縦横無尽に本を読んで浮かんできた心象を書き留めます。 本を捨てなくて本当に良かった 本を捨てたり売ってしまったりしないで本当に良かったと今日心底思いました。ふと思い出した本を、本棚から探し出して懐かしい思いに浸ったり、記憶にないほど前の付箋の意味を考えたり、またそれらが別の本につながったりして無限に広がる読書の旅を味わえました。自宅のソファーに居ながら。 蔵書を集めるのは特に中高に腐心していた趣味でした。今は読む本が専門書ばかりになってしまったのもあって大学の図書館で借
2021.11.29 『モオツアルト』小林英雄全集第八巻より(S13新潮社) ・「天才とは努力しうる才だ、というゲエテの有名な言葉はほとんど理解されていない。努力は凡才でもするからである。(中略)天才はむしろ努力を発明する。凡才が容易を見る處(ところ)に、何故、天才は難問を見るということが屡々(しばしば)起こるのか。詮ずるところ、弱い精神は、容易なことを嫌ふからだということになろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。」 ・「~抵抗物のないところに創造という行為はない
この記事は5-2の続きです。2章の続きと3章ののメモをまとめています。 読書ノート5はこの記事で終わりです。 2章(続) 現代アートの終わり・p82「代表表象」の時代に形成された価値観 →20世紀アート(例:ポロックの大迫力の絵が文脈のみで重視されがちであること)21世紀のアートはこれと逆 ・インターネットの普及によるもの →文脈の共有ができなくなった。 (・文脈は膨大な数に膨れ上がっていたこと・世界中の人々がウェブという場所であらゆることが鑑賞されるため、1つのギャラリ
この記事は5-1の続きです。1,2章のメモです。 『魔法の世紀』落合陽一 1章・タイトル『魔法の世紀』の意味 これは20世紀が「映像の世紀」と言われていることを踏まえた表現である。21世紀を予測した言葉で科学の技術が空気のように浸透しその仕組みを知らずとも、呼吸のように使うことができる時代を指す。例えばケータイの画面の仕組みやPCの仕組みは知らずとも普通に利用できる。つまり仕組みが複雑すぎてよくわからないまま、まるで魔法のように科学が生活に密着していく時代を想定しているの
感想概要 2021.8.27 『魔法の世紀』落合陽一2015 PLANETS 現代アートへの姿勢が最も興味深かったテーマだった。コンセプチュアルアートをはじめとした「文脈アート」への批判する一方で、科学技術と芸術表現は一体化していくべきではないかと議論を展開させていた。また一方でアートが文脈に頼らざるを得ない現状を嘆いていてもいた。がんじがらめの現状で飛躍していく表現だということが作品に新しい印象を与えてくれた。 ・表題『魔法の世紀』という言葉の真意を理解し納得し
2021.10.21 「クオリアと人工意識」茂木健一郎2019/講談社現代新書 この本ではクオリア、AI、脳科学などの諸問題が概略的に平易に書かれていた。クオリアについての本は久しぶりにお出しになったそうだが、こんなに面白い話題なのだからもっと本を書いてほしいと思うばかりだ。(もっともインターネットで論文は読めるのだがそのための力は私には不足している) ・クオリア研究の肩身の狭さを嘆かれていた。アカデミックの中での権威の序列を知った。人文系の学問も同様か ・昨今のA
2021.8.23 「芸術起業論」村上隆 幻冬舎 村上隆は芸術を、極めて営業的に経済的に実践をした日本人だ。本書の内容は彼の制作の方法論と、そのせいで味わってきた苦しみが凝縮された一冊となっていた。 彼作品は少年ジャンプの漫画家育成システムや狩野派、仏師たちなどのようにチームで分業をして作品作りをするところに特徴がある。こう考えると世界の最前線で活躍する彼の分業制作が今に始まったことではないということが少し不思議に思えては来る。 彼の作品の中でも強い印象を与
2021.8.11 遅いインターネット/宇野常寛/幻冬舎 この本は本屋さんでたまたま手に取った本だった。タイトルを見てインターネットの速度に注目している人がいて面白い、どういうことだろうなと気になって前書きを読んだところ興味を持ったのですぐに図書館で借りた。 私にとって社会学系の本を読むことは初めての経験で勇気のいることだったけど経験の浅い私にも問いを投げかけてくれるこの本はそれだけ力があるのだろう。また数ある本の中から私の興味と合致したものを読めたことが喜びであっ
2021.7.23 死刑囚最後の日/ユゴー/岩波文庫 〇感想〇 一瞬ごとに迫る死刑への恐怖が読者の心に迫る。臨場感があるのは誰にでも当てはまる日常のささやかな暮らしと、生を奪う刑との境界がまだらで恐ろしさを感じるから。読んでいて幾度「もし自分が」と考えたことか。 この本は死刑に反対する目的で書かれた。しかし当時のフランスは比較的すぐに死刑になっていたのに比べて、現代世界でも珍しく死刑のある日本ではそう簡単に死刑になるものではない。だからこの当時の人が当時の死刑に反対する
これはたぶん何年も前から思っていたことなんですけど、初めて人に言うっていうか伝えようという試みをします なぜなら説明コストが大きすぎるからです。 まず ・芥川龍之介の芋粥を知っている という前提条件があり、そして多分、芋粥を読んだことない人に説明してもその質感みたいなものは伝わりきらないだろう。 しかしこの場を借りて 【芥川龍之介「芋粥」理論】 を提唱したいと思います。 ざっくりいうと、 『 ”足りなさ”はそれだけで付加価値である 』 ということです。 も