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私は子供の頃から周りよりできることが多かった。しかしそれは生まれ持った才能によるものではなく、努力によって勝ち取ったものだという自負があった。努力によって多くの困難を乗り越えてきた経験があったからこそ、どんな大きな壁も努力さえすれば乗り越えられるという考えが私の中にはあった。 ・・・ 小学生の頃から始めた部活は、初心者ながらも上手な人のプレーから学ぶことによって段々と上達していき、試合に出場するメンバーに選ばれるまでに成長した。 最終学年ではキャプテンに選ばれた。監督と
岩木山は、青森県の津軽平野に位置する火山で、標高1600メートルを越す。青森県最高峰の山であり、日本百名山にも選定されている。周りは平野が広がっているから、岩木山がひとつ、存在感を放つ。山のかたちが美しいことから「津軽富士」とも呼ばれる。津軽の人にとって自慢の山である。 先日、青森へ旅行した際、この岩木山を見た。弘前駅から青森駅へ北上する奥羽本線の車窓から見えた。圧倒的である。時刻は夕刻。山の向こうを真っ赤に染めて、岩木山は影絵となる。山頂から山麓にかけてのびる稜線は、一級
久しぶりに歩いた大阪の街は、懐かしさと目新しさが入り混じる景色をしていた。 ほぼ1年ぶりに最寄り駅に着くや否や、昔ながらのアーケード街が広がる駅前の一画は更地へと変わっていて。一瞬、別の駅と間違えたかと思った。 そして、これまで真っ白なフェンスで覆われていた梅田の北側は、再開発によって優美な芝生エリアが広がり、来年の頭には巨大な商業ビルのオープンを控えている。 そんな大きな変化に見惚れていると、次第に細やかな変化も目につくようになった、 飲食店やコンビニ、コインランド
私、負けヒロインになってくるよ! そう意気込んで幕を閉じた前回の記事、その続きのお話です。 ・・・ 仮に、告白を受け入れてもらえることを勝ち、受け入れてもらえないことを負けと定義すると世の中には勝ちヒロイン物語が溢れすぎているのではないかと感じる。 世の中には勝ちヒロインの物語が多すぎるために、成功しないといけないという強迫観念が勝って人に気持ちを伝えることが怖くなってしまっている自分がいた。 しかし『負けヒロインが多すぎる!』という作品はヒロインが負けるまで、そし
待ち合わせが、少し苦手である。誰かとの待ち合わせは、いつもどきどきする。どんなふうに待っていればいいのか、わからない。仕事先のお客さんとの待ち合わせから、同僚、友達、恋人、とにかく、相手が誰であろうと、待ち合わせは、苦手だ。待たせるより、待つほうが気が楽だが、待ち方がわからない。 おそらく、ほとんどの人は、駅での待ち合わせが多いだろう。僕もそうだ。行き慣れていない場所だと、約束の10〜20分前には着くようにする。改札を出て、まず、どこで待てばいいか、ベストポジションを急いで
中学生のころ、大沢在昌の『アルバイト探偵』シリーズを熱心に読んでいた。とある高校生が、探偵である不良父の手伝い(つまりアルバイト)をして、数々の事件に巻き込まれるという、スリリングな内容だ。その高校生は、まだ未成年にもかかわらず、煙草を吸う。銘柄は、マイセン。マイルドセブン、である。 当時は、煙草の銘柄にまったく興味がなく(ちなみに今もない)、小説に出てくる「マイセン」だけが、僕の知る煙草だった。小説の主人公は、不良で、彼女もいて、他の女性からもモテる、二枚目のキャラとして
空想の中に生きているような子供であった。 手の取れた人形、首のない超合金ロボット。部屋は空想を駆り立てるモチーフにあふれており、壊れたモノたちが語りかけてくる物語に夢中になった。 いつも屋根の上で寝ころび、雲を見ていた。少しだけ地上の現実から離れた屋根の高さは、空想にぴったりの場所となった。 部屋にはたくさんの絵本があり、日曜日の朝に、大好きな絵本をぎりぎりまで布団の中で読む。その時間の中に、子供時代の幸福感がすべて詰まっている。 小学4年生ごろの写真が残ってい
某有名ユーチューバーがこんなことを言っていた。 「マッチングアプリのプロフィールに『喫茶店巡りが趣味』と書いている男には気をつけろ。喫茶店を巡る男なんていねーから。」 このユーチューバーは、若い男性で、顔立ちも良く、人気があり、発言の説得力に一定の支持があった。「そうなんだ、そういう男には気をつけなきゃ!」「やべ、おれのプロフィール見直そ!」なんて男女の行動は、想像に難くない。 では、そんな男は、本当にいねーのだろうか。 週末の、時間がゆったりと流れるとき、喫茶店の扉がカ
人それぞれ、旅の「こだわり」はある。 泊まる場所や観光のルート、必ず持っていくものなどなど・・ 自分の場合、それは「食」 しかも、「食」の中でも、とくに「おむすび」にこだわっている。 お米と海苔と具というシンプルなメニュー。 でも、実際はお店ごとにその形や味わいなどに特長があって、食べても食べても絶対に飽きない。 そんな「おむすび」にこだわった旅。 今回は、東京からも近く、歴史や食が楽しめる人気の観光地「川越」を舞台に、そこにある「おむすび」をぶらぶらまち歩きをしながら
中学生の頃から、電車通学だった。29歳で、人生の、移動の大半は電車である。 電車に乗っていると、さまざまなドラマに出会う。目の前に座る20代女性が、スマホカバーを手鏡代わりに、口紅を塗る。器用だなと感心して、横に目線を移すと、隣の40代前半の男性がイヤホンをしながらスマホに夢中だ。映画でも観ているのだろう。さらに、その隣のオジサンは、横の男性のスマホの画面をじっと覗いている。40代男性は、ひとりで映画鑑賞のつもりだろうが、残念、オジサンとふたりでの映画鑑賞だ。恋愛映画でない
点と点はいつか線になるっていう言葉は馴染みすぎたぐらいのきらいがあるけれど。 時折、点は点にすぎないのだけど。線につながることもあって。 そう感じたくなる経験も数年に何度かは訪れてくれることがある。 一度出会って今は出会わなくなってしまった人は時々記憶の中の登場人物となって、お茶碗を洗っている水に触れている時やシャンプーしている時など、不意に現れては消えてゆく。 消えてゆくのだけど。 またいつか泡のように記憶が再生する。 10月のはじまり。 不甲斐ない想いをしていた時
友人は、デートの帰り、彼女を家の前まで車で送っていくらしい。毎度、必ず。マメだなと思って聞いていた。 僕の場合、いまの彼女と同棲しているから、〈見送り〉というイベントは発生しない。昔は、そんなこともあったが、「家の前まで」は、数える程度しかない。 〈見送り〉は、「昇格を見送る」とか、「見送り掌状」など、一時的な延期や、差し控える、といった意味でも使われる。 故人の「お見送り」も忘れてはならない。遺族の気持ちを整理するうえで、とても大切なことだ。 中学2年の夏、大好きだった
さぁ、俺の右腕よ、真の力を発揮するときがきたぞ、はあああああっ! ……いきなり、眠っている力を解放してすまない。解放したとて、この世界はなにも変わらないし、そもそも私に、眠っている真の力なんてなかったようだ。 右腕に真の力が眠っている、なんて言うと「中二病」と呼ばれる。中学二年生ごろの、思春期にありがちな、過度な妄想や自意識を揶揄した言葉だ。私の記憶が正しければ、14,5年前から流行りだして、当時、中学生だった私の周りでも「中二病」の単語は、あちこちで発せられていた。口を開
久しぶりに実家のある大阪に帰省している。 帰ってきて早々、最寄り駅前にあった商店街の一画が根こそぎなくなっているのを目にして、なんとも言えない寂しさを味わうことに。 工事の立て看板を読むと、どうやら更地となった一体がすべて広場へと様変わりするらしい。 おそらく次に帰ってくるころには、もう一変化した光景を目の当たりにするのだろう。覚悟はすでにできている。 いつの間にか姿を消してしまった小さな本屋さんの思い出を遡りながら、そして、変わっていく街並みと変わらない建物のコント