あの日の私に努力だけではどうにもならないことがあると伝えたい。
私は子供の頃から周りよりできることが多かった。しかしそれは生まれ持った才能によるものではなく、努力によって勝ち取ったものだという自負があった。努力によって多くの困難を乗り越えてきた経験があったからこそ、どんな大きな壁も努力さえすれば乗り越えられるという考えが私の中にはあった。
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小学生の頃から始めた部活は、初心者ながらも上手な人のプレーから学ぶことによって段々と上達していき、試合に出場するメンバーに選ばれるまでに成長した。
最終学年ではキャプテンに選ばれた。監督とチームメイトの間に挟まれ理不尽なことで怒られることもあった。人数の多いチームを束ねて一つの目標に向かわせるために試行錯誤を重ねた。その努力の甲斐もあって、チームは数多くの大会で優勝した。
中学校に入ってからは部活だけではなく、勉学にも励んだ。定期テストでは十番以内に入る成績を保ち続けた。最後のテストではどうしても一番が取りたかったので、そのためにたくさん勉強をした。その結果もあって、最後の定期テストでは学年で一番の点数を取ることができた。
高校に入ってからは、進学校ということもあって大学進学のために努力を続けた。私が志望していた大学は、学年で上位の成績を取っていた当時の私の成績でさえもかなりかけ離れていたため相当以上の努力が必要だった。
模試ではE判定ばかりだったが、それでも諦めずにコツコツと努力を続けた。センター試験での判定もEだったが、志望校を変えずに二次試験対策のために多くの時間とエネルギーを費やした。その努力が実を結び、私は見事志望校に現役合格することができた。
大学に入学した当初は授業のレベルの高さ、周りの学力の高さについていけずに落ち込む日々が続いたが、腐らずに勉強を続けた結果、単位を落とすことなく、GPAでも成績優秀者の数値を保つことができた。
就職活動においても、自己分析や企業分析をしっかりと行い、インターンや面接対策も手を抜かなかった結果、第一志望だった企業に入社することができた。
ここまでの私は、困難があったとしても努力を怠らなければその壁を乗り越えられるということを経験から学んでいた。
その努力によって部活で選手としてリーダーとして貢献し、成績も学年で上位を取り続け大学に現役で合格して、就職活動でも希望の企業に内定をもらうことができた。人生は努力さえすれば攻略することは簡単だとさえ思っていた。
就職した後も、努力できる才能を活かして社会に貢献していこうと意気込んでいた。
社会人になった始めの頃はできないことが多かった。そんな状況にもめげず先輩方から多くのことを学ぶことで早く一人前の社会人として社会に貢献したいと考えてながら努力を続けていた。
新入社員の私に割り当てられた仕事内容は私の得意な作業ではなかった。取引先の人からの対応は厳しいものだった。先輩の体育会系のノリがかなりきつかった。苦手な飲み会が多かった。
嫌だったことを数え上げればキリがないが、これが社会人になること、大人になることだと思って耐えていた。嫌なことを耐えながらも努力は怠らなかったので、成績は新入社員の中では優秀な方だと褒められることもあった。
そんな日々を送っていく中で徐々に違和感が増えていった。
最初は朝ごはんが喉を通らないことだった。
晩ご飯も食べる量が減っていった。
楽しみだったはずのテレビがうるさくなった。
眠ろうとすると漠然とした不安に襲われた。
この頃から死んだ方が楽になるという考えが頭に浮かんでいた。
こんな状態になっても私は誰にも相談できずにいつも通りに過ごしていた。いつも通りの私を演じることができるほどにはまだ元気なのだと言い聞かせていた。
この困難でさえも努力を怠らなければ乗り越えられるはずだと信じていた。
努力すれば乗り越えられるはずだった。
「死んだ方が楽になる」と思っていたはずが、段々と「死にたい」と考えるようになっていった。
この頃からベッドから起き上がるためにかなりのエネルギーを費やす必要が出てきた。玄関のドアを開けることに相当なエネルギーを費やす必要が出てきた。
会社では人と話す時にニコニコすることで精一杯だった。人の話を理解することが難しくなっていった。
会社の帰り道、そばを通る車に「私を殺してみろよ」なんて思うようになった。歩道橋から下を通る車を眺めていると吸い込まれそうになることが増えた。野菜を切っている包丁で自分の胸を刺すのではないかと考えるようになった。
「死にたい」から「私は死ぬんだ」と捉えるようになっていた。段々と未来の話をされてもピンとこなくなっていた。私には明日さえ来る感覚がなくなっていた。
自殺することでしかこの状況から逃げ出せないと考えていた。
明らかに異常事態であった。
ここが私の一つ目の想像していなかった未来。
直接的な原因が分からない何かによって苦しめられ自殺一歩手前まで追い込まれた。会社に行ける状態ではなくなった。
部活で鍛えた精神力、勉強で培った努力、そんなものではどうしようもないことがあるとこの時に初めて気がついた。
誰にも頼れず、だからといって自分の努力ではどうすることもできない日々に追い込まれていた時に、ふらりさんのこのお知らせを見た。
とりあえずこの日までは生きていようとぼんやり考えていた。
その日が訪れ、ふらりさんとこたつーさんのゲーム配信を眺めていた。
お二人のほんわかした雰囲気にどっぷり二時間浸かったことで希死念慮にまみれていた私の思考に少しだけあかりが灯った。
ここで今の私の状況は努力でどうにかできるものではないと頭で理解した。今にも死を選んでしまいそうな思考だったが、最後の手段を選んでしまう前に病院で診てもらおうという思考に辿り着いた。
病院で診断がおりて私は精神疾患を患っているということが分かった。
仕事は休むことになり、薬も処方してもらった。そのため一週間もすれば良くなるだろうと思っていたが、その考えは甘かった。
一週間、一ヶ月、三ヶ月、半年と時間は経っていくのに抑うつ状態と希死念慮はなくならないままだった。
私はこのまま抑うつ状態と希死念慮に苦しめられていつの日か自分で自分の命を奪って終わるんだとぼんやり思った。
便利なのか、不便なのか、家にいても知り合いから連絡がくるかもしれないことは私にとって恐怖だった。
優等生として人生を歩んできた私にとって仕事を続けられずに身体と心を壊してしまったことを同級生に知られたくなかった。
「社会人になっても優秀なんだろうね」という褒め言葉が痛いほどに刺さった。
通院以外は外にも出れず、人にも会えず、という状況の時に青山吉能さんのラジオに救われた話はここに書いた。
自分の努力ではどうにもならなかった希死念慮に対して他の人の言葉のおかげでこんなにも救われることがあるのだと知った。
ふらりさん、こたつーさんのゲーム配信、青山吉能さんのラジオ。そのどちらも直接的に私が死にたいと考えて行動に移そうとしていることを止めたわけではない。
それでも私は死ぬことを後回しにした。
今は死ぬことをやめようと思えた。
言葉は人を救う。実際に私を救った。
ここで私は明確に「死ぬことを後回しにする」ことを選択した。希死念慮は消えないけれど、希死念慮は私の本心ではないと境界線を引くことができた。
周りの友達が社会人としてのキャリアを積んでいくことに焦る気持ちもあったが、私はようやく焦らず自分のペースでこの病気と向き合っていこうと決心することができた。
私が焦って社会復帰せずに自分のペースで進んでいく決心ができたのは紛れもなく家族のサポートあってのことだ。
家族の支えがなければゆっくりゆっくりと休みながら身体と心を取り戻すことはできなかった。
それから数ヶ月経って、私の身体と心は元気を取り戻した。
完治したといえる病気ではないので環境の変化によって悪化する可能性もあるが、ここのところ抑うつ状態と希死念慮に襲われることはなくなった。身体も自由に動かせるようになった。多大なエネルギーを費やさなくても日常生活を送れるようになった。運動ができるようになった。
今はこんな当たり前のことができるだけでとても嬉しい。健康に生きていられることがとても嬉しい。
ここが私の二つ目の想像していなかった未来。
またこうして健康な身体と心を取り戻すことができた。あの時は想像できなかった。このまま死を選択していくのだと思っていた。
精神力や努力だけではどうしようもできないことが世の中には存在する。
人は自らの命を奪ってしまおうと考えてしまうこともある。
本人が意図していないところで人の命を救っていることがある。
健康な身体と心が戻ってくることもある。
そのどれも私が想像していなかった未来。
苦しんでいるあの時の私に、「生きていればいいことがあるから」なんて言いたくはない。きっと「そんなことより今のこの苦しさを取り除いてくれよ」と言うだろうから。
それでも苦しんでいるあの時の私に一言届けることができるとすれば、
「今は死ぬことを後回しにして」
生きていれば良いことがあるかは分からない。それでも想像していなかった未来は待っている。その未来を私は今生きている。