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車窓


岩木山は、青森県の津軽平野に位置する火山で、標高1600メートルを越す。青森県最高峰の山であり、日本百名山にも選定されている。周りは平野が広がっているから、岩木山がひとつ、存在感を放つ。山のかたちが美しいことから「津軽富士」とも呼ばれる。津軽の人にとって自慢の山である。


先日、青森へ旅行した際、この岩木山を見た。弘前駅から青森駅へ北上する奥羽本線の車窓から見えた。圧倒的である。時刻は夕刻。山の向こうを真っ赤に染めて、岩木山は影絵となる。山頂から山麓にかけてのびる稜線は、一級絵師のひと筆より滑らかである。姿が見えなくなるまで、うっとりと見惚れているほかなかった。


ふるさとに、こうした山のひとつでもあれば、私も、もう少し、生まれた土地を自慢できるのに。千葉県市川市。都市部へのアクセクが良いだけの、何もない郊外で生まれ育った。殺風景なのだ。カフェのひとつもない。だから、東京にあこがれていた。けれど、高校生のとき、はじめて新宿の西側を歩いたとき、ビルの高さに酔って、頭がくらくらした。視界がぐらついて、足に力が入らない。10年経ったいまも、高いビルは苦手である。結局、建物より街路樹のほうが高い街並みが、肌に馴染んでいるのだ。いま住んでいる西荻窪も、そんな街の風景に親しみをおぼえたのが決め手だった。


生まれ育った土地を、何もない、と表現したが、本当のところ、私にとっては、ありすぎるくらいに、ある。それは、思い出、である。郷愁、とは、ふるさとを思う秋のこころである。もの悲しさが、ある。東京から千葉へ電車で帰るとき、必ず江戸川を渡る。時刻はやはり夕刻。車窓から見る景色の美しさに、大人になって気づく。

「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」(石川啄木『一握の砂』より)

こんな私の心情を、啄木の歌に重ねて。



ではまた。



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