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月の季節
空想の中に生きているような子供であった。
手の取れた人形、首のない超合金ロボット。部屋は空想を駆り立てるモチーフにあふれており、壊れたモノたちが語りかけてくる物語に夢中になった。
いつも屋根の上で寝ころび、雲を見ていた。少しだけ地上の現実から離れた屋根の高さは、空想にぴったりの場所となった。
部屋にはたくさんの絵本があり、日曜日の朝に、大好きな絵本をぎりぎりまで布団の中で読む。その時間の中に、子供時代の幸福感がすべて詰まっている。
小学4年生ごろの写真が残っている。体操服を着た私が、友達と一緒に身体をよじらせて笑っている一枚。友達の多い、とてもよく笑う子供であった。
6年生になりいじめにあった。父親が村で一人、ゴルフ場建設に反対したことが遠因となった。その日から私に話しかけてくるものは小さな子供だけとなった。
幸福な子供時代が突然、終わりを告げ、ひどく灰色がかった世界になった。どんな比喩的な意味でもなく、私の目は、世界を灰色に映すようになったのである。
中学に入り、明るさを無くした私は「なぜ人は(このような灰色の世界を)生きるのか」と、灰色の空を見ながら考えるような「若者」となった。
ベッドに寝ころび、電気を消し、夜の空を窓から見ている。眠れない秋の夜の、「寝待月」。時々、黒い雲が月を覆う。次に現れた月は、更にいっそう、輝きを増し、雲を光で縁取り、部屋を照らすのだった。
当時、好きだった別れ歌うたいのバラードが流れてくる。
大人になんか僕はなりたくないと
誰かを責めた時から子供は一つ覚えてしまう
大人のやり口
夜になるたび月は子供にかえり ひとりを怖がる
(中島みゆき 月の赤ん坊)
空想に満ちた子供の世界から痛みに満ちた大人の世界へと踏み入れる「季節」。その時の音は、痛みをぎゅっと握りしめるように私の心に響いてきた。
あのように音が響くことは、この「季節」を除いては、なかったように思う。
澄み切った秋の空気の中で、冴えわたる月もまた、そうであった。
それ以降、私の記憶にある月は背景に浮かぶ、小さなシミ程度のものになっていた。
ある時、ふとしたことで知り合い、メッセージをやりとりするようになった女性がいる。不思議と通じ合い、お互いの悩みを相談し、詩的な言葉を季節にのせて、贈りあう、そんな関係が10年ほど。
妻に相談できないようなセクシュアルな悩みごとも彼女になら打ち明けられた。あまり人には見せられない私の陰の部分が彼女の前にいるときに不思議と照らされた。それはまるで、暗い部屋に眠る私を照らす月のようであった。
年があけ、「今年も一緒に年を重ねられる」ことへの喜びを伝えてくれるメッセージが来た。それに対して返信したメッセージは、二度と既読になることがなかった。
月を失った私の人生は、その数か月後より転げるように落ちていった。真っ暗な闇。
2020年、あのコロナの季節が始まろうとしていた。