#231 「情報が少なくて決められない」の裏にある「不信」という病い
決められない組織にはいろんなタイプがあると思いますが、「これでは判断する材料(データ、情報)が少なくて決められない」という場合、それが真の理由ではなく、裏に「不信」があるのでは、というメモ
1、透けて見える「少なくともボクのせいじゃない」というメッセージ
「情報が少なくて決められない」という場合、本当に情報が少ない、というより、単に、「決められない」=「決めたくない」=「決めて責任取りたくない」という「責任回避」の場合が多いのではないでしょうか?
そもそも十分な情報があって判断できることなどまれ、ですし、もっと言えば、「十分な情報」ってなに?という話です。
不完全な、限られた情報で判断、決定をし、方針を示す、その能力と責任に対してポジションと給料が支払われているのですから。
それを、「情報が少なくて決められない」とは「ボクはこのポジションに相応しくない!」と大声で叫んでいるようなものです。
2、もう1つある、深刻な「不信」という心理
「情報が少なくて決められない」というのが、先ほどの通り、単に決断すべき役職者の能力不足ならまだいい(いや、よくはないのですが、比較の問題として)のですが、もっと深刻なのが、「不信」が理由の場合です。
誰の、何に対する「不信」かというと、決断すべき役職者と、決裁を仰ぐ部下との「不信」です。
つまり、「部下が持っている情報は、本当にこの情報で全てなのだろうか?実は、都合の悪い事実を隠しているのではないか?」という「不信」です。
これはかなり深刻です。
「そんな深刻な「不信」は例外的では?」と思われるかもしれません。
でも、そもそも「情報が少なくて決められない」というのは、「お前ら、もっと情報とって来れんだろ!」というメッセージとセットではないでしょうか?
少なくとも、この役職者に対して、決裁を仰ぐにあたって部下たちは彼らにとって考えられる準備をしたはず、と役職者が「信じて」いれば、
「よし分かった。この情報で判断しなければならないんだな。いくつか質問させてくれ。」
という、出された情報をよく理解して判断しよう、という行動に出るのではないでしょうか?
この「不信」、もちろん、部下に伝わります。それも鮮明に。
1回であれば、「確かに甘かったなぁ。もう少し情報収集しよう。」となるかもしれません。でも、2回、3回となったらどう思うでしょう?
「これ以上どうしろっていうんだよ。なに出しても結局決められないんだったら、こっちも最初から情報小出しにするか。どうせ「足りない」っていうんだから。」
…まさに、先ほどの「隠しているのでは?」という役職者の「不信」通りになってしまいました…
3、まとめ
いかがでしたでしょうか?
このVUCAの時代で「情報が少ないから決められない」と正面切って言ってしまう残念な役職者は少ない、と思いますが、この例でわかるのは、組織において最も生産性を下げるのは、個々人の能力ではなく、「不信」なのです。
そして「不信」そのもの、も、もちろん問題なのですが、相手が自分のことを「不信=信じてない」ということは、心理的に確認しにくいことも問題です。
もし、日頃から、何を聞いても大丈夫、という安心感があれば、すぐに「何かありましたか?」と聞くことができます。もっと言えば、「不信」を抱く原因があれば、その時点で、しっかり指摘してあげることができるはずです。
もうお気づきだと思いますが、その環境こそが「心理的安全性」です。
これ、わかっちゃいるけど、どーやったらできるの?という、もっとも典型的な例ですね。「心理的安全性」って、理屈はいいから、結果が欲しい、です。
ただ、経験則的に、管理職次第であることは間違いありません。
もちろん、職場のムードメーカー的なメンバーがいて、というケースもありますが、長続きしないものです。
ですから、管理職の立場で、もし「あいつが雰囲気を悪くしている」と思っているとしたら、それは、管理職、その人に原因があるということです。
でも、原因が自分なら、自分で次第で解決できますから、気が楽、ですよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
どこか参考になるところがあれば嬉しいです。
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