に良い食べ物とか悪い食べ物と言うが、それは「おいしい食べ物」ではないのだろうか。何かまずいものが体にいいという信仰があるのではないか?いつも気になる。貪欲を戒めるのは良いことであるが、嗜好品(炭水化物・酒・過度のセックス・覚醒剤)を別にして満足ができる食事が大事である。今日は野菜たっぷりの炒めと昨日からの残り物を食べた。「生命=食材の海の中で立体構造を維持しているタンパク・脂質」を維持する伝統的な調理方法は、美味しいのだ。同じようなものであっても飽きはしない。僕の毎日の食事は毎日同じようなものである。かつての母の料理はそうであったのだ。夜中に昨日の余っている揖保の糸を食べる。酒は飲まないで済みそうである。今日は暑かった。
#揚げ物カツとじ #味噌汁 #禁酒2日目
【2021年8月27日】唐揚げが残っている。タマネギを半分よく煮て、煮えたところで唐揚げとウインナを刻んで入れた。卵で閉じて食べるとよろし。味噌汁は舞茸と青いものに薄揚げである。梅干しを5つ食べた。20歳の頃、母は、健康講話で「梅干しを喰うな」と言われ、医者を馬鹿扱いした。15年後、僕が地元にも戻った時、母はすっかり塩分を摂らなくなっていた。いつも思う。自分が身体の主人だと思っていた母がすっかり医師の言いなりであった。鼻水みたいでうまくないと自分の味噌汁を馬鹿にしていた。父は毎食母の梅干しを食べていた。今年も母のレシピが美味しく梅干しが梅干しが出来た。いつも思う、自分の身体は自分のものなのだ。医者なんぞの言うことを聞いていたら病気にされてしまう。
#揖保乃糸 #禁酒1日目
【2021年8月25日】揖保の糸を茹でた。素麺の中でも高価な方である。しかし、1分きっかり茹でて水に取ると恐ろしく美味しい。もう遅かったが腹が減って落ち着かないので食べたのだが、他のメーカーではこうは行かない。口に含んで噛んだときのアルデンテぶりというか、バリカタぶりというか、たまらない。たぶん、20年近く前に播州出身の方に勧められて食べてみたのが始まり。大阪にすこし住んでいた頃穴子を食べて、美味しくてびっくりしたことを覚えている。その駅に降りたとき勧められたお店は古い旅館のような佇まいで、座敷が多く別れている廊下の奥に通された。穴子とご飯で、白焼きも頼んだと思う。うなぎも美味いてゃ思うが、穴子って素晴らしいと思った。その後、飯田橋の寿司屋さんで食べて美味しいと思い、それ以来穴子寿司好きである。地元のもうガンで亡くなった親父さんが、穴子と太巻きはその寿司屋がキチンとしているかの指標になると言ったことを思い出す。たしかにそのお店の太巻きは美味かった。だし巻き玉切の作り方も習った。揖保乃糸をつくる時いつも一連の記憶がごそっと出てくる。芋づる式というのではない、大きめの段ボール箱にごそっと入っているのだ。味の記憶は面白い。飯田橋の穴子のお店にっていた頃は独立したばかりで、宿賃がもったいなくて東京の友人の会社に泊めてもらいながら客先に打合せに行った。彼には世話になったが、すっかりご無沙汰となった。飯田橋は恐ろしく奥の深い街であった。
#揚げ物 #牛肉と冬瓜のトロ味
【2021年8月25日】今日は妻のパートなので揚げ物とキャベツにウインナそして冬瓜のトロトロを作った。揚げ物の油で牛肉を油通しして野菜をたっぷり炒める。野菜にはタンパク質が「ない」という馬鹿なことを言う医者がいるが大嘘である。タンパク質はすべての生命の共通のパーツである。DNAーRNAを鋳型にして作られ、細胞膜に生まこまれたり細胞の内部でその複雑な立体構造を維持しながら数日で破壊される。脂質は生命のパーツを送り届けるコンテナである。コルステロールを血管を塞ぐ悪玉だとか善玉だとか言うが、大まちがえである。事故現場に救急車は見れるが、救急車が事故を起こしているのではない。医学という自分に見え無いものは見えない万能の知識は信用してはならない。殺される。伝統的な手順で旬のものを食べることがピンコロの人生へと導いてくれる。毎日続けるのだ。しかし、私達は忙しすぎる。家賃やローンやリボ払いを払うために時間を売って時給を頂く。500円で満腹になる食事はそれなりの身体をつくる。社会の問題である。夕顔は旨味を吸って独特の触感をくれる。「政治的に正しい栄養学」は栄養価がないと言うだろうが、食べてみればその言い草が間違えているかわかる。ただ、美味しく作るには時間がかかる。何度も練習しなければならない。スマホでちらっと見ただけではこの美味しさは作れない。そこがもう一つの問題である。レトルトでは美味しくないし、高級中華料理店に毎日行く訳には行かない。時折友人にはマユが羨ましいと言われる。僕もそれには賛成だ。
#スコッチ #ハンバーグ #汁
【2021年8月24日】少し高いスコッチを一口飲んで息子におくることにした。ハンバーグは卵入れ忘れたが美味しい。焦げ目入れてオーブンで中まで火を通した。炒めたタマネギが多すぎて少しスカスカ感が有ったが子男俺もまたいいのであろう。味はケチャップである。うちはこれが一番である。パスタも添えものに作ったが一番美味しい。昨日の揚げ物や何やかにや食べた。汁はナスと野菜を醤油でまとめた。そこそこに美味しい。明日の朝、少し残った汁を食べるのが最近おのである。母は、毎年米を送ってくれたものだ。中にはいなり寿司が入っていた。食べ物を簡単に変えない時代のメンタリティである。父が出張で東京に来る時はいつもなにか持ってきた。東京には会社の宿泊施設があり、ごはん作ってくれる寮母さんが居た。昔は総維持時代だった。ビジネスホテルというのは最近の発明である。新発田市の育英会という組織でも水道橋に「寮」があり、毎日ご飯が出たものであった。17の頃そこに「研数学館」と言う予備校の夏期講習に言ったものである。あの夏は神保町の古本屋行ったりしたものである。丼にノリタマが山盛りでいつも出ていてご飯にかけて食べたものだ。もちろんおかずも有ったが、18〜22歳くらいの男の集まりである、満腹になるには大変だったろうなあ。翌年は牛丼屋さんが歩いていける範囲に有ったものである。しかし、父母もよく男二人大学にやったものである。
#マユのご飯 #NST #がんでは死なないがん患者
【2021年8月24日】少し出かけようとしたら、マユのご飯がないと妻に言われた。今朝の分でおしまいなのであった。2019年9月以降僕はマユのご飯も「素材の生命=立体構造を維持したままのタンパク・脂質」を大事にしたプロセスの調理で作っている。乾燥工程を通った食事は、分水分の中でこそ維持される生命の秘密を破壊する。だから美味しくないのだ。面白いことにマユは時折好き嫌いをする。美味しさが分かるのだ。少し食べて、首を傾げるのだ。「あれちょっと違うんじゃないの」と言わんばかりである。イワシの丸干やめざしが入っているとほぼいつもである。ワタが苦手と見える。光り物はどうかと思うとよく焼いたサンマや塩サバは問題ない。あと感じるのは塩分であろうか。味見をいつもするのだが、ショッパみが足りないような感じの時は食いつきが悪いのだ。僕は「生命というマイクロバイオームのコロニー」は自分の内で何が必要なのか知っていると考えている。栄養学者は、科学的に正しい栄養素の比率の食事をしないから生活習慣病になるという。彼等は自分でエビデンスや疫学調査を操るから絶対に間違えない。そんな物を僕は信用しない。
確かに入院食を食べることで元気になるという例はあるだろう。しかし、その場合はあまりにひどい食事だったからである。「ガンでは死なないガン患者」と言う本では老人の殆どは入院してガンではなくて食い物が悪くて死ぬという。NSTという栄養によって様々な疾病と向き合うという取り組みである。いい本だが、誰にでも効果のある政治的に正しい栄養学を信じすぎている。医師というのは役人で商売人だから仕方がないのであるが。そんな物信じていたら、辛い人製の終りを迎えねばならない。
#ココナッツカレー #目玉焼きトースト #トマト
【2021年8月24日】先週作ったココナツカレーが残っているので温めて、目玉焼きトーストに添えた。なんか足りなかったのでトマトを一つ切った。豪華である。ココナツカレーは野菜が猛烈に入っているのだが、蓮根がその存在を強く主張していた。じゃがいもは入れていない。大体いつもの小大都である。小玉葱を大ぶりにきったのは嬉しい。昼は2日前の豚バラを煮たスープを使いラーメンをつくる。モヤシは有るがホウレンソウ系がない。チャーシュウも戻し忘れている。これではいけない。気合い入れねば。かと言って、自作のチャーシュウは一晩かかる。少し悩もう。麺は半分ワケするのだ。マユが大喜びである。しかし、僕の体重の1/15なのに半分も麺を食っていいのだろうか。その目に痩せたほうが良いと言われそうである。
#ビール #汁 #揚げ物 #ツナピコ
【2021年8月24日】食べ物はたくさんあったので汁を作って一杯やった。汁は冬瓜とナスをメインに色々と入れた。とにかくその季節の安いものや余ったものをできるだけ入れる。ジックリと煮ることで、食材の内にある様々な「生命=立体構造を維持したままのタンパク・脂質」を身体に取り込むことが出来る。腸内の免疫系が食材の内なる生命とダンスして身体にいざなう。食事は「輪廻転生」の場である。食物連鎖などという傲慢な考え方で「食べ物さん」を単なる栄養素の提供元としか考えない政治的に正しい栄養学が私達を少しずつ殺す。人参、蓮根、冬瓜、ナス、小松菜皆大したことがないものだと栄養学は言う。しかしこの美味しさが僕の食事の正しいことのエビデンスである。ビールのんで足りなかったので2016年の梅酒を飲んだ。夜中にゲップの連続攻撃で起こされた。久しぶりにお風呂入った。
#市販ピザにノセノセ #揚げ物一式
【2021年8月24日】市販ピザに色々と乗せると美味しい。何よりも生地が薄いのでとても嬉しいのだ。今日はチョリソとバジル、タマネギ、ピーマンをトマトソースで炒めて乗せて、チーズノセノセで焼いた。市販品とは思えないくらい美味しい。揚げ物は今日はソテー用のイカを買ってきてフライにした。衣を厚めにすると何と言う美味しさだろうか。手羽先は先頭をマユ用に切るのだかが、少し関節の内側から切って細い方を引き剥がすようにするとうまく分離するように上がる。ニンニクと醤油で強めに味を入れた。鳥の皮と胸はフライ時間を稼ぐために少しだけ市販お冷凍物を入れる。ポテサラはもう少し時間をかけたかったのだが、スケジュール的に不可能だった(笑)。ああ、暑いビール飲みてえ。
#牛肉とピーマン炒め #納豆に生卵
【2021年8月24日】うちにはミルクパンが4つある。他の鍋も入れれば相当だ。鍋屋敷である。残った汁や八宝菜系の「とろみ物」を入れておく。油が分離するので、片栗を入れて炭水化物とすぐに温めて食べられる。夕食が足りなかったのカハラが減ったのでなにか食べることにした。残っていた牛肉とピーマンを炒めてとろみを入れたもを食べて、足りなかったので納豆に生卵を入れて食べた。昔はカップラーメン食ったものだがなあ。ご飯がないので満腹になるには手間がかかる。僕が寝たあとで娘が帰ってきてご飯食べたようである。角煮はほぼ食べてあった。イワシは一匹残っていたので醤油でテリを入れた。焼いてすぐ食べるのは美味しいが、時間が経つと辛い。レンジでチンもいいがこちらのほうが好きだ。夜の汁は残っているので明日の朝食になる。調理と食事は連続して続く。腹は減り続けるのが困りものである。
#イワシ #角煮 #ピーマン肉炒め #汁
【2021年8月23日】角煮をメインにイワシ焼きと数日の間の残り物を食べた。ピーマンと肉の炒めは豆板醤と豆チ醤で辛めに仕立てた。ピーマンは美味しい。少しずつ高くなっているようで、もうすぐ旬が終わる。味が濃かったのでトマトを切って添えた。意外と味がまとまって美味しい。イワシは、やすかったので買ったようである。すぐに捌かないといけない。どうせなので焼いた。焼くときはこまめに返さないと美味しくない。炭火でやりたいものである。もう少し涼しくなったらサンマを炭火で焼こう。オムレツやモズク、刺し身、余っていたものを一掃した。今日は一日暑かった。少し庭仕事したらボコボコに蚊にやられた。まだ夏なのである。
#豚バラブロック #角煮 #チャーシュウ
【2021年8月23日】チャーシュウでラーメンが食べたくなったのでバラブロック(440円)を買ってきてもらった。夕食でも食べたいので角煮的に作ることにした。ニンニクと生姜を刻んでジックリと炒めて、砂糖に醤油でネギを焦がして酒と水で40分煮込む。強めの味にして、皿を落とし蓋にしてコトらせる。美味そうだろう、実に美味しい。何せ440円の肉である。今日2/3を食べるので切ってカタクリでとろみを付ける。カタクリは脂質を捕まえてくれるので美味しさが肉と一緒に召し上がることが出来る(笑)。丁寧にバラ肉の中の脂質を逃さないで食べる。医者たちは脂溶性ビタミンは大事だという。しかし、脂質は少なくしろという。バッカじゃなかろうか。伝統的な調理方法は素材の美味しさを逃さない。トクホや医師ゃの太鼓判の食事は素材から美味しさを奪う、その分工業的に作られた「くらくらする美味しい味」と「栄養素」を付け足すのだ。僕は好まない。しかし、今の私達は忙しすぎる。そして大量生産の角煮はスカスカの生命のミイラである。高温でやわらかくされた過程で「タンパク・脂質の立体構造も、溶け込んでいる細胞や組織の内にある水分=生命」は捨てられるのだ。
#バジル #明太子パスタ #とうもろこし #トマト
【2021年8月23日】和風パスタが珍しい頃、明太子パスタを渋谷に行って食べたが、あまり美味しいとは思わなかった。40年近く前である。一緒に行った大学の友人たちもそうだったらしく、そのあまり付き合いがなくなった。その後何度か明太子パスタを作ったがうまくない。僕にはレシピではソースの甘みが足りないのだ。今日は先日買った明太子をバターで伸ばしてジックリと味を入れてバジルを加え白ワインで伸ばした。パスタを茹でるのも塩を強めにした。美味しかった。40年ぶりのリベンジである。明太子の旨味が白ワインに乗って、バジルを独特の香りがうまくマッチしている。お店のパスタはしそなどちらしてあるが、フレッシュバジルはものすごく美味い。ところで、あの時に一緒に行った女の子に僕は恋していた、今は何しているだろうか。もう還暦であろうか。死んだらヴァルハラの地で会えるといいのだが、走馬灯だろうか?
#後片付け #食器洗い機
【2021年8月23日】明け方起きたので後片付けをした。家事分担はしてはいけない。一人になってもしっかりと食事を作れるようにいるのだ。いずれにしても、私たちの人生の最後は一人きりになる。碌なもの食わないと肺炎で一人孤独死をする。今老人はコロナで死ぬのではない。コロナをきっかけにした肺炎でなくなっているのだ。看病してくれる人が居ないのだ。風邪はじっと寝て美味しいものを食べて休むがよろしい。2017年の肺炎の治療指針では老人の肺炎に関しては薬は効かないとハッキリっている。家族というシェルターがなくなったのが原因だ。父は肺炎でなくなったが、背骨の圧迫骨折(治療方法はない)で医者に行かなくともいいのに僕が何度も連れて行って食べれなくなっていった。あのまましっかりと僕の食事をしていけばコロリと死ぬまで元気だったろうや。今でも辛い。後片付けは嫌う人が多い。毎日食事を作ると食器は洗わないといけない。弁当買ってきたときはそのまま弁当箱を捨てて、食器洗いをごみ処理へとアウトソーシングしているのだ。だから若年層でも「病因のない症状だけの災厄」がまんえんする。もう僕は何年も風邪を引いていない。多分コロニに感染しても賞状が出ない方だと思う。基礎疾患は十分あるのだが(笑)。今日はオーブンと魚焼き器を同時に使ったのでガサは大きい。素材の「生命=タンパク・脂質立体構造を維持した制帽内外の水溶液と相分離」を大事にする食事作りはピンコロの人生をおくる秘訣であろう。そして自分にピッタリの食事は自分で見つける他ない。
#夢占い #ねぎ味噌 #狸の宝くじ
【2021年8月23日】どこかの海辺の街で、木造の温泉旅館に夜ついたのだが、焼き魚と大きめの木の椀に入った味噌汁が出てきてくれた。味噌は麦味噌で「とろろ芋」がすって浮かんでいて、「たらこ」が溶かして入っていてネギが散らしてあった。ハタハタの大きいような干し魚が焼いてあって、ものすごく美味しくて板さんにお礼を言った。いい人で料理のコツなどを聞いた。残念なことに、その料理のコツは覚えていない。記念写真をとって宿を出ようとしているところで夢は終わった。20年前の友人と一緒だったのだが彼はその当時のままであった。当時裏切られてそれ以来あっていない。女将さんも出てくるのだが、少し年取ってぽっちゃりしていた。スレンダーもおっとりぽっちゃりも捨てがたい。AVの話ではない。しかし、この夢は何を意味しているのだろうか。夢のこちらは大雨である。麦味噌というのは、松山のホテルの朝食に出てきていた。道後温泉井に朝早くに行った。10年の汗を流せという。もう少し汗を流そう。25日は宝くじの抽選日だ。『狸の宝くじが当たる』これは夢でなければ良いのだが。
#スペアリブ #メバチマグロ #もずく #バンバンジー #エビ鮭焼き #枝豆頂いた
【2021年8月22日】健気に、妻と娘が買い物に行っている間に夕食を作った。スペアリブはいい出来である。デロンギのオーブンは最高である。永く使っているのに快調だ。何よりもこの肉を乗せるパンがいい。すぐに油が落ちないで少し溜まってから落ちる。味が肉に残るのだ。網ではこうは行かない。汁は夏大根とキャベツの味噌にバラ肉。味噌味が美味しいのは夏だからだろうか。有頭海老は一匹56円であった。前回のバーベキューの時に美味しかったので殻ごと焼いた。鮭はときおり食べる。魚焼き器に空きがあれば滑り込ませる。メバチマグロは安かった。どちらにしてもそんなに人気ではない。漬けにして僕が明日食べることも多い。少し疲れたので食べる前に寝ておこうか。知り合い彼だ豆を貰った。みんなクッチまた。新潟は枝豆の有名所なのか内が特異的に食べるのか分からないがよく食べる。今も冷蔵庫にどっさり入っている。やっぱスペアリブにはビールでしょう。朝のうちは大雨で今日は酒飲まないでおこうと思ったのだが、昼くらいから一気に覆された。まだ時々夏である。
#ひやむぎ #塩もずく #夏大根のおろし #厚揚げの煮付け #ナンバーワンひやむぎ
【2021年8月22日】昔から「ナンバーワンひやむぎ・そうめん」というブランドは知っていたが食べたことがなかった。今日は初めて食べることにした。当然トッピングは山盛りである。塩もずくは夜食べるけど、めんつゆで食べても美味しい。白身フライやオクラ、トマトでお腹は一杯になる。汁は少し前の手作り品である。お腹いっぱいになたので寝ることにした。オリーブの木を地に下ろすことにして整地しようかと思ったのだが暑くて出る気にならない。本当だたら明日は国体の抽選会であった。一年のうちで一番長い日になるはずであったのだが家でボーッとしていることになる。なんか拍子抜けして、安堵して、先が不安である。冷蔵庫にはビールがある。まるで喉よかわけと言っているような天気である。
#スペアリブ仕込み
【2021年8月22日】バラブロック買いに行ったら高かったのでスペアリブと刺し身買ってきた。スペアリブは夕方まで漬け込んで魚焼き器で焼くのがよろし。砂糖に醤油、豆板醤豆チ醤、オイスターソース、紹興酒合わせて漬け込んだ。このまま3時間位漬け込んでおくのだ。スパイスはほぼこの3種で何でもやってしまう。少し強く味を入れすぎたが、弱火で長く焼いてやると美味しい。辛子明太子とメバチマグロが安かったので買ってきた。ナンバーワンひやむぎを買った。昔からこのブランドは見るが食べたことがないことに気がついたのだ。雨がやんで暑く当て来たのですごくむす。
#冷やし中華 #焼きそば #残り物
【2021年8月22日】冷やし中華があったので、麺を茹でてフライパンで焼いた。少し前の麻婆豆腐を温めてかけた。昨日のスパニッシュオムレツにトマトを切ってオクラを乗せた。麺は1/3で、妻とマユが残りを食べた。麺は美味しいが、他のものでお腹いっぱいにすると嬉しい。麻婆豆腐だけだと物足りないのだが、少しでも麺が入っていると違う。炭水化物は毒ではない美味しすぎて身体に必要な「生命溢れた食材を食事の中から押し出してしまう。食事は楽しい。作ること食べて喜んでくれる人がいる事。マユネーズの出し口が汚れるので妻がティッシュで拭いていた。父が来ていた頃ハシで拭うので父専用のマヨネーズができたっけ。思い出したら泣きそうにあった。いつか一人になるだろうが、思い出しながらつくる。昼は何くおうかねえ。薄い味の中華そばが食べたい。チャーシュウにないとなあ。バラのブロック肉買ってくるか。魚も食べたい。鮭が冷凍してあるかもしれない。少し国体中止の残務整理をしなければならん。
#国体中止 #芍薬甘草湯 #半額の寿司
【2021年8月21日】国体が中止になった「残念会の食事」となった。寿司が半額だったので妻が買ってきた。足がつって目が覚めた。ドカンと血糖値は上がった。まあ、まあ、分かりやすい身体である。高血糖は食事に対する身体の当たり前の反応である。健常者は同じ食事をしても血糖値を上手く隠すから、致命的に悪い食事であることがわからない。II型は「(食事由来の)ブドウ糖をインスリンの許可で脂肪組織と筋肉組織が取り込む」事ができないために、血糖値が上がる。ブドウ糖が足りなかったりインスリンの許可を細胞が聞き取れないからである。僕は合併症の原因だとは思っていない。食事の中の「生命=タンパク・脂質の三次元構造を維持したままの食材の細胞内外の水」を大事にした食事は合併症を引き起こさない。そもそも合併症という言葉がフェイクである。「検査値の異常」が「身体の致命的な臓器不全」を引き起こすと言うのは薬を売りたい医師が見つけてきた都合のいいエビデンスでしか無い。何種もの検査値の異常を捻じ曲げる薬を飲ませられ、おかわりの出来ない臓器の不全が始まったら同じ様な手術を繰り返してやがて「経管栄養・胃ろう・輸液」で管だらけにされてミイラになるまで施設や病室で生かせられて年金ATMとなり医療費を払う。可愛そうなのは臨床に立ち会う医師や看護師である。経営者はベッドが高額の治療で塞がるのが嬉しい。ICUは回復の見込みのない患者を臓器移植するために生かすところでしか無い。高度治療は患者の苦しみを金に変える錬金術だ。僕はあっさりと死なせてもらいたい。ピンコロに死ぬには食事作りという苦労が必要である。
#スパニッシュオムレツ #蓮根と厚揚げの煮付け #鳥炙り焼き #揚げ物
【2021年8月21日】スパニッシュオムレツはオクラとカニカマとコーンである。このネバネバが美味しい。バジルオイルでジックリ作った。厚揚げは地元の豆腐屋さんのものである。大手スーパーのものに比べると遥かに早く悪くなる。やはり美味しい。砂糖と醤油で酒を使って濃い味にする。娘が市販のピザにチーズを載せて焼いてくれた。市販のピザは生地が薄いのでパン屋のピザより美味しい。今度ウインナを刻んで焼こう。味噌汁は朝のもの。夜になったら、少し飲むことにする。国体の仕事がなくなった。これで二年連続だ。ちょうど半分のところであった。
#マユのご飯
【2021年8月21日】夜半を過ぎた頃マユのご飯を作った。とても大事なことである。家族のっ食事を作ることは自分という存在の根がここにあるということだ。食事をともにすることで、私たちは家族になる。いつか一人になっても思い出の中の家族と生きる。