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〜第6章〜 ジャケットのアートワーク  (1)ヒプノシスの起用とその仕事


デザイン集団ヒプノシスの起用

ヒプノシス(Hipgnosis) とは、1968年にストーム・ソーガソン(Storm Thorgerson)と、オーブリー・パウエル(Aubrey Powell)の二人が作ったデザインチームです。もともと彼らはピンクフロイドのメンバーと個人的な友人であり、A Saucerful of Secrets(邦題:神秘  1968年)からAnimals(1977年)まで、すべてのピンクフロイドのアルバムジャケットのデザインを担当しました。ピンクフロイド以外にも、レッド・ツェッペリンの Houses of the Holy(邦題:聖なる館 1973年)ウイングスの Band on the Run(1973年)など、数多くの名作と言われるジャケットデザインを残してきたのはご存じの通りです。

もともと、Hipgnosisとは、催眠術(hypnosis)に引っかけて、Hip(粋な)とGnosis(グノーシス主義)という言葉を合体させた造語です。グノーシス主義とは日本人にはあまり聞き慣れない言葉ですが、 西洋で紀元1世紀から2世紀頃に盛んだった思想運動で、古来からの宗教(主にキリスト教)と対立する思想のことです。そしてこれが、70年代のプログレッシブ・ロックの思想的背景や、その前提であると指摘する人もいるのです。

ジェネシスはそれまで、 Tresspass(邦題:侵入)、NurseryCryme(邦題:怪奇骨董音楽箱)、 Foxtrot の3作品で、ポール・ホワイトヘッド(Paul Whitehead)という画家のイラストをジャケットに採用しており、彼の描く絵がジェネシスのちょっと奇妙とも言えるファンタジー要素を印象づけることになっていました。続く Selling England by The Pound(邦題:月影の騎士) では、ベティ・スワンウィック(Betty Swanwick)という別の画家の作品をジャケットに使いましたが、このときもまたイラストだったわけです。ここで新作のジャケットのデザインを初めてヒプノシスに依頼したというのは、やはりジェネシスとしても今までとは全く異なる作品となるはずの The Lamb については、これまでとは違う新しいデザインを求めたということなのでしょう。

ヒプノシスの数々のアートワークを見ると、彼らはイラストも使いますが、どちらかというと写真を得意とするイメージがあります。特に、当時まだデザイナーの手作業だった写真の合成について非常に卓越した技術を持っていたことがわかります。にもかかわらず、当初ピーター・ガブリエルは、彼らに、アメリカンコミック的なカートゥーンっぽいデザインを「バンドを登場させることなく、レエルと彼のストーリーに集中させること」という条件をつけて依頼しているのです(*1)。ピーターからの手書きのストーリー資料 Early Genesisyphian toil を Headly Grange での最初のミーティングで受け取ったヒプノシスのメンバーは(*2)、次にウェールズの Glaspant Manor で行われたミーティングで、自分たちが最も得意とする写真合成を元にした白黒写真によるデザインを逆提案するのです。(*3) これを見たピーター・ガブリエルがそれをすっかり気に入って、このアートワークとなるわけです。ということで、このジャケットの仕上がりは、当初ピーター・ガブリエルは全く想定していなかったものなのです。

アルバムジャケットの6枚の写真

さて、アルバムジャケットの新しいGNESISロゴ(*4)の下に、縦長のトリミングで並んでいる写真は、当然ストーリー内容に関連したものであるはずです。この写真は、裏ジャケットと合わせると全部で6枚あるわけです。ところが、正面中央の、頭が半分壁にめり込んでいる人の画像が、ストーリーのどこを表現したものなのかがさっぱりわからないのです。その左側の手を差し伸べるレエルの写真については、渓谷のシーンであることから、曲で言えば Riding the Scree の前後のシーンであることは確かだと思いますが、やはり真ん中のシーンは謎なのです。また、その右側に、レエルが白く抜かれている廊下のシーンがあります。廊下と言えば、The Carpet Crawlers なのですが、そこで歌われた廊下かどうか判断できません。また白く抜かれた人物の足元のヒョウらしき動物も、ストーリーにはどこにも出てこないのです。

そしてこの写真の内容がまた謎に満ちていることから、これまでずっとファンの間では様々な解釈が言われてきたのです。

ところが、ここ10年ほどで、例の資料 Early Genesisyphian toil の発見や、関わったヒプノシスのスタッフの証言から、だいたいの内容が明らかになってきています。

結論から言うと、当時 Headly Grange での最初のミーティングでストーリー資料を受け取ったヒプノシス側は、まだディテールが未完成だったそのストーリーを元に、思いきりイマジネーションを膨らませて画像を作っているのです。その結果、ストーリーには表現されていないようなシーンも登場してしまったというのがこの写真の真相なのです。なかなか夢のないオチなのですが、それが現実だったわけです。結局、それぞれの細かい意味、意図などを詮索しても、それほど意味が無いのです。結局これも、当時ピーター・ガブリエルが最後の最後までストーリーを悩んだ結果の産物ということなのでしょう。

そして、もともとヒプノシスの意図は、裏ジャケットの左の写真から、表ジャケットに向けて6枚の写真が時系列を表しているというものでした。ということなので、写真の番号をもとに、それぞれの写真について見ていきましょう。

(1)レエルがガラスを突き破るシーン
ガラスを突き破るような表現は、アルバム内では The Waithing Room に効果音としてあるだけで、ストーリーにも歌詞にも一切出て来ませんし、このシーンが1番目であるという事実も当初は明らかになっておらず、これが謎をよんでいたわけです。ところが、Early Genesisyphian toil に以下の記述があったのです。"Bursting through glass: Rael imperial aerosol kid - spraying aerosol on window. Spray gun in hand"(ガラスを突き破って: レエル、インペリアル・エアロゾル・キッド、窓にエアロゾルを吹きかける。手にはスプレーガン)つまり、この部分はヒプノシスによる、ピーターのイメージに忠実に沿った映像化だったわけです。

(2)トレンチコートの謎の人物
ところが2枚目の写真は、今度はヒプノシスのイマジネーションの産物のようです。ここでは、すでにレエルは精神の旅に旅立った後が表現されているはずなのですが、このトレンチコートの探偵のようなスタイルの人物も謎のキャラクターなのです。これは、レエルを支配する自我の象徴ではないかとか、謎の前書きとして紹介したストーリー冒頭に出てくる「 I(わたし)」が「常に見張ってるよ」という表現を視覚化したものかもしれませんが、この点についてのヒプノシス側の明確なコメントは無いようです。

(3)口の無いレエルと大声でわめく周囲の人
このイメージは、The Chamber of 32 Doors から取られているのは間違いないようです。周囲で怒鳴っている人々は、「時代遅れのあらゆる権威」の象徴で、彼らが大声でレエルを威嚇しているようなイメージです。一方のレエルは口を失って、自身の表現ができない状態であるというイメージですね。


(4)渓谷のシーン
滝のふもとで大自然の中に立つレエルが、次の写真の男の手を握っているシーンで、ここはストーリー後半の Riding the Scree の渓谷のシーンに由来していることは明らかです。また、手を出して誰かに叫びかけているようなシーンでして、その相手が、次の(5)の人というわけです。

(5)独房?で、壁に頭がめり込むシーン
この独房っぽい部屋で後ろにのけぞって、頭が半分壁にめり込んでいる男は、兄のジョンなのか、レエルなのかという議論もあります。 ただ、同じ服装でもあるし、ストーリーの結末から考えても、両方ともレエル本人であろうという意見が多いようです。ヒプノシスとしては、ストーリーのシーンをビジュアルで表現したというよりは、どこかに沈んで行ってしまう自分自身のもう一つの自我を、(4)のレエルが引き留めようとしているシーンを、ストーリーにも書かれた渓谷のシーンを使って象徴的に表した図柄ではないかと思います。もう少し踏み込めば、ストーリーのシーンを忠実に表現した(4)のシーンと、イマジネーションの世界である(5)を巧妙につないだ表現という考えもできるかもしれません。ちなみに、制作段階では(5)の足元の黒い影の部分には死んだカラスが仰向けに横たわっていて血だまりがあったそうですが、最終的にその部分は消されたのだそうです。

(6)廊下のシーン
これが The Carpet Crawlers の廊下だという説は古くからあるのですが ピーターが、ヒプノシスに Early Genesisyphian toil を渡した Headly Grange の段階では、まだ曲も歌詞も存在していなかったわけで、さすがにその解釈には無理があると思います。一方これは The Chamber of 32 Doors だという説もあるのですが、これもストーリーに表現された形状と違いすぎると思います(その形状はすでにヒプノシスも知っていたはずですので)。また、画面内にはカラス、そして恐らくヒツジと思われる動物がいるわけですが、さらにストーリーでは表現されていなかったヒョウなどの動物もいるのです。つまりこの廊下のイメージは、ストーリーの一部を切り取ったものではなく、レエルの精神世界の象徴としての画像なのではないでしょうか。そして、最後レエルは白いシルエットとなって、その中にはもう存在していないのです。そこから抜け出したレエルは、これら一連の写真の手前に位置して、傍観者のようにこれらの写真のシーンを見ているわけです。つまりこれはストーリーのエンディングで表現された、自我を自覚するプロセスを表現したものではないかという指摘の方が妥当と思われます。ちなみにこの廊下は、ロンドンにある St. Pancras Midland Grand Hotel (*5)でロケされたものだそうです。

インナースリーブの写真

そして、インナースリーブの【テキスト】がびっしりと書きこまれた間に配置されている写真が、これがまた謎だったわけですが、やはりこれもヒプノシスのイマジネーションの産物と割り切れば、まあそんなものかと納得できるのではないかと思います。

一番左上の、レエルの体にヘビがまとわりついているビジュアルは、明らかに The Lamia で登場する、顔が女性で体がヘビという怪物を意識したものだと思います。それ以外の場面にヘビは出てこないからです。ただ、だとすると、これがストーリーの冒頭にある理由が思いつかないのですが、このインナースリーブでは、ストーリー冒頭であるはずのレエルがガラスを突き破るシーンが左ページの中盤あたりに配置されていたりするので、ここの写真の並びについては、あまり時系列は関係なく、ビジュアル優先で作られているのだということでしょう(^^)

それ以外にも、誰かわからないおじさんの顔写真が2枚も使われていますね。これがまた謎です。人の顔を出すなら、Lilith か Lamia を思わせる女性の写真を何故入れなかったのかが不思議だったりします。これは、レエル以外の登場人物をあまりクリアに表現しないという方針があって、敢えて重要なキャラクターの顔を載せることを避けたのかもしれませんが、でもおじさん2人の説明にはならないのですよね(笑)


ジャケットに対するメンバーの評価

というわけで、最終的に、ストーリーとの直接的なシンクロは弱いビジュアルではあるのですが、わたしはこのジャケットはヒプノシスの数多くの名作ジャケットの中でも、デザインの出来として上位に位置するものではないかと思っています。ピーター・ガブリエルが、「自分の物語の意味を完璧に反映している」と絶賛したとおり、このビジュアルは、ある意味作品のイメージをうまく視覚化して、The Lamb という音楽作品の価値を高めることに大きく貢献したのだと思うのです。さすがのヒプノシスということで、結果的にこのときのヒプノシス起用は大成功だったのだと思うのです。ただ、ピーター以外のバンドメンバーにとっては、そうでも無かったようなのです。

スティーブ・ハケットは、「ヒプノシスの作品にはもっと良い物がたくさんある」「レッド・ツェッペリンのために彼らはもっと良い物を作った」というような言い方をしています。さらに、「必死に謎めいたものにしようとしている」という意見もつけ加えており、彼としてはこのジャケットにはあまり納得していないようです。まあ彼は、音楽そのものにもちょっと距離を置いた発言が多いので、これは仕方ないのかもしれません。ところが、フィル・コリンズに至ってはもっと厳しいのです。もともとフィルはピーターのストーリーにはかなり批判的だったのですが、「ストーリーと同じくらい混乱したものだ」とバッサリと切り捨てているのです。トニー・バンクスだけは擁護派で、「全体としてかなりうまくいっている。白黒のコントラストが強いジャケットが、音楽が以前のようなキュートなものでは無いという望ましいシグナルを送った」というコメントを残しています。

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【注釈】

*1:ちなみに、後にソロアルバムのI(car)〜III(melt)までのジャケットも担当したヒプノシスに対して行ったピーター・ガブリエルのデザイン指示は、このときのものに比べると、はるかに細かいものだったそうです。The Lambのデザイン指示が、これほどあっさりしているというのは、やはりあまりデザインワークに口出しできるほどの余裕がなかったということのようです。

*2:このとき、Headly Grangeにデザイン打ち合わせに行ったのは、オブリー・パウエルだったとされています。

*3:Glaspant Manorでのカウンターオファーの際、ヒプノシス側は、レエルの役に、オマル(Omar)という名前のモデルを起用して、その写真をピーターに見せています。このオマルが、ピーターのレエルのイメージにぴったりだったと、このときピーターはデザインだけでなく、そのキャスティングも絶賛したのでした。ピーターは、当初のストーリーで、レエルをハーフのプエルトリカンと表現していただけで、もう片方の出自については語っていなかったのですが、1975年にイギリスのジャーナリストに(恐らく)一度だけ、「レエルはプエルトリコとアラブ系のハーフである」と語ったことがあります。これは、このオマルのビジュアルから、ピーターが後付けで考えたものではないかと思います。

*4:このアルバムジャケットのGENESISのロゴを制作したのは、当時ヒプノシスとよく仕事をしていた、ジョージ・ハーディ(George Hardie)というデザイナーです。彼はピンクフロイドの Dark Side of the Moon(邦題:狂気)のジャケットデザインにも大きく関わったことが知られています。彼が作ったこのときのロゴは、後の1978年の And Then There Were Three(邦題:そして3人が残った)まで繰り返し使用されています。

*5:この翌年リリースされた、アラン・パーソンズ・プロジェクトの Tales Of Mystery And Imagination Edgar Allan Poe(邦題:怪奇と幻想の物語 ~エドガー アラン ポーの世界) のインナースリーブもこのホテルで撮影されたものです。



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