読書ノート5-2

この記事は5-1の続きです。1,2章のメモです。

『魔法の世紀』落合陽一

1章

・タイトル『魔法の世紀』の意味
これは20世紀が「映像の世紀」と言われていることを踏まえた表現である。21世紀を予測した言葉で科学の技術が空気のように浸透しその仕組みを知らずとも、呼吸のように使うことができる時代を指す。例えばケータイの画面の仕組みやPCの仕組みは知らずとも普通に利用できる。つまり仕組みが複雑すぎてよくわからないまま、まるで魔法のように科学が生活に密着していく時代を想定しているのである。(コンピュータのより直観的な操作が可能になる時代へ移り変わっていく。)

・著者の目指しているもの→「ディスプレイをその都度形成しうること」(「pixel dust」という作品がその意味を端的にあらわしていた。私の一番好きな作品)『象徴的機械』を脱したい→物理世界の持つ一つ一つがインターネット空間の情報と対応していく未来を想定。(アニメ「PSYCHO-PASS」に出てくる暮らしに似ているなあ)

2章

・コンテンポラリーアートは「文脈のゲーム」
コンテンポラリーアート(現代アート)は以前、メディアアートを内包していた。メディアアートも文脈の構築を重視していた側面があったからである。

・「鑑賞可能性」アートの権威の崩壊
アートの権威が担保されてきたのは限られた美術館などの場所に多くの人が見に来るというシステムによるものだ。つまり「一部の発信者のもとに膨大な注目を集める」仕組みによるものだった。しかし今はマスメディアの影響が巨大化し世界共通の文脈が一気に共有されるようになった。結果、一部の権威者が文脈を規定することが不可能になった。かくして「文脈ゲーム」の強化は始まった。すなわちアートの権威はより高まったとも言える。ただし同時に原始的な美しさなどの感覚的な側面は捨象されがちであることは留意されたい。

(5-3に続く)



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