人生は川のようなもの

1959年(昭和34年)東京生まれ。 これだけ生きてると、人生いろいろなことを経験するもの。 僕の人生のできごとをつれづれなるままに、と思って始めたら 今のところ音楽の話ばかりになってます...(^^)

人生は川のようなもの

1959年(昭和34年)東京生まれ。 これだけ生きてると、人生いろいろなことを経験するもの。 僕の人生のできごとをつれづれなるままに、と思って始めたら 今のところ音楽の話ばかりになってます...(^^)

マガジン

  • 「眩惑のブロードウェイ」徹底解説

    ジェネシスが1974年にリリースしたコンセプトアルバムThe Lamb Lies Down on Broadway(邦題:眩惑のブロードウェイ) 。リリース50周年をむかえた今年(2024年)、このアルバムをまさに50年間聴き続けたわたしが徹底解説を試みます。本当の50周年、2024年11月22日までに完結できるか(笑)

  • ジェネシス関連記事

    ジェネシスと、メンバーのソロについての記事をまとめました。メンバー、元メンバーのソロについて触れている記事も含みます。

  • 洋楽ヒットソング1972〜1990

    1972年〜1990年、わたしが洋楽を聴き始めた中学1年から、30歳になるまでの洋楽のヒットソングを年ごとにまとめました。

  • 潰瘍性大腸炎の記録

    潰瘍性大腸炎の発症から闘病、そして長期寛解に至るまでの記録です。

最近の記事

〜第10章〜 The Lamb その後 (2)The Lamb がもたらした最後の再結成チャンス

The Lamb の映画化がボツとなり、それから18年もの歳月が流れた1998年6月。アーカイブボックスである Genesis Archive 1967–75 がリリースされました。そしてこのリリースが、再結成の話の発端となったのです。 節目にリリースされたアーカイブボックス この18年の間、フィル・コリンズはソロとしても大成功し、7曲もの全米No.1ヒットを出し、ジェネシスも1曲、ピーター・ガブリエルもソロとして1曲、マイク・ラザフォードも自身のバンドメカニクスで全米N

    • 〜第10章〜 The Lamb その後 (1)幻となった The Lamb 映画化プロジェクト

      さて再び話は70年代に戻ります。ジェネシスを脱退した後に、ピーター・ガブリエルは再び、The Lamb 関連の企画を動かそうとするのです。 映画化プロジェクトのスタート 1978年、ピーターはすでに音楽活動に復帰して、ロバート・フリッププロデュースによる 2ndソロアルバム(scratch)をリリースした後に再び、The Lamb のプロジェクトを立ち上げるのです。それがかねてからの念願だった映画化です。 そもそも The Lamb の映画化というのは、ストーリーの構想

      • 〜第9章〜 ピーター・ガブリエルのジェネシス脱退 (2)改変された脱退声明文

        ピーター・ガブリエル自身が「全文掲載するか全く掲載しないかどちらかにせよ」とまで言って公開された1975年の脱退声明文。当時これを報じたのはメロディーメーカーなどの音楽雑誌で、オフィシャルな印刷物としては残されていないのです。それから23年も経過した後、この声明文は1998年6月にリリースされたアーカイブボックスのブックレットに収録されることになり、ここで初めてオフィシャルな印刷物に掲載されたわけです。ところが、これが当初のものとは大きく異なっていたのです。 脱退声明文の改

        • 〜第9章〜 ピーター・ガブリエルのジェネシス脱退 (1)脱退発表の経緯と脱退声明文

          そしてツアー全日程を終えたピーター・ガブリエルは、いよいよバンドと別行動をはじめるわけです。 脱退発表までの時系列 1975年5月22日に南仏の小都市ブザンソンでラストショーを行った後帰国したピーター・ガブリエルは、バースの自宅に引きこもって、一切のマスコミからのインタビューを断っていました。他のメンバーもこの間全くマスコミに出ていません。ジェネシスは75年1月初旬に Selling England by The Pound と The Lamb Lies down on

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        • 「眩惑のブロードウェイ」徹底解説
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        • 洋楽ヒットソング1972〜1990
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        • 潰瘍性大腸炎の記録
          12本

        記事

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (7)トリビュートバンドのステージで当時に思いをはせる

          こうして100回以上も行われたThe Lambのステージですが、結局オフィシャルな映像が残っていないために、今追体験することは叶わぬ事となってしまったのです。 一切の映像を残さなかったメンバー これらのコメントは、いずれも当時 The Lamb のショーを「体験した」音楽ジャーナリストが残したものです。さらに後世、このときの The Lamb のショーは、19世紀にリヒャルト・ワーグナーが提唱したGesamtkunstwerk(日本語で「総合美術」と訳される芸術概念)を最

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (7)トリビュートバンドのステージで当時に思いをはせる

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (6)2nd European Leg (1975年5月8日〜5月22日)

          そしてジェネシスはついにピーター・ガブリエル最後のライブに向かって、再びヨーロッパに渡るのです。 マネージメントの慢心? アメリカ〜ヨーロッパ、そして本国イギリスを巡ったツアーは、難解なストーリの2枚組アルバムを通して全曲演奏するとか、アルバムに対する多くのジャーナリストの酷評、また当初はアルバムリリース前にツアーがスタートしてしまうような逆風ばかりの状況のなかでは、劇的な成功と言って良かったのだと思うのです。イギリスツアーは全会場 Sold Out 、他の地域でもキャン

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (6)2nd European Leg (1975年5月8日〜5月22日)

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (5)British Leg (1975年4月14日〜5月2日)

          4月12日にベルギーでのライブを終えたバンドは、少しの休みもとらず、その2日後の14日から、本国イギリスツアーをスタートします。74年10月に予定されたツアーがキャンセルされたまま、ずっと待たされていた本国のファンが、久しぶりにジェネシスのライブを体験したわけです。 初演は微妙な反応に イギリス公演は、キャパ2000人〜10000人クラスの多彩な会場がブッキングされました。3日連続で公演が行われたリバプールの Empire Theatre のように、2000人ちょっとのキ

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (5)British Leg (1975年4月14日〜5月2日)

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (4)1st European Leg (1975年2月19日〜4月12日)

          2nd American Leg終了から約2週間のオフをはさみ、75年2月19日からノルウェー、オスロを皮切りに、53日間で33公演が行われます。このとき、2日連続で同じ会場で演奏されたのは、ポルトガルとスペインのバルセロナだけで、あとはすべて1都市1公演というツアーでした。このツアーは、「大成功」に終わったツアーとして記録されています。アルバムリリースから3か月たち、すでにファンはじっくりとアルバムを聴く時間があり、さらにアメリカ公演の高評価が伝わっており、盛り上がったのだ

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (4)1st European Leg (1975年2月19日〜4月12日)

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (3)2nd American Leg (1975年1月10日〜2月4日)

          クリスマス〜新年の休暇を各々過ごしたメンバーは、再びアメリカに集結し、75年の1月10日から再び北米ツアーが行われます。 スッキリしたスティーブ・ハケット アメリカに出発する直前、1975年の新年早々、メンバーは、そろってロンドンのサヴォイホテルに現れます。これは、Selling England by the Poundと、The Lamb Lies Down on Broadway が同時にゴールドディスクを獲得したことのレセプションでした。イギリスでのゴールドディスク

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (3)2nd American Leg (1975年1月10日〜2月4日)

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (2)1st American Leg (1974年11月20日〜12月18日)

          The Lambツアーは、10月に予定されていたイギリスツアーがキャンセルされたために、北米ツアーからスタートします。このときアメリカでは、観客数2000〜6000のホールが中心で、カナダは10000を超えるキャパのスポーツアリーナで行われました。2公演行われた都市は、すでに彼らが一度ライブで訪れたことがある都市で、ファンベースがあると判断した場所だったそうです。 ショーのスタートと、ピーター・ガブリエルの脱退表明 11月20日、21日と、2夜連続のショーをシカゴのAud

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (2)1st American Leg (1974年11月20日〜12月18日)

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (1)ツアーの概要

          1974年11月20日、アメリカシカゴの Auditorium Theatre で、The Lamb Lies Down on Broadway のツアーはスタートします。 ロンドンとアメリカでのリハーサル ジェネシスは、まだアイランドスタジオでのフィニッシュワークが終了する前、74年10月の初旬、スティーブ・ハケットが怪我をする直前から、ツアーに向けたバンドのリハーサルをロンドンで開始しています。これは、シェパーズ・ブッシュ地区のダンススクールの地下室(ここはFoxtr

          〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (1)ツアーの概要

          〜第7章〜 アルバムリリースとマスコミの評価

          アルバムからの先行シングル、Counting out Time は、1974年11月15日にイギリスでリリースされました。典型的なアルバムバンドと見られていたジェネシスが、このとき初めてアルバムに先立ってシングル盤をリリースしたのです。 Counting out Time の不評とプログレバンドへの風当たり アルバムのリリースが当初予定より遅れ、そこにスティーブ・ハケットの怪我もあって、イギリス国内のツアーがチケット発売後に延期されるという事態になり、イギリス本国のファン

          〜第7章〜 アルバムリリースとマスコミの評価

          〜第6章〜 ジャケットのアートワーク  (2)ストーリー繰り返しの謎

          さて、わたしが永年疑問に思っていたことが1つ残っています。それは、インナージャケットのあのストーリーの最後の部分が、アルバムクレジットの後に、冒頭から再度繰り返して、途中でブツッと終了しているということについての解釈です。 安部公房作品との偶然の類似 わたしはこのアルバムを初めて手にした高校生の頃、このストーリーの繰り返しについては、まさに「出来事の周期性を表現するため」にピーター・ガブリエルが仕込んだものだと完全に思い込んでいました(ストーリーはほとんど読めなかったにも

          〜第6章〜 ジャケットのアートワーク  (2)ストーリー繰り返しの謎

          〜第6章〜 ジャケットのアートワーク  (1)ヒプノシスの起用とその仕事

          デザイン集団ヒプノシスの起用 ヒプノシス(Hipgnosis) とは、1968年にストーム・ソーガソン(Storm Thorgerson)と、オーブリー・パウエル(Aubrey Powell)の二人が作ったデザインチームです。もともと彼らはピンクフロイドのメンバーと個人的な友人であり、A Saucerful of Secrets(邦題:神秘  1968年)からAnimals(1977年)まで、すべてのピンクフロイドのアルバムジャケットのデザインを担当しました。ピンクフロイ

          〜第6章〜 ジャケットのアートワーク  (1)ヒプノシスの起用とその仕事

          〜第5章〜 アルバム全曲解説 (23)D面-6 it

          歌詞はこちら いよいよアルバムのエンディング曲 it (*1)です。この曲は当初バンドメンバーはインストゥルメンタルと思っていたようですが、最後の最後にピーター・ガブリエルが歌詞をのせたため、メンバーと揉めたという曲です。 【テキスト】【歌詞】とその内容 ストーリーは前曲で完結しており、この曲の歌詞は、「 it は○○ 」 という言葉の羅列が中心となって構成されています。歌詞には全部で32の it が表現されているとされています(*2) つまり、言葉の羅列ばかりで、こ

          〜第5章〜 アルバム全曲解説 (23)D面-6 it

          〜第5章〜 アルバム全曲解説 (22)D面-5 In the Rapids

          歌詞はこちら いよいよ、ストーリー完結の曲です。必死の思いで助け出した兄の顔を見たら、それは自分の顔だったという最後の結末が歌われる曲です。 【テキスト】【歌詞】とその内容 曲は、ドラマチックな内容が歌われる割に、全体として穏やかなムードで統一されています。特に前半は、まだ急流の中で兄ジョンを助けようと奮闘しているレエルのシーンです。 歌詞も冒頭からかなりゆったり歌われているのですが、描写は急流にもまれて兄を助けようとするシーンなのです。 そして、歌は Verse

          〜第5章〜 アルバム全曲解説 (22)D面-5 In the Rapids