アボカドロ
私が経験したと思っている不思議な話。人に話すまでもない、検証もなにもなく、オチもない。そんな話。
2021年4月から子宮筋腫の治療を受け始めました。7月末からレルミナを服薬し女性ホルモンを抑制し、更年期症状に悩まされる。11月上旬に西東京エリアの病院に入院し、開腹手術を受け300㌘台の筋腫を核出。大小18個取ってもらった。術後良好で1週間で退院。記録や備忘録のつもりでnoteに残しています。
4月にTHE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演に足を運んだことから愛が再燃したということはそのころに書いたんだけど、それからどうなったかというと、10月から来年の春まで続く全国ツアーが始まるということで、まず広島に行くことにした。 全公演行けるわけがないので、月一で行けるところは申し込むことにした。東京以外は行きたい街。 10月は別件で旅するかもしれないから(結局出来なかったけど)パスして、私は11月7日の広島公演からツアー開幕することにした。 12月は武道館
新潟駅の新幹線構内にある待合室に、東北新幹線の車体をイメージしてデコレーションされたマッサージチェアがある。 私はマッサージというものをあまり信用していない。生業にしている人には申し訳ないけど、効果がよくわからないのだ。 マッサージチェアもそうで、やっぱりよくわからない。父が亡くなった時の葬儀会場の親族控え室にもあったので使ってみたら、使い方が悪かったのか逆に背中を痛めてしまった。 そんなある日。多分四十九日で新潟に帰って、お酒をたくさん飲んで東京に戻ることにした。土日
久々に新潟に帰って、次兄の持ち家になった実家に泊まった。次兄は長期出張が多い人なので、タイミングが合わないと、新潟に帰ってもなかなか顔を見ることがない。 話したいことも特になくて、お墓参りは行った?と聞いた。私はお盆もお彼岸もスルーしてしまった。 お盆は行ったよーという次兄。不思議なことがあったと言う。ほほう、なになに? 長期出張から帰って、放置していたカレンダーを破いて畳んで、適当に畳の上に投げていた。 居間のテーブルでテレビを観ていたら、ゆっくりとゴキブリが歩いて
「THE FIRST SLAM DUNK」が大ヒットしたことで、チバユウスケがというかThe Birthdayがにわかに注目されたと思う。 チバ氏は40代半ばの私にはミッシェル・ガン・エレファントなんだけど、そこまで音楽好きかというとそうでもないので、ミッシェル以降はそんなに知らなかった。 ああ、チバはやっぱりいい声だと映画館で思って、いまは便利な時代だからApple Musicでさまざま聴いてみた。 ロックとはなにか、私にはわからない。多分そんなに理解していない。その
お米の国で生まれ育ったので、主食は大体ごはんだ。パンはめったに食べないので、トースターは買わないことにして今に至る。でもたまに食べたくなるので、魚焼きグリルを活用している。 米不足とは聞いていたけど、近所のスーパーではまだ買えていたから、ごく一部の話だと思っていた。 お米は次の買い物のときでいいやーとスルーした4日後、衝撃だった。米売り場空っぽ。異世界に移動してしまったか。狐につままれたような気持ちになった。 なんとも原因がよくわからない米不足だ。山形で水害があったぐら
「我が家は呪われているんじゃないかと思って」 すっかり酔っ払って、話の前後は思い出せないけどそんな話を長兄に振った。 「なんでそう思ったん?」 「本家の(長男の)奥さんが、ボケて台所でたばこを吸うようになって、火事を起こしそうになったってことが昔あったけど、同じ時期に母さんも台所でたばこを吸っていたから」 なんか変だなあと思っていた。母の場合、父が吸い終えたたばこを吸っていて、貧乏臭くて汚らしくてイヤだなあと思っていた。火事にはならなかったけど、あわやということは何度
20代後半のとき、やたらと記憶力がない時期があった。車のカギを家の中のどこに置いたかわからなくなるとか、頭にすが入ったみたいにどこか空洞を感じていた。 ある日、自転車を駅前の駐輪場に停めて出掛けた。帰る時、自転車が見当たらない。駐輪場はとても広い。どこら辺に停めたかもわからなくなってしまった。 銀色の自転車。地味といえば地味。どこにでもある。それでも自分の持ち物は、独特なオーラを放っていて、停めた場所を正確に思い出せなくても見つけられる。それも感じられない。 怖くなった
ちょっとした前回の続き。 父がそれまでの考えを改めた瞬間はあの時かなと思うことがある。 3人きょうだいで末っ子が女だった場合、それは可愛がられたでしょうと言われることが多い。私の場合は歳も離れているし、なおさら。 でも私はあまり幼少期の記憶がない。可愛がられた記憶がない。 10歳になる年に父方の祖父が亡くなって、12歳の時に祖母が亡くなるまでの間、父は祖母の家と別居していた家を行ったり来たりするようになった。土日は祖母の家で泊まる。 なぜか私は父と同じ行動をしていた
それは多分、小学生に上がってからしばらく。父は酔うと志賀直哉の「暗夜行路」の話をした。父が小学生の時に近所にお金持ちの同級生がいて、そのお家でたくさん本を読んだと言っていた。 その中の「暗夜行路」が衝撃的だったのだという。主人公には出生の秘密があった。祖父と母の間に生まれた子供だった。 私は何故かこの話をずっと聞いていた。中学校のときに読んでみようとチャレンジしたけど、難しくて頭に入って来なかった。私はあまり賢くない。中学に上がるころには、父はその話をしなくなっていた。
昨年の5月末、父が脳梗塞で倒れた。それから50日で旅立ったわけだけど…。 入院していた病院は脳外科専門だった。コロナの影響で、面会はひと家族2人まで、予約制で平日30分、一度面会したら1週間以上空けて予約しなければいけなかった。 見舞いは基本、長兄と私で行った。長兄が私の都合に合わせてくれていた。予約簿を渡されて、2人の名前を書く。 さぞかし予約は取りにくいだろうと思っていた。でも、私たち以外の名前を見た記憶がない。 看護師さんたちも可能な限り予約していく私たちをなん
高校生の時、どハマりしていたのはTHE YELLOW MONKEY。4月27日の東京ドームライブに行こうと決めた理由は覚えていない。多分、東京が生活圏になって干支一回り以上したけど、大きなライブ会場というものの経験がないなあと思い立ったのと、ヴォーカルの吉井さんのがん告白で距離が少し戻ったのかもしれない。 高校を卒業して、一瞬就職したけど挫折して、専門学校に入り直して右往左往している間に、イエローモンキーは活動休止してしまった。 専門学校を出てから就職してあれやこれやして
「そんなに鼻をすすって〜ティッシュあげようか?」 通勤電車の昼下がり。乗り換え駅直前で左隣のご婦人がそのまた左隣の若い女性に声をかけていた。 「鼻すすって、指で拭いて、拭いた指で…」とスマホを触る動作をするご婦人。「ティッシュないならあげるわよ」。親切心というより、呆れているような声色。 若い女性は返事せず、駅にも着いたので席を立った。ご婦人も私も降りた。 確かに汚いんだけど、そんな大きな声でこと細かに動作を描写しなくても。若い女性の細い指がやけに印象に残っている。
去年の4月ごろ、沖縄に行った。 「笑の大学」というお芝居を観たかった。公演があると知った時には、すでに東京含め近郊で行われる公演のチケットは売り切れていた。 唯一、沖縄での公演が抽選予約期間中だったので申し込んだら取れてしまったという、そんな理由。一泊二日で、初日は大雨に降られた。 これから書きたい話は「笑の大学」の話ではなくて。 観劇後に近くの居酒屋に入ったのだ。その居酒屋は、元高校球児が経営しているお店だった。甲子園出場したのかは定かではないけど、それらしい記念品が
ふと目に入った、とある新聞の4コマ漫画。居酒屋で老いた父とその息子と思われる中年の男性が話している会話に耳を傾ける主人公家族のパパ。「ボクとお父さんクイズ! 初めて映画館で観た映画はなんでしょう」。老いた父はなかなか思い出せない。ヒントをくれと楽しそう。主人公パパが我が息子といつかやりたいとニンマリして終わる。 父と映画館で初めて観た映画は…。「インディ・ジョーンズ」。二本立てで「スタートレック」の終盤に映画館に入った記憶がある。なぜ二本とも観なかったのか不思議。 父はタ
私の善行を聞いてほしい。 毎年この時期になると、恵方巻きのフードロス問題が起きる。興味がない私はいつも、関西の一部地域の行事なんだからやめればいいのにと思いながら見てるだけ。なんなら、太くて長いものを頬張る女性を見たいだけのセクハラ行事なんじゃないかとモヤモヤしている。 ある日の職場近くのセブンイレブンで、恵方巻きを見た。すべてに緑色のシールが貼られている。賞味期限が近い食品をnanacoで買うといくらかポイントで返ってくるというプロジェクトをやっていて、そのシールが緑色
会社の近くに昔ながらの洋食屋さんがある。美味しい!オススメ!とは言わないけど、なんとなく食べたくなるカレーがある。 インドじゃなくていい。お高級でなくてもいい。素朴なカレー。とか言いつつ、料金はなかなか強気。カレー1000円。カツカレー1050円。カツが乗っても50円しかアップしない謎設定。カロリーとコスパの狭間で、カツを乗せるか乗せないか悩む。 その日はカツカレーの気分だった。ランチとディナーの間が私のランチタイムなので、あまり人がいない。珍しく女性が座っていた。カレー