心療内科に行ってよかった。心療内科はもっと身近な存在であるべきだよね、という話
私はアラサー営業マン。
2023年12月に適応障害と診断され、現在も休職している。
毎週心療内科に通うこと約1年間。
なぜここまで落ち込むのか?大したことではないのに。
なぜ人に迷惑をかけると必要以上に悩むのか?誰かの助けになることは厭わないのに。
このような自問自答を繰り返し、ようやく自己理解が深まったと実感している。
私をよく知る人は、私のことを「超明るいアクティブで真面目な陽キャラ」だと思っているはずだ。
しかし、この精神疾患を通して、これまで自分がいかに無理をしてきたか、またいかに社会に寄り添うために自分自身を押し殺してきたか、ということに気づいた。
うつ状態を経験し、自分のダークサイドを初めて見た。あぁ、人間って落ち込んだらここまで沼にはまるのか…。気づけば喫煙を始めてしまい、酒を飲むようになり、リストカットをし、大声で「出ていく!」と泣き叫び…幾度となく周囲の人を困らせた。あの時の心の中は真っ黒すぎて、メンヘラという言葉で片付けるにはあまりにも軽々しい。
適応障害どころか、どこにでも適応できてしまう私だった。だから、ダークな自分を受け入れるのには相当な時間を要した。
自分の精神疾患については、知人にはオープンに話すようにしている。noteに留まらず、インスタグラムにも友人に近況報告する感覚で診察内容を時々公開する。(決して病んでいるアピールではなく。)
すると、「実は私も…」と、同じように精神的に不安定で悩んでいる友人からたくさんのDMが入るようになった。個人的にラインをくれたり、どのようにして乗り越えてきたかを相談してくれる友人もいた。精神的に辛い思いをしている人はごまんと隠れている。言えない・見えないからこそ解決しづらいのだろうと、この身で日々感じている。
私自身もまだまだ乗り越えている最中ではあるが、自分が勇気を出して発信することで、誰かの力になれているのであれば、これ以上のことはない。
適応障害を患って以来、精神に関する幾冊の本を読んだ。心理学者の加藤諦三先生の本によると、ストレスを逃がすスキルのことを「伝導能力」と呼ぶそうだ。
我慢しなければならない、自分で解決しなければならない、など、”~しなければならない”の思考になりやすい人ほど伝導能力が低いのだ、と私の医者は言う。一方で、クレーマーやカスハラなど、ストレスを感じた時に即座に相手にぶち当たるような人間は、伝導能力がとても高くて心が大変健康だとか。心が健康な人に心をつぶされる、実に生きにくい世の中だ。
心療内科とは非常にハードルが高いように感じるが、あの時医者の助けがなかったら、私はもっともっと深い闇を彷徨うことになっていただろう。
もやもやする感覚、無意識に涙が出て止まらない、胸が苦しいなど、何かがおかしいと感じたら心のサインだ。何も恥ずかしいことではないし、精神を病む原因は必ずしも自分にあるとは限らない。このnoteを読んで悩んでいる方には、どうか心療内科に行く勇気をもってほしい。
事が深刻であればあるほど、誰にも話せない。相談できず自分で抱えることは本当に苦しい。うつの沼にはまると、私のようにおかしな行動をしかねないし、最悪の場合自分で自分の命を絶つ人だっている。
身近な人に相談できないからこそ、他人である心療内科医には相談しやすいものだ。しんどいのはきっと自分が弱いから…などと自分を責めないでほしい。理解してくれる心療内科医に出会い、未来への一歩を進めてほしい。
うつの沼からゆっくりと這い上がりつつあるアラサー営業マンから、心を病める人へのメッセージでした。