答えは出ない
昨年の5月末、父が脳梗塞で倒れた。それから50日で旅立ったわけだけど…。
入院していた病院は脳外科専門だった。コロナの影響で、面会はひと家族2人まで、予約制で平日30分、一度面会したら1週間以上空けて予約しなければいけなかった。
見舞いは基本、長兄と私で行った。長兄が私の都合に合わせてくれていた。予約簿を渡されて、2人の名前を書く。
さぞかし予約は取りにくいだろうと思っていた。でも、私たち以外の名前を見た記憶がない。
看護師さんたちも可能な限り予約していく私たちをなんともいえない表情で見ていたように思う。彼女たちのほうが泣きそうというか。あるときは感謝もされた。
個室に入ったり大部屋に移ったりを何度か繰り返した。大部屋の時は、面会用の部屋にベッドごと移動してもらっていた。だから、他人さまの様子は全くわからない。
父は真夜中に目を開けていたらしい。いまが夜なのかわかっていたかわからないと主治医から聞いた。
父の目に映った50日間は一体どんな景色だったのだろう。
父は結局は行ったり来たりして旅立った。言葉を発することができない。動く足をバタバタさせている。意識があるのかわからない。こちらの言葉が聞こえているのか、理解できているかもわからない。
最悪、このままだった可能性もある。父はそれを心底いやがっていた。
もしそうなったら?と看護師さんに尋ねると、そうなるとそれはこの病院では診られないので、転院になるという話だった。あくまでも脳梗塞の治療をしているので、やるべきことが終わったときに、父の状態次第で判断しないといけないらしかった。
看護師さんたちが優しかった。まだ完全にコロナが明けているわけではない。父と似たような症状の人たちがあの病棟にはたくさんいらっしゃったはずだった。
平日のみという縛りがあるから、予約のハードルが高くなっていたとは思う。私が行けたのは、シフト制の仕事だし、職場の理解もあったから。長兄も午後は有休を使った。使えたということは、長兄のほうでも職場の理解があったのだと思う。
あの病院で働く看護師さんもどんな風景を見ているのだろう。もう行くことはない。
人間とはなんだと思う。生きるということはなんだ。親子とはなんだ。
なんで私はこんなに答えの出ないことばかり考え続けるのか。みんなそうなのか。そうならなんであの予約簿は白かったのか。
最後の面会。「容態安定」したという父は私を見て動く右腕をゆっくり伸ばしたので、そこに頭を差し出した。叩くようになでられた。その次の面会は父の弟妹に譲った。さらに次の面会を待つ間に、長期出張からようやく帰った次兄に見送られて父は人生を終えた。容態安定したと言われていたから、私は完全に油断していた。
親子とはなんだ。生きるとはなんだ。人間とはなんだ。考え続ける。
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