幸運な病のレシピ
映画好きだー
糖尿病(生活習慣病)は合併症を引き起こすからが怖いと言うけど大変な欺瞞だ。食事が原因で合併症が進行するし、検査値も異常になるのだ。両者のあいだには何ら因果関係はない。2000年以降の分子生物学がいくら探しても検査値と症状の間にの関係は見つかっていない。食事との関係は多く糖刻されるが、薬に結びつかないから無視されるのだ。
人の身体は余りに違いすぎる。誰にでも効く薬など無い。医師は薬の処方や手術の専門家でしか無い。自分の身体は自分で見つめなければならない。医師は専門家であるが、意外なほど知っていることはわずかだ。少し専門書を読めばわかる。 本当に賢い医者と出会うことは人生の幸運だ。 医師も年を取れば患者になる。患者も学べば医師以上になる。専門家に殺されないためには、学ばなければならない。
学ぶことで自分を守る事ができます。専門家(商売人)以上に自分を知ることです。この病は社会の問題です。
社会の構造の変化をきちんと見つめなければ、この50年で生まれた生活習慣病を理解は出来ない。世界は単純ではない。そして変化はわずかずつ起こり、今ある姿が当たり前のように感じる。
僕は20代の終わりに糖尿病を宣告された。治療したりしなかったりで、すでに還暦になった。2015年に失明の予告を受け、A1cが13.5mg/dlであった。医師(専門家=商売人)の言うことは信じれなかったから、失明したら死のうと思い、この病に向き合った。 半年で6.5mg/dlまで自己血糖測定と食事で落として、もちろん失明もしていない。何よりも嬉しかったことは足が良くなってきたのだ。30年薬による治療しても治らかなった足が良くなってきたのだ。 自分で納得の行く食事は自分で作る
今日からら白米を食べないことにした。売店に連れて行ってもらって色々と買った。ダイエットの一番の大敵は「我慢」である。 食欲とセックスには勝つことが出来ない。 まずは最短で10kg痩せて事から始めることにした。 2023/09/09
MACが届いた。 電源等を設置終了。 やり残しがないように少し頑張ろう。 冷却が弱いかもしれない。 モバイルモンイタがほしい。 トラッㇰボールはたのんだ。 キーボードも欲しくなってきたぞ、何かワクワクしている。 くいのない5%を過ごそう。 2023/09/08
検査をしたら腎臓の機能が5%しか残っていないという。 通常ならば「腎不全」で、透析まっしぐらの道だという事である。 3秒ほど迷って食事でこの人生の終わりに向き合うことにした。 どうなることやら。 明日は家族が来てお医者さんの説明を受ける。 真面目で親身になってくれそうなお医者さんである。 透析を勧めるのは医者の倫理であろうが、僕は自分の人生の終わりは自分で選びたい。 デカく膨れたキンタマンの横の小さなチンポにカテーテルが入り身体から水分が溢れ出ている。 カテーテルという
食事を用意いただけることは幸せである。 真似させていただいたのである。 あんがとさんです。 恐ろしく足が痒い。 背中にも飛び火しておる。 月曜は病院で検査結果を聞く事になっている。 ああ、レトルトのカレーを少しだけ食べたい。 あまり高級なものでない方がいい。 病院の帰りにおねだりしてみよう。 妻とは長く不仲であった。 あんなことやこんな事が走馬灯のように思い出される。 後悔ばかりである。 家族の介護は、自分の未来を見つめること。 おやじ、気が付かなくてゴメンな。
マユのご飯は鍋で作り、家族で食べる。僕が担当していた時は、別々に作っていたのであるが、妻は一緒に作る。考えもしなかった。 僕が死んだらどうしようか(マユのご飯がドッグフードに戻るのか)と思いながら不憫であったのだが、安心である。 そして、生命にあふれる鍋は家族の健康を守る。 人を助けようと思わなければ自分も助けては貰えない。 しかし、困ったものである。床に落ちた洗濯ばさみを踏んで壊したようであった。 何かの因果の結果が今であるとするならば、それもまたいたしかたない。
食えないと思っていたら、夜中に腹が減って、食っちまった。 マユは手羽先の骨をもらって満足である。 2023/09/01
随分、手が腫れた。ビックリである。 来週の月曜結果待ちである。 良いお医者さんであった。 と言うか僕が年取ったのかもしれない。 とは言ってもなるようにしかならない。 少し負けたような気分。 まあ、これだけ食っていれりゃあ大丈夫。 だといいなあ。 この3日の食事 2023/08/31
学者の言うことは信用できない。経済が富を産み、その富の残り滓が学者の給料となる。 日本窒素と言う会社が戦後に農薬を作る過程で水銀を自然界に排出した。生物に影響を与える量でないから希釈されて問題はないと学者は太鼓判を押した。当時は食物連鎖の中で水銀が濃縮されるなどということは考えられていなかったのである。 それまでにはなかった、「パブリックに対しての犯罪」が生まれたのである。そして、この問題は、ますます顕著になっていっているのである。 数年前から、「命を守る行動を取ってくだ
そもそも、原子力の放射能は完全に封じ込める約束であったはずである。 決してそうはなっていない。 世界でそうなっていないから良いのだというのは余りに無責任である。 当初の約束では、漁民の合意を待つと言っていたはずなのに「丁寧に説明する」の一言である。 同じことを繰り返すことが丁寧と言う意味のようである。 そもそも、原発の事故は起こらないということであったはずだが、想定外であるという一言で免責される。 アメリカやカナダは良いと言ってくれているとといえば世界が許してくれていると思
毎年この季節はお祭りである。地元の諏訪神社の例祭がある。 大変多くの屋台が並び小さい頃から大好きであった。 今年は僕は行かなかったが、美味しいものを買ってきてもらった。小さい頃から楽しかったものだ。 何と言っても、屋台の食べ物である。 昼は妻の煮しめを頂いた。薄味で美味しいものである。僕が作ると濃い味になるし、娘はダシの強い味が好きである。料理はそれぞれの人を表す。 2023/08/28
ココまでのまとめ。「柑橘・ブドウ」はカユミが出る。柑橘は左足の腿、ブドウは右足の踝の少し下、「牛乳」は即座に下痢、ヨーグルトも悪い。バナナは大丈夫。玉ねぎ入りのポテサラはゴロゴロ言うが、下痢の少し手前で頑張ってくれる。 ウドンに天ぷらは悪かった。冷たくてダメだったのかもしれない。 1年前まではゴロゴロもカユカユも何もなかった。 とは言っても僕は果物を食べる人ではなかった。大きな変化はりんごを食べるようになり体重が減った体験である。 唐突に呼吸ができなくなる。これは不定期
お腹がゴロゴロである。ウドンでもやられた。 一日寝ておった。 足の痛みは少し良い感じである。憂鬱な病は相変わらずである。 毎日足のハリが違う。 関節の曲がり方が楽なのだ。 食事との関係を考えながら食べて細かい部分の反応を見る。 食事が血液に溶け込んで身体全体に流れていく。 呼吸が苦しくなるが以前ほどではない。 身体全体の大きな流れである。 これは不思議である。 2023/08/26
友人からお見舞いの電話をもらった。有難いことである。しかし、どうにも金玉の腫れについては言い辛い。僕も「当たり前のメンタル」があったのである。ましてや、写真は載せられない(笑)。 このメンタルはいつ頃できるのであろうや。3歳の頃にある程度できて、12歳位に育っている環境での仕来りを学ぶという。 「雀の魂」は家族というシェルターが作るのである。 足がさすがに辛い。事業不振から不信から会社を潰した(法務局に受理された)ので保険証が一時的にないので医者にはいけないのであるが、来た
足が悪い。弱ったものである。こんな風になるとは思いもよらなかった。歳を取るというのはそうならないとわからないものである。 おまけに、こういう事はあまり褒められたことではないからブログにも書かれていない。 トイレに行って返ってくるだけで息が切れる。風呂が二階にあるのだが、たどり着くまでに一苦労である。 それでも、死ぬ訳にはいかない。家族の優しさが不思議である。 2023/08/24
アレルギーとは、『自分が自分であるための食事を見つける長い旅』における試金石なのだ。時とともに世界は変わり、「身体というコロニー」も変わる。多くのマイクロバイオームが入ってきては出ていき、死んで生まれ、勢力は変わり続ける。戦国時代の様に互いに食い合いながら最も自分を強くしようとする。 小さい頃か果物を食べれなかった。色々なトラブルがどうやら果物に起因するような気がするので、少し食事を変えてみることにしたのである。 「身体という地区予選」で勝ち抜いてこそ世界というチャンピオ