読書ノート5-3
この記事は5-2の続きです。2章の続きと3章ののメモをまとめています。
読書ノート5はこの記事で終わりです。
2章(続) 現代アートの終わり
・p82「代表表象」の時代に形成された価値観
→20世紀アート(例:ポロックの大迫力の絵が文脈のみで重視されがちであること)21世紀のアートはこれと逆
・インターネットの普及によるもの
→文脈の共有ができなくなった。
(・文脈は膨大な数に膨れ上がっていたこと・世界中の人々がウェブという場所であらゆることが鑑賞されるため、1つのギャラリーのような1部の権力者の力が相対的に小さくなり、文脈を規定できなくなった。
→文脈のゲーム(現代アート)はオワコンなのではないか。
・メディアアートのもう一つの流派
→『原理ゲーム』
『原理のアート』20世紀にはB級と呼ばれた驚き、感動など、感覚に直接訴えかけてくる装置としてのアートを規定する。
3章
・ネットに乗っていないことは無かったことにされる時代
p103‐104 プラットフォームがあまりにもコンテンツを吸収するからプラットフォームにない情報はなかったことにされてしまう。(例:Googleに載っていない作家はないものとされる)
→「全体批評性を失った」
・Appleはジョブズの死後、テクノロジーによる人間のエンパワメントをあきらめてブランド戦略に向かった。)=Macを使ったらもっと人間の個性が浮き彫りになって人間性そのものを根本から拡張する(はずだった)のに…
(読書ノート5終わり)
内容がまとまっておらず申し訳ありませんが、私のメモがここで途切れているため勝手ながら記事はここまでとさせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました。読者の皆様の発見の一端にならんことを。