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〜第8章〜 The Lambツアーの全貌 (5)British Leg (1975年4月14日〜5月2日)

4月12日にベルギーでのライブを終えたバンドは、少しの休みもとらず、その2日後の14日から、本国イギリスツアーをスタートします。74年10月に予定されたツアーがキャンセルされたまま、ずっと待たされていた本国のファンが、久しぶりにジェネシスのライブを体験したわけです。



初演は微妙な反応に

イギリス公演は、キャパ2000人〜10000人クラスの多彩な会場がブッキングされました。3日連続で公演が行われたリバプールの Empire Theatre のように、2000人ちょっとのキャパの会場もあれば、初日の Empire Pool Wembley(現在のWembley Arena)のように1万人キャパの会場もあり、追加公演も複数回行われたのですが、これら全ての公演が Sold Out するという、営業面では大成功のツアーとなったのでした。

ところが、初日のロンドン公演での約1万人の観客が「あまり盛り上がらなかった」そうで、このことがメンバーをだいぶ苛立たせたようです。それまでアメリカ、ヨーロッパ各国で、かなり熱狂的なリアクションを受けていたのに、自国に凱旋したら、何故かちょっとそれまでとは異なるテンションの観客に迎えられたということなのです。初日のコンサートに、両親を招待していたマイク・ラザフォードが証言しています。(*1)

Pete’s grand entrance was to crawl through a phallic symbol, which started from the back of the stage and ended up right at the front. My father adjusted his ear plugs and settled back in his seat, only to be targeted by a thirty-foot inflatable penis.
ピートの華々しい登場は、ステージ後方から始まり前方で終わる男性器のシンボルをくぐり抜けるというものだった。父は耳栓を調整してシートに深く腰を落ち着けていたけど、そのとき30フィート(約9メートル)もの巨大な空気注入式のペニスが彼を狙ってきたんだよ。

Living Years /  Mike Rutherford

イギリス凱旋公演ということで、またいつもとちょっと違う登場の仕方をピーターがやったようですが、これがちょっと外してしまったのでしょうか(笑) それ以外にも、初日のウェンブリーでの公演は、「PAの音が大きすぎた」とか「バンドも1年ぶり以上の母国でのライブで相当緊張していた」という証言もあり、観客も「熱狂的ではなく礼儀正しい」拍手に終始したということのようです。(*2)(*3)

そして、過酷なツアーで肉体的にも、そして刻々と迫ってくるピーター・ガブリエルとの別れもあり、精神的にもキツかったはずのメンバーは疲労困憊するのでした。過去にも、「1つのアルバムを通しで演奏するのがつらい、だから The Waiting Room のインプロビゼイションが唯一の息抜きだった」という回想をメンバーがしていましたが、そういう印象を彼らに強く植え付けたのは、このときのイギリスツアーだったのかもしれません。


そして最後のヨーロッパツアーへ

ところが、ツアーの営業的な成功に気を良くしたマネージメントは、ここで再度のヨーロッパツアーを計画するのです。というのも、ここまでのツアーは大成功だったにもか変わらず、依然としてまだ彼らは負債を返済するまでには至っていなかったからです。ならば、「まだチケットは売れるから、もうちょっとツアーをやろう」と考えるのは、経営的な発想としては仕方が無いとは思います。ただ、メンバーを納得させるにはちょっと骨だったようです。それまで相当過酷なツアーを経て疲労困憊だったメンバーをマネージャーのトニー・スミスは説得したわけですね。

Smith would always push us to tour more and he'd be clever about it, too. He'd always raise big decisions when there were just five minutes of a meeting to go and he knew we were fading and would say yes to anything just to get out of the room. But you also had to feel sorry for him: it wasn’t just that we were in financial difficulties, he'd also only been managing us for a year and we were already just about to be one man down.
スミスはいつも僕らに、もっとツアーをするよう要求していたよ。そして彼はそれについては賢かった。会議の終わる5分前、僕らが疲れ果てて、ただ部屋を出たいがために何にでも同意しそうな時に、重要な決定事項を持ち出すんだよ。でも、彼には同情せざるを得ないね。僕らが経済的に困難な状況にあっただけじゃなく、彼が僕らのマネージャーになってからまだ1年しか経っていないのに、僕らはすでにメンバーが一人減りそうだったんだからね。

Living Years /  Mike Rutherford

それまでもマネージメントは、ガス抜きとしてアメリカでグランドキャニオンやラスベガスでのレジャーを企画していたのですが、次のヨーロッパツアーでは、メンバーへは多額のボーナスに加えて、例えばパリではヒルトンホテルにパートナーとの宿泊を許すとかの飴を用意していたわけです。思えば、Selling England のアメリカツアーの際に、白黒テレビしかないボロボロのモーテルに宿泊していた彼らにすれば、十分な飴だったのかもしれません。こうして、彼らは5人組ジェネシス最後のツアーとなる再度のヨーロッパツアーに向かうのです。


資料:全日程と会場

  1. 4月14日 London (Empire Pool Wembley 現Wembley Arena)

  2. 4月15日 London (Empire Pool Wembley 現Wembley Arena)

  3. 4月16日 Southampton (Gaumont Theatre 現Mayflower Theatre)

  4. 4月18日 Liverpool (Empire Theatre)

  5. 4月19日 Liverpool (Empire Theatre)

  6. 4月20日 Liverpool (Empire Theatre)

  7. 4月22日 Edinburgh (Usher Hall)

  8. 4月23日 Edinburgh (Usher Hall)

  9. 4月24日 Newcastle (City Hall)

  10. 4月25日 Newcastle (City Hall)

  11. 4月27日 Manchester (Palace Theatre)

  12. 4月28日 Manchester (Palace Theatre)

  13. 4月29日 Bristol (Colston Hall 現Bristol Beacon)

  14. 4月30日 Bristol (Colston Hall 現Bristol Beacon)

  15. 5月1日 Birmingham (Hippodrome)

  16. 5月2日 Birmingham (Hippodrome)


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【注釈】

*1:マイク・ラザフォードが、ジェネシスのライブに両親を招待したのは、このときが初めてだったそうです。イギリス海軍高官だった父親は、母親と一緒にまるでオペラハウスに来るような出で立ちでやってきたのだそうです。ちなみにマイクの父親は、息子の音楽活動には非常に寛容で、むしろ積極的に背中を押す程(初期の頃、楽器を買うための資金カンパを他のメンバーの親に呼びかけたことがある)だったといい、親子の間の確執は全く無かったのでした。

*2:ウェンブリーでの初演は、メンバーの緊張も相当だったようで、この日、いつもは5〜6分のThe Waiting Roomの即興演奏が9分にもなったそうです。

*3:同じくウェンブリーでの初演の日、カリスマレコード社員のゲイル・コルソン(後にカリスマを退社してトニー・スミスと共同で会社を立ち上げ、ピーター・ガブリエルのマネージメントを担当する人物)が、ジャーナリストのクリス・ウェルチにピーター・ガブリエルの脱退をリークしたと伝えられています。


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