ピーター・ガブリエル自身が「全文掲載するか全く掲載しないかどちらかにせよ」とまで言って公開された1975年の脱退声明文。当時これを報じたのはメロディーメーカーなどの音楽雑誌で、オフィシャルな印刷物としては残されていないのです。それから23年も経過した後、この声明文は1998年6月にリリースされたアーカイブボックスのブックレットに収録されることになり、ここで初めてオフィシャルな印刷物に掲載されたわけです。ところが、これが当初のものとは大きく異なっていたのです。
Genesis Archive 1967-75 1998年6月22日リリースの4枚組CDボックスセット
脱退声明文の改変箇所 そもそも脱退声明文は、先にも参照した、1988年2月に出版されたスペンサー・ブライトの著書 Peter Gabriel: An Authorized Biography(邦題:ピーター・ガブリエル正伝)に全文掲載されているわけです。その10年後にもなって、ジェネシスのCDのブックレットに掲載する段階で、改変するという神経がちょっと信じられないわけです。
ブックレットの該当ページ もちろん、この声明文の改変は、ブックレットのデザイナーが勝手にやったもの ではありえません(笑) 間違いなくこれはピーター・ガブリエル自身が昔のテキストに変更を加えたものだと思います。
では、一体どのような変更が加えられたのかを見ていきましょう。(以下の【Original Ver.】は、スペンサー・ブライトの著書 Peter Gabriel: An Authorized Biography からの引用です)
【Original Ver.】 I had a dream, eye's dream. Then I had another dream with the body and soul of a rock star. When it didn't feel good I packed it in. Looking back for the musical and non-musical reasons, this is what I came up with: 僕は夢を見た、目の夢だ。その後別に、ロックスターの肉体と魂の夢も見た。その夢が心地よいと感じられなかったので、僕はロックスターの夢をあきらめることにした。音楽的な理由と音楽的でない理由をふり返ってみて、僕は以下の内容にたどりついた: OUT, ANGELS OUT - AN INVESTIGATION 「脱退、天使の脱退」に関する調査 【Archive Ver.】 Looking back for the reasons on why I packed it in, this is what I came up with... なぜあきらめることにしたのか、その理由をふり返ってみると….
大幅に短縮された前書き部分に続いて、テキストのタイトルすら削除されている状態です。もう冒頭から「こんなに変えちゃうんですかー?」と叫びたくなるような違いです。冒頭にこういうことをするというのが、恐らく「以下は当時のものとは違うのだよ」的なガブリエル流のメッセージかもしれないのですが…。本当にめんどくさい人ですなぁ…(笑)
続く一節は改変されていないのですが、その次です。
【Original Ver.】 The music had not dried up and I still respect the other musicians, but our roles had set in hard. To get an idea through "Genesis the Big" meant shifting a lot more concrete than before. 音楽は枯渇してるわけじゃなく、僕は依然として他のミュージシャンを尊敬しているが、僕らの役割は固定化してしまった。「ジェネシスというビッグな存在」を通してアイデアを得るためには、以前よりもずっと大きな困難を乗り越えなければならなくなった。 【Archive Ver.】 The music had not dried up and I still respect the other musicians, but our roles had set in hard. To get an idea through meant shifting a lot more concrete than before. 音楽は枯渇してるわけじゃなく、僕は依然として他のミュージシャンを尊敬しているが、僕らの役割は固定化してしまった。アイデアを得るためには、以前よりもずっと大きな困難を乗り越えなければならなくなった。
この部分からは、"Genesis the Big" (ジェネシスというビッグな存在)が削除されています。
【Original Ver.】 I believe the use of sound and visual images can be developed to do much more than we have done. But on a large scale it needs one clear and coherent direction, which our pseudo-democratic committee system could not provide. 僕は、サウンドとビジュアルイメージの活用については、僕らがなし得た事よりもはるかに発展するだろうと信じている。でも、大規模な展開においては、明確で一貫した方向性が必要であり、それは僕らのエセ民主主義的委員会システムでは提供できないものだ。 【Archive Ver.】 I believe the use of sound and visual images can be developed to do much more than we have done. But on a large scale it needs one clear and coherent direction 僕は、サウンドとビジュアルイメージの活用については、僕らがなし得た事よりもはるかに発展するだろうと信じている。でも、大規模な展開においては、明確で一貫した方向性が必要なのだ。
ここでも、ジェネシスの合議制を "pseudo-democratic committee system"(エセ民主主義的委員会システム)と当てこすった、トゲのある言葉が削除されているわけです。
ここまで読めば、ピーターの意図の一部はだいたい想像できます。つまり、アーカイブボックスのリリースに当たっては、以前ジェネシスに対して吐いたトゲのある言葉を削除して、マイルドに直しているようなのです。
ところが、こうして直し始めたら、やっぱり他の部分も直したくなったんでしょうねぇ。ピーターの筆はどんどん滑り始めてしまうわけです…。
【Original Ver.】 As an artist, I need to absorb a wide variety of experiences. It is difficult to respond to intuition and impulse within the long term planning that the band needed. アーチストとして、僕は様々な経験を幅広く吸収する必要がある。バンドが必要とする長期的な計画の中で、この直感や衝動に従って行動するのは難しい事だ。 【Archive Ver.】 As an artist, I need to absorb a wide variety of experiences. アーチストとして、僕は様々な経験を幅広く吸収する必要がある。
と、それほどトゲがないのではないかという部分まで、まるっと削除してしまったりします。
【Original Ver.】 I felt I should look at / learn about / develop myself, my creative bits and pieces and pick up on a lot of work going on outside music. 僕は自分自身の創造的な部分を見つけ、学び、発展させ、音楽以外の多くの仕事を手がけるべきだと感じたんだ。 【Archive Ver.】 I feel I should look at, learn about and develop, and pick up on a lot of work going on outside music. 僕は自分自身を見つめ、学び、成長させて、音楽以外の多くの仕事を手がけるべきだと感じたんだ。
ここなど、変更する必要あったのでしょうか….。
【Original Ver.】 Even the hidden delights of vegetable growing and community living are beginning to reveal their secrets. I could not expect the band to tie in their schedules with my bondage to cabbages. 野菜作りや共同体の生活に秘められた楽しみさえ、わかるようになってきた。僕がキャベツにかかりきりになっているときに、バンドにスケジュールを合わせてもらうのは期待できない。 【Archive Ver.】 It's difficult to respond to intuition and impulse and yet work within the long-term planning of the band's career. 直感や衝動に応えつつ、バンドのキャリアの長期的な計画の中で仕事をするのは難しい。
このパートは、完全に書き換えられていますね。ここまでやらなくても…と思うのですが、オリジナルの文章は、これはこれでけっこうな皮肉っぽい表現だったということなのでしょうか??
【Original Ver.】 The increase in money and power, if I had stayed, would have anchored me to the spotlights. It was important to me to give space to my family which I wanted to hold together and to liberate the daddy in me. もし僕が残ったら、お金と権力が増大して、そのことが僕をスポットライトに縛り付けるだろう。僕にとって重要なのは、一緒にいたい家族にその機会を与え、僕の中の父親を解放することだ。 【Archive Ver.】 The increase in money and power, if I had stayed, would have anchored me to the spotlights. It was also important for me to give space to my family, which I wanted to hold together. もし僕が残ったら、お金と権力が増大して、そのことが僕をスポットライトに縛り付けるだろう。僕にとって重要なのは、一緒にいたい家族にその機会を与えることだ。
「父親を解放する」という部分が削除されています。書き換えた時点では、ピーターはすでにジルとは離婚した後ですので、ジル本人や、ジルとの間に残した2人の娘にちょっと遠慮したとか…(^^;)
【Original Ver.】 Although I have seen and learnt a great deal in the last seven years, I found I had begun to look at things as the famous Gabriel, despite hiding my occupation whenever possible, hitching lifts, etc. I had begun to think in business terms; very useful for an often bitten once shy musician, but treating records and audiences as money was taking me away from them. When performing, there were less shivers up and down the spine. 過去7年間で、僕は多くのことを見て学んだ。可能な限り職業を隠してヒッチハイクしたり、他の事をしていたにもかかわらず、物事を有名なガブリエルとして見はじめていたことに気づいた。僕はビジネスの視点でものを考えるようになっていた。これは多くの批判を受けたシャイなミュージシャンにとっては良かった事だが、レコードと観客を金と考える事で、僕が音楽の本質から離れてしまったということでもある。パフォーマンスのとき、背筋がゾクゾクすることが少なくなってきた。 【Archive Ver.】 Although I have seen and learnt a great deal in the last seven years, I found I began looking through rock star' eyes. I had begun to think in business terms - very useful for an often bitten, once shy musician, but treating records and audiences as money was taking me away from them. When performing, there were less shivers up and down the spine. 過去7年間で、僕は多くのことを見て学んだが、物事をロックスターとして見はじめていたことに気づいた。僕はビジネスの視点でものを考えるようになっていた。これは多くの批判を受けたシャイなミュージシャンにとっては良かった事だが、レコードと観客を金と考える事で、僕が音楽の本質から離れてしまったということでもある。パフォーマンスのとき、背筋がゾクゾクすることが少なくなってきた。
98年にふり返って、75年に自分で「有名なガブリエル」とか言ってたのが、ちょっと恥ずかしかったのでしょうか? よけいな表現を削ったと言えばそれまでなんですが、この段階で単なる「文章の推敲」みたいなことしちゃうのも…なんですよねぇ(笑)
続く一説は、珍しく全く改変されていません。「old hierarchy(古いヒエラルキー)に縛られない」なんて箇所はそのまま残されているのですが、次の一節はまるごと削除されています。
【Original Ver.】 Much of my psyche's ambitions as "Gabriel archetypal rock star" have been fulfilled - a lot of the ego-gratification and the need to attract young ladies, perhaps the result of frequent rejection as "Gabriel acne-struck public-school boy". However, I can still get off playing the star game once in awhile. 「ガブリエルという典型的なロックスター」としての野心の大部分は、満たされた。-多くの自己満足と若い女性を引き付ける必要性だ。これは『ニキビに悩まされるパブリックスクールの少年ガブリエル』として頻繁に拒絶されたことの結果かもしれない。しかし、僕は今でも時々、スターのゲームを演じることで満足感を得ることができる。 【Archive Ver.】 全文削除
どうしちゃったんでしょう(笑) やっぱり20代の頃の文章がちょっと恥ずかしかったのでしょうか…
【Original Ver.】 My future within music, if it exists, will be in as many situations as possible. It's good to see a growing number of artists breaking down the pigeon-holes. This is the difference between the profitable, compart-mentalised, battery chicken and the free-range. Why did the chicken cross the road anyway? 音楽における僕の未来がもし存在するならば、可能な限り多くの状況におけるものとなるだろう。ますます多くのアーティストが、型を打ち破っているのを見るのは素晴らしいことだ。これが、利益追求型で囲われたブロイラーと放し飼いの鶏の違いだ。なぜブロイラーは道を渡ってはいけなかったのか? 【Archive Ver.】 My future within music, if it exists, will be in as many situations as possible. It's good to see a growing number of artists breaking down the pigeon holes. This is the difference between the profitable, compartmentalised battery chickens and the free-range. 音楽における僕の未来がもし存在するならば、可能な限り多くの状況におけるものとなるだろう。ますます多くのアーティストが、型を打ち破っているのを見るのは素晴らしいことだ。これが、利益追求型で囲われたブロイラーと放し飼いの鶏の違いだ。
ここは、単語のハイフネーションとか、chickenの単数形と複数形の違いなどの細かい変更以外は、最後のちょっとわかりにくい表現が削除されています。まあここも、当時勢いで書いたのを改めて推敲したという感じに見えます。
【Original Ver.】 It is not impossible that some of them might work with me on other projects. 彼らの中の誰かが、僕と一緒に他のプロジェクトに取り組むことだって不可能じゃない。 【Archive Ver.】 It is not out of the question that we might collaborate in the future. 僕らが将来コラボレートすることは、論外というわけではない。
これは、「僕とメンバーの間に敵意は無い」と始まる段落の最後の文章なのですが、もともと、some of them となっていたところが、we と書き換えられており、not impossible が not out of the question と変更されています。結局歴史的にはその後全員とコラボレートしたわけで、92年の視点から、より正確に書き直されたということでしょうか…
そして、アーカイブボックス版では、このステートメントは、元には無かった下記のテキストで締めくくられるのです。
【Archive Ver.】 There have been all sorts of rumours, some more fanciful than others, about why I have left. I don't feel I express myself in interviews, so I wanted to communicate directly to the people who put a lot of love and energy in supporting the band, which is why I have put pen to paper. 僕が脱退した理由について、さまざまな噂が飛び交っている。インタビューでは自分自身を表現できていないと思うので、バンドに多くの愛とエネルギーを注いで、支えてくれる人たちに直接伝えたかった。それが僕が紙に筆を走らせた理由だ。
このパートは、オリジナルのテキストでは、ステートメントの一番最後に合ったパートを、再び結びにふさわしいように書き換えたものだと思います。
そうなると、あの、「ボウイになる」とか「フェリーになる」といった、7項目の噂を否定するパートは全部削除したのかと思うと、ブックレットでは何と次のページにこれが独立して掲載されているという、なんかよく分からないことになっているわけです。しかも、この7項目のうち、5番目の文章で元は To do a "Furry Boa round my neck and hang myself with it". だったところが、 round my neck and が削除されて、単に「毛皮のボアで首をつる」という文章に書き換えられています。これは何かしらコンプライアンス上の配慮なのでしょうか?
このページに掲載された最後の段落は、わずかな言い回しの違いがある以外は同じです。唯一異なっているのは、最後に So I ask that you print all or none of this.(だから僕はこれを全部掲載するか全くしないかどちらかを求める)というスペンサー・ブライト版にはステートメントとして記載されてなかったコメントが追加されているといる部分です。
私見:なぜこんなに改変したのか 以下は例によってわたしの個人的解釈です。この時点で、「歴史改ざん」と言われても仕方ないほどの、大幅な改稿をしてしまったピーター・ガブリエルですが、その心中はなんとなく分からなくもないのです。
ちょっとこの間のピーター・ガブリエルの出来事を整理してみましょう。
1975年(25歳) :ジェネシスを脱退
1976年(26歳) :次女メラニー・ガブリエル誕生
1977年(27歳) :音楽活動を再開し、1stソロアルバム(car)のリハーサルに、フィル・コリンズ、マイク・ラザフォード、アンソニー・フィリップスが参加
1980年(30歳) :フィル・コリンズが3rdアルバム(melt)に参加
1982年(32歳) :一度限りのジェネシス再結成ライブ Six of the Best(*1)開催
1986年(36歳) :5thアルバム So が大ヒットし、Sledgehammerが全米No.1を獲得
1987年(37歳) :ジルと離婚
こうして見ると、アーカイブボックスがリリースされた1998年、48歳となったピーターが、20数年も前にやや感情的に書いた文章を、改めて読み返して、手を入れたくなったのもまあ、仕方がないのかもしれません。
というのも、なんだかんだ言って、彼はジェネシス脱退後にメンバーには世話になっているのです。音楽活動に復帰する際に、フィルとマイクにリハーサルを手伝ってもらったり、ソロの1st、2ndが売れずに金欠状態のときの3rdのレコーディングに、フィルがノーギャラで参加してくれたりしたわけです。さらに、82年には、自身が企画したWOMADのイベントが失敗して、大借金を負ってしまった際、ジェネシスは1度限りの再結成ライブ Six of the Best(*1) を企画して、彼の窮状を救ってくれたわけです。そういう意味では、ピーター・ガブリエルは、ジェネシスのメンバー全員に恩義があるわけです。さらに、ジェネシス脱退の理由のひとつであった、「家庭を大事にする」という点について言えば、86年に So の大ヒットで一躍トップスターの仲間入りした彼は、シネイド・オコナーなんかと浮名を流しながら、結局ジルとは離婚してしまうわけです。恐らくそういう後ろめたさもあったのではないでしょうか。そして、これらの事柄が、1998年にこれほどの改変を行った背景なのだと思うのです。
ピーター・ガブリエルとは、とてつもなくめんどくさい人ではあるのですが、「こういうことをする」というのは、ある意味真面目で誠実な人でもあるとも思えるのです。(^^)
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【注釈】
*1:この再結成コンサートは、1982年10月2日に、ロンドン郊外のMilton Keynes Bowl という屋外会場でたった1回だけ実施されたものです。Six of The Best とは、当時の3人ジェネシスにサポートメンバーのダリル・スターマーとチェスター・トンプソンを合わせた5人に、ピーター・ガブリエルを加えた6人の事を意味しているわけです。つまり、最初からスティーブ・ハケットは含まれていなかったのか、含まれていたとしてもスペシャルゲスト状態だったのです。実際このときスティーブは、ブラジルでレコーディング中でしたが、急遽帰国してアンコールで2曲だけ共演しています。スティーブとは脱退時のメンバーとのわだかまりが続いていた状態だったのかもしれませんし、何よりこのイベントを発案したのは、マネージャーのトニー・スミスです。ジェネシスを離脱した後のピーターのマネージメントは、トニー・スミスの管理下で元カリスマレコードのゲイル・コルソンが手がけており、スティーブはそのネットワークからは完全に離脱していたことが、こういう組みあわせになったそもそもの理由だったのかもしれません。ちなみに、1972年頃、一番最初にジェネシスのマネージメントを引き受けてくれとトニー・スミスに連絡したのが、ピーター・ガブリエル本人だったわけで、これらの人間関係はそのままずっと続いていたわけなのです。