【読書感想文】ただしさに殺されないために~声なき者への社会論~御田寺圭(白饅頭)|④キャンセル・カルチャー編|
「ただしさに殺されないために~声なき者への社会論~」。
私は、こちらの本を著者ご本人から、無料でプレゼントしていただいた。
「ただしさに殺されないために」、略して”ただころ”とは、連日のように事実陳列罪を犯し、さらには白饅頭フォロー罪、白饅頭RT罪、白饅頭購読罪などを犯す罪人を世に放ち続ける、白饅頭尊師の著書である。
本書の帯には、このように書かれている。
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社会を引き裂く事件の背後に何があるのか。
ただしさと承認をめぐる闘争が日常と化したSNS時代に宿る<狂気>を解き明かす。
多様性の名のもとに排除し、自由、平等を謳って差別する
美しい社会の闇の底へー-
言葉を奪われた人びとの声なき叫びを記す30篇
本書は人のやさしさや愛情が社会に落とす暗い影の記録である。
私たちは、自分の中にある「悪」にまるで気づかなくても自覚的にならなくても生きていける。そんな平和で安全で快適な社会で暮らしている。自分たちが狭量で排他的な人間であることから、ずっと目を逸らしていける、配慮のゆきとどいた社会に生きている。
ひとりひとりが抱える心の傷と痛み
だれもが内に宿しているちいさな差別心…
世界が複雑であることへの葛藤を手放し
だれかを裁くわかりやすい物語に吞み込まれた
感情社会を否定する
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まるで、「フェミニスト」や「リベラル」、「人権活動家」などが闊歩する「インターネット世論」に、中指を立てるかのような紹介文だ。
このような暗黒の書籍を読んでしまって、本当によいのだろうか。
世間の「ただしさ」に迎合してそれらしく振る舞っていた方が、楽に生きられるのではないだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。
しかしだ。「ただしさ」に迎合したとして、それが本当に世界を明るくするのだろうか。
私の考えは否だ。
よって私は、「ただころ読破罪」へと歩みを進めた 。
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「ただころ」は、序章・終章を含む全7章、30節によって構成されている。
本来であれば全章について詳細に語っていきたいところであるが、有料の書籍であるからそういうわけにもいかない。
そこで、少しだけを抜き出して語っていきたいと思う。
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近年、ムーブメントとなっている「キャンセル・カルチャー」。
この「キャンセル・カルチャー」というのは、社会における人権感覚に反した言動を行った人間を、メディア・SNSによって吊し上げ、社会からキャンセルしてしまう運動のことを指している。
これはなにも、「現在」の言動、パブリックの言動に限ることではない。
インターネットにすべてが残るこの時代。
過去の言動どころか、プライベートなLINEのやりとりまで、いくらでも掘り起こしてしまうことができる。
「聖人」、「人格者」のように扱われている「イケオジ」が、若かりし頃に「陰謀論にハマっていた」、「女性に気持ち悪いLINEを送っていた」、「若さゆえに特定の属性を差別してしまった」などといった理由で、社会から抹殺されてしまうことだってあり得るのだ。
しかし、「一度も間違いを犯したことがない」などという人間が存在するだろうか。
私は、SNSを利用して影響力を身につけ、主に「文章」で飯を食っていきたいと考えている。
現在は20歳なので「被選挙権」がないが、5年後、10年後、状況によっては政界へ進出することも選択肢のひとつとして考えている。
しかし、私は「聖人」でもなければ「人格者」でもない。
20年の人生の中で、いくつの法を破ったか知れない。
軽犯罪法や迷惑防止条例まで含めれば、おびただしい数の「キャンセル素材」が出てくることだろう。
人を殴ったことだってある。蹴ったことだってある。
女の子や元カノに送ってきた気持ちの悪いLINEを晒されたら、私は自我を保っていられるだろうか 。
しかし、これらはだれもが同じことなのではないだろうか。
信号無視をした、ポイ捨てをした、立ち小便をした。
ともだちと喧嘩をした、ぶん殴った。
異性におかしなLINEを送った、当時の恋人と「バカップルLINE」をしていた 。
断っておくが、私は決して「不良」ではなく、いわゆる「優等生」だった。
それでも、「世に出せない過去」というのはいくらでもある。
親友でさえも知らない過去が。
しかし、それこそが「人間」なのではないだろうか。
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人間はだれしも、必ず「間違い」を犯す。
度を越えた者は「犯罪者」として法に裁かれるが、それだけが「過ち」ではない。
限度を超えなければ、「間違い」や「過ち」を犯してもよいのだ。
それが人間なのだから。
そして、そこから学べばよいのだ。
そうして学んだことによって、だれかを幸せにすればよいではないか。
そもそも、「人間の考え」というのは変化し続けるもの。
重要なのは、「今」なのではないだろうか。
もちろん「ある一定のライン」を守ることは大切だが、とくに「過去」の出来事に対しては、もう少し寛容な世の中になることを祈る。
とはいえ、祈っていれば自分がキャンセルされなくなるわけではない。
私はこの「キャンセル」される可能性をできるだけ削ろうと、「聖人」として見られないことを意識している。
掃き溜め育ちらしい口の悪いツイートをし、「信念」に沿っていれば、世の中的に「ただしくない」とされる内容も発信する。
定期的にアンチを吊るし上げるし、攻撃的な応戦をすることもある。
「嫌味」ったらしい口調でツイートすることもある。
SNSを利用して発信をしていると、なぜか「聖人」であるかのように見られやすい。
これには、「綺麗なところだけを見せたい」という発信者の心理も関係しているのかもしれない。
そこで私は、「あえて自分の汚いところを見せる」ことを意識している。
たとえば、自らを「ヤリチン」と称す西野亮廣氏にセフレがいたとして、はたして彼はキャンセルされるだろうか。
「ダーク」、「闇」といったブランディングをしているYouTuberのヒカル氏にセフレがいたとして、はたして彼はキャンセルされるだろうか。
反対に、YouTube講演家の鴨頭嘉人氏にセフレがいたとしたら。キャンセルを免れることはできないだろう。
私のこの「あえて自分の汚いところを見せる」ことが、「キャンセルされるのを防ぐ」かどうかはわからない。
ただ、今後の社会において「聖人」との印象を持たれることは、一銭の得にもならないのではないかと思う。
己の過去を背負いながらも、美しい生き方を目指す。
そして、他者の過ちにも寛容になる。
「人間」とは、そういう生き物だったのではないだろうか。
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冒頭にも述べたが、"ただころ感想文"については、"ただころシリーズ"としていくつかの記事に分割して公開しようと思う。
読書感想文を書きながら"ただころ"を読み進めていたところ、半分ほどしか読んでいない段階で、文字数が10,000字を超えてしまったからだ。
ひとつ言えることは、「ただしさに殺されないために」は近年まれにみる良書である、ということだ。
ページをめくる手が止まらない。
2,200円と、書籍としては若干値の張る代物だが、金額以上の価値は十二分にあるだろう。
ぜひ、1冊。可能であれば、ご家族やご友人にも1冊と、お手にとっていただきたく思う。
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