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数学 物理屋の私のパートナー  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 物理屋の私のパートナーは数学です。

 算数が数学になるのは中学校からですが、理科が分化して物理となるのは高等学校からです。

 例えば高等学校のニュートン力学の世界で
距離·速度·加速度の関係は数学を使うと綺麗に整理されます。

距離←(積分)←速度←(積分)←加速度

距離→(微分)→速度→(微分)→加速度

(本当はベクトルなのですが高等学校ではそのスカラー量の計算だけで済む範囲です)

とは言っても、助走として小学校から
距離←(積分)←速度
距離→(微分)→速度
の部分だけは積分や微分という言葉は使わないものの実質的にはそれと同じことを既に算数や中学校の数学や理科として扱っています。

 という流れで私は初等教育から道具としての数学が私のパートナーでした。物理屋的には道具としての数学が使えないと物理学を理解·探求していくのはしんどいので仕方が無いのかと思います。
 言い換えれば数学という言語で表現すると非常にシンプルになる、詰まり

美しい…

 因みに大学では、仮面浪人していた電子工学科の教養過程での講義でも引き続き数学の知識は深化して行きました。例えば偏微分なんていう高等学校の微積の発展型から始まっていきました。専門課程の講義でも、例えば回路理論から始まって数学はもう英語やドイツ語といった自然言語と同じレベルでの表現手段として身体に馴染んでいました。

 研究分野として大学から選んだ表面物理学。最後は半導体デバイス開発にまで応用した分野ですが、そちらでもデバイスのシュミレーションから回路設計まで道具としての数学にお世話になりました。

 そして今でも人工知能と上手にお付き合いする上で数学的なものの理解は欠かせません、

 ということで数学は、常に物理屋の私のパートナーなのです。

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